あれは案の定あれだった。
 記念に、と言うほどの物でもないが、俺が明日渡そうと前もって買っておいたものだ。
 自分の部屋に隠しておいたのだが、リーゼが掃除の途中で見つけてしまった。
 明日渡すと言うのに、今だっていいだろと取られてしまった。
 着るのは明日にすると言っていたが、俺がこの状態では明日一緒に出かけられるという保証もない。
 待ちきれずに今着てしまっても、文句は言えなかった。
「どう? 似合う?」
 リーゼは嬉しそうに俺の目の前でくるっと回って見せた。
「あ、ああ」
 それに、俺はそう答える。
「ちぇ〜、張り合いないな〜」
 その答えにリーゼは不満そうな声を上げた。
 俺がリーゼに買ってやった服は、鮮やかな黄色のワンピースだ。
 いつも男と見間違うような服ばかり着ているので、たまには女らしい服もいいだろうとそれを選んだ。
 だか、今気がついたが、この服こんなに背中が開いていたのか?
 肩も剥き出しだし。
 あまり、ああいった店には慣れていないから、どうも落ち着かなくて慌ててこれに決めてしまったが、今見ると少し大胆な気がしないでもない。
 これではバスタオルほどではないが、やはりどこか目のやり場に……。
「ま、いいか。何たってレイヴンのプレゼントだもんね〜。へへ」
 そんな俺の思いなどリーゼが知るはずもなく、嬉しそうにそう笑って見せた。
 そんな笑顔を見せられると、俺も悪い気はしない。目のやり場に困るくらい我慢する、か。
「じゃあ、薬用意するね」
 言うとリーゼは、キッチンで水を用意し、同じトレーに薬を載せて、俺の枕元に運んで来た。
「起きられる?」
 言いながら、リーゼが俺の背中に手を回す。
「ああ」
 流石に1人で起きられないほどに衰弱している訳ではないが、世話をしてくれているのだ、素直にその手を借りて半身を起こした。
「はい」
 リーゼはタブレットから2つ錠剤を取り出すと、水の入ったコップを手渡してくれる。
 いつもからかわれてばかりなのに、今日はやたらと優しいリーゼに、少し戸惑いながらもたまには悪くないと俺は思った。
「ゴホッ!」
 だが、次の瞬間、俺はむせ返った。
「何だこの水は!?」
 リーゼに渡されたコップに入っていた水は、えも言われぬ味がした。
「あははー。やーいやーい」
 その俺を見て、リーゼがケラケラと笑っている。
 俺は思わず口に含んだ水を、薬ごとコップに戻してしまう。
 キッチンにある、ありとあらゆる調味料を混ぜ合わせような味がした。
「キッチンにある、ありとあらゆる調味料を混ぜ合わせたんだ」
 そう言って、リーゼは相変わらず薄ら涙を浮かべて笑い転げている。
 優しいと思ったらこれだ。
「色で気づけよ」
 まだ笑っている。
「あはは。こんな時じゃないと君にこんな悪戯出来ないからね〜」
 まだまだ笑っている。
 まさか、これがやりたいがために、さっきからしきりに薬を飲ませようとしていたんじゃないだろうな?
「もういい」
 流石に俺も不機嫌になり、そのまま体を倒し、また横になった。
「あっ。ごめんごめん。ちょっとからかいすぎたよ。今度はちゃんとした水持ってくるからさ」
 それで、リーゼもそう言うと、再びコップを持ってキッチンに向かった。
 すぐに、新しい水を持ってリーゼが戻ってきた。
「さ、早く薬飲みなよ」
 そしてそう言うと、またタブレットから錠剤を2つ取り出す。
 それでも俺はそれを受け取らずに不貞腐れている。
「もう〜、子供みたいに不貞腐れるなよ。悪かったって言ってるだろう?」
 と、俺を見下ろす。
「ほっら〜」
 そして、薬を手の平に載せて突き出してくる。
 それにも俺がそっぽを向いていると、
「はは〜ん。僕に優しくしてもらえなくて拗ねちゃったんだ? レイヴン甘えたいんだぁ?」
 そんなことを言い出した。
「違っ!」
 思わずリーゼの顔を見る。
 いや、まるっきり外れてもいないが、別に甘えたい訳じゃ。
 優しくしてくれていたのに、いきなり悪戯をするから少し……。
 俺は……拗ねていたのか? 甘えて?
