シーが息を切らせて舞台裏に辿り着くと、すぐにその声が聞こえてきた。
「シー!」
 その声にシーが視線を向けると、いつもポーチにいるはずのドミニクが、焦った顔で近づいてくるのが見えた。
「ドミニク! どうしたの、こんなところで!?」
 舞台裏では珍しい顔に、シーが驚いた声を出す。
「それはこっちのセリフだぜ。シーこそこんな時間までどこに行ってたんだ?」
 それに、ドミニクがそう返すので、シーは壁にかけられている時計に目をやった。
 すると、時計は出番まで後5分しかないことを知らせていた。
「えぇ! もう、こんな時間っ!?」
 大神やロベリアと話していたので多少遅くなったとは思ったが、予想以上に時間がたっていたことにシーは驚きの声を上げる。
「メルは!?」
 と、すぐにパートナーであるメルの姿をキョロキョロと探し始めた。
「そのメルさんが来られないんだ」
 それに答えるようにドミニクが口を開く。
「伝言頼まれてたからずっとここで待ってたのに、シー、なかなか来ないし、楽屋にもいないし。俺どうしたらいいか……」
 いつも遅刻常習犯のドミニクも、今日は待ちぼうけをくらっていたらしい。
「えぇ! メルどうしたのっ!?」
「オーナーの急用で、今手が離せないんだ」
 ドミニクの言葉にシーは呆然となった。
 後5分でステージに上がらなくてはならないというのに、パートナーがいないのでは出るに出られない。
「ああぅ……、あたし、困るようぅ……」
 突然のことに、シーは泣き出しそうな顔になる。
「あああ、泣くなよ。俺だって困るぜ。もうすぐ、ご予約のお客様が到着するんだ。ポーチで出迎えなきゃならないんだよ」
 もうすぐ、予約の客が来る時間なのだろう。焦り顔のドミニクが、シーの表情が崩れて更に焦り顔になる。
「とにかく、俺行かなきゃ。シー、がんばれよ。客席から応援してるからよ」
 いくらシーが泣きそうな顔をしても、司会の仕事は手伝えないし自分の仕事もある。ドミニクは励ましの言葉を残すと、後ろ髪引かれる思いで舞台裏から姿を消した。
「メルぅ……」
 唯一の味方を失ったような感覚に捕らわれ、シーは本当に今にも泣き出しそうになった。
 時計の針はもう2分前。
 万が一を思って、舞台裏の入り口を見る。
 だが、当然メルの姿はそこにはなかった。
 しかし、今日のシーは本当についている。
 メルの代わりに、見慣れた人物がそこにいたのだ。
 ツールボックスを格納庫に届けた後、シーのことが気になったのだろう。様子を見にやってきた大神の姿が、そこにあったのだ。
「あ……大神さぁん……。助けてくださぁい。あたし、あたし……」
 唐突に現れた大神に、すがる思いでシーが言葉をつむいでいく。
「シーくん、どうしたんだい?」
 もう誤解はさっき解けたはず。だとしたら、今のこのシーの様子は他の理由からだろう。
「メルがぁ……メルが、オーナーに急用を頼まれて、今、あたし一人なんですぅ。でも……すぐにステージをはじめないといけないし……どうすればいいのぉ?」
 震える子猫のような表情で、やっとの思いで状況を説明する。
 シーの言葉に大神が時計を見る。大神はモギリだ。当然ステージの開始時間は把握している。
 そして、時計の針は1分前を指していた。
 もう、一刻の猶予もなかった。
「わかった……メルくんの代わりとまではいかないけど、俺がやってみるよ」
 大神は今までシーに教わってきた司会の練習を思い出していた。
 ある夜、ステージで司会の練習をしているシーを偶然見かけたことがある。
 それからというもの、司会の基本を大神はシーに教わってきていたのだ。
 シーも大神もほんの気まぐれで始めたことだったが、まさか本当にステージに立つ日がこようとは思いもよらなかった。
「ホントですかぁ!? 今まで司会の練習をやってきて正解でしたね!! それじゃ、大神さん、がんばっていきましょう!」
 力強い味方を得て、震える子猫が元気を取り戻した。
 満面の笑顔を見せると、もう怖いものはないとばかりに大神の手を取り、ステージに飛び出した。

 ステージの上。
 二人の姿を眩しいライトが照らしていた。
 客席は今日も満員。
 その客席に、チラッとドミニクの驚いた顔が見えた。
「ボンソワール、みなさん」
 大神が右手を上げて挨拶する。
 タイミングもバッチリだ。
「シャノワールへようこそ! 今宵も、シャノワール自慢のダンスを……」
 それにシーが続く。
「ごゆっくりとお楽しみください!」
 セリフを間違えることもなく、また大神がシーに続いた。
「本日の司会進行役はシー・カプリスと……」
「大神一郎です」
 初めてステージで自分の名を名乗り、心臓はドキドキだ。
「さて……本日の最初のダンスは……」
「シャノワール伝統のフレンチカンカンです!!」
「では……どうぞ!!」
 そして大神は、生まれつきの度胸と愛嬌で、初めてのステージを何とか乗り切った。

 司会の仕事を終えて舞台裏に戻ると、シーが興奮した調子で話しかけてきた。
「はぁ……おつかれさまぁ。なんとか、終わりましたね。それにしても、大神さん、すっごく上手でしたぁ!!」
 その興奮が、口調から伝わってくる。
「ははは……ありがとう。これもシーくんと練習をしたおかげだよ」
 未だにドキドキしながらも、大神が返事を返した。
「なぁに、言ってるんですぅ! 練習してなかったとこだってうまくできてたじゃないですか!! メルが来れないって、わかったときは、泣きそうになりましたけど……大神さんが来てくれて、ホントにうれしかたですぅ! こんなに楽しかったのはじめて!! もう、これは……メルに感謝しないと、いけないかもしれませんね」
 興奮のあまり早口になり、感情も抑えられないようだった。
 シーは本当に大喜びして、大神に楽しそうな笑顔を見せた。
「シーくん……。そんな、おおげさな……」
 シーがあまりに嬉しそうにするので、大神は少し照れくさくなる。
「もーっ……。おおげさじゃないですよぉ! こんなによろこんでるのに」
「ははは……ごめん、シーくん。実を言うと、俺も楽しかったよ」
 だが、真っ直ぐなシーの言葉を聞くと、自分も本音を口にした。
「ホント!? それじゃ、大神さん。今度は一緒になにしましょうか? おそうじ? 売店?」
 そう言うと、またシーが喜びの声を上げる。興奮はなかなか収まらないようだ。
「そうだな……。シーくんにまかせるよ」
 楽しそうなシーに、大神も思わずそう言っていた。
「今度までに考えときますぅ! それじゃ、売店があるんで、これで失礼しますねーっ!」
 そして、終始嬉しそうな笑顔のままで、シーは舞台裏から駆け出していった。
「今度はなにをする気だろう? ちょっと楽しみだな」
 シーのあまりのはしゃぎように、大神は自分も嬉しくなり、シーを見送るとそう呟いていた。



戻る   次へ