「それならそうと言ってくれればいいのに。僕もっと優しくしてあげるよ。ふふ」
 リーゼがそんなことを言うと、くすりと微笑んだ。
 そして、薬を2錠口に放り込むと、コップの水を口に含んだ。
「何をす……」
 と、俺が言い終わる前に、俺の唇にリーゼの唇が重なってきた。
 リーゼは俺の顔を両手で挟み込む。
 ベッドに横になっている上に、顔に手を添えられては、俺もとっさには逃げられず、甘んじてリーゼの行為を受け入れるしかなかった。
「ん」
 唇が重なると、リーゼが少しずつ口を開き、俺の口内に自分が口に含んだものを流し込んでくる。
「ん、ん……」
 まず一粒、薬が流れ込んできた。
 俺は、コクッとそれを飲み込む。
 と、俺はリーゼの髪からいい匂いがしていることに気がつく。
 シャンプーの匂いだ。
 その匂いが、まだ完全に渇ききっていないしっとりとした前髪から、俺の鼻先に降り注ぐ。
 口をふさがれ、鼻だけで呼吸をするため、余計に強くその匂いが感じられた。
 何か、妙にいい気分だった。
 と、不意に、俺はその髪に触れていた。
 リーゼの後頭部に手を回し、そっとその髪を撫でる。
 しっとりとした柔らかな感触が手の平に伝わってきて心地良かった。
「ん……」
 そんなことを考えていると、もう一粒流れ込んでくる。
 俺はそれもコクリと飲み込む。
 すると、そっと唇が離れる。
「口移し。ふふ、飲みやすかっただろう?」
 俺の顔を挟んでいた両手を、俺の顔の両側に立て、俺を見下ろして言う。
「いや、あまり……」
 そう答えた。
「な、何だよー。人が折角飲ませてあげたのにー」
 ふくれ面になった。
 だが、実際飲みにくかったものは仕方がない。
 横になっている上に顔を押さえられていたんだ。飲みやすい訳がない。
「君が不貞腐れて薬飲んでくれないから飲ませてやったのに」
 急に怒り出した。
「別に飲ませてくれなんて頼んでない」
「僕が飲んで欲しかったの!」
 と、大きな声を出した。
 リーゼは俺を睨みつける。
「明日一緒に出かけるの楽しみにしてたのに、君が急に風邪なんて引くから……」
 そして、ポツリとそう呟いた。
 あ。
 そうか。
 傘も持たずに走って薬を買いに行ったのも、自分が濡れているのも構わず俺に薬を飲ませようとしたのも、不貞腐れた俺に口移しで薬を飲ませたのも、俺に風邪を明日までに治させようとして……。
 その割にはとんでもない水で飲ませようとしたが、それはこの際考えないことにしてやる。
「すまなかった」
「え?」
「お前がそんなに明日を楽しみにしているなんて知らなかった」
「だって、明日は僕達が一緒に暮らし始めて丁度1ヶ月じゃないか。1ヶ月経ったらお祝いしようって約束したのに」
「それは、分かっていたが、俺は別にお前と一緒にいられるだけでも良かったから」
「レイヴン……」
 熱のせいか、俺はいつになく素直に自分の気持ちを口にしていた。
「でも、僕、折角君が買ってくれたこの服着て、一緒に出かけたかったから……」
「リーゼ……」
 俺は俺を見下ろすリーゼの顔にそっと手を伸ばした。
 さっきとは逆に、俺はその顔を両手で挟み込む。
 そっと、そのまま引き下ろすようにすると、リーゼもそれに合わせて体を俺に預けてきた。
 リーゼの頭を俺の胸の上に置くと、また俺はそっとその髪を撫でる。
 同時に、またシャンプーのいい匂いがしてきた。
「大丈夫だ」
 胸の上のリーゼに言う。
「え?」
 胸の上で顔を動かし、リーゼが俺を見上げた。
「明日には熱は下がる。お前の飲ませてくれた薬でな」
「レイヴン!」
 俺の言葉にリーゼがギュッと俺の首にしがみついてきた。
 少し苦しかったが、我慢してやる。
 と、今度は息が苦しくなる。
 リーゼがいきなり唇を重ねてきた。
 これには我慢出来ずに、鼻で息をするしかなかった。
 さっき薬を飲まされたときとは違い、少し乱暴な口付けだった。
 俺の唇を割って、リーゼの舌が入ってくる。
 熱で幾分ボーっとしている頭が、更にボーっとしてくる。
 と、勝手に体が動いていた。
「ちょっ、レイヴン! 何してるのさ!?」
 急に唇を離すと、リーゼが大声を出す。
「服を、脱がしている」
 言いながらも、俺は手を動かし、肩にかかったワンピースの紐をずらしていく。
 我慢していたところへ、2度もキスされたんだ。もう抑えがきかない。
 俺は熱のせいにして、自分の意思を解放した。
「あ、いや、それは分かるんだけど。……え? するの?」
 少し戸惑ってリーゼ。
「今日はやめようよ。下がる熱も下がらなくなっちゃうよ」
 少し心配顔だ。
「大丈夫だ。熱があっても出かける」
 本当にそのつもりだ。
「だめだよ、レイヴン。これ以上ひどくなったら、出かけるなんて言ってられないよ」
「もう遅い」
「何が遅いのさ!?」
 リーゼの言葉を無視して、俺は脱がすのをやめない。
 風呂上りにバスタオルでウロウロしたり、いきなりキスしたりするからだ。
 俺は、もう臨戦態勢だ。
「もう。男が女に服を贈るのは、その服を脱がしたいからだって言うけど、あれって本当なんだね……」
 やっと、諦めたのか、リーゼがそんなことを言った。



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