公演のない期間、売店は夕方には閉める。
 椿は陳列していた商品を手際良く片付け、戸棚やショーケースにしまう。
 そして、全てに鍵をかけたのを確認すると、鍵と売上金を持って事務局に向かった。
 戸棚やショーケースの鍵は、売上金と一緒に事務局の金庫に保管することになっているからだ。
「売店片付け終わりましたー」
 椿はいつものように元気良く事務局の扉を開けた。
「お疲れ様」
「いいなぁ、もう終わったの〜」
 椿の姿を認めると、かすみと由里がそれぞれに声をかける。
「まだ終わらないんですか?」
 由里の顔を見て椿が聞いた。
「まだよう。春公演グッズの入荷伝票の整理がちっとも進まなくて」
 うんざりとでも言いたげに由里が声を上げる。
「そうなんですかぁ。私、手伝いましょうか?」
 人の良い椿がそう提案する。
「え、本当に!? やっほー、これで早く帰れるわ」
 両手を上げて由里が喜ぶ。
「でもいいの、椿? 今日も春公演グッズたくさん入ったでしょう?」
 グッズの準備で疲れているのではないかとかすみが心配する。
「いいんです。別に予定もありませんし、それに……」
 と、言いかけてやめる。
「それに?」
 それが気になって由里が聞く。
「いえ、何でもないんです。さぁ、早くやっちゃいましょう」
 椿は言うと、明るい笑顔を見せた。

 椿が手伝い、やっと今日の分の伝票が片付いた。
「うーん。終わったー!」
 由里が椅子の背もたれに体重を預け、両手を上げてうんと背伸びをする。
「ありがとう椿。疲れたでしょう? 今お茶入れるわね」
 かすみは椿にそう言うと、お茶の準備をするために席を立つ。
「本当、助かったわ〜。ありがとう椿」
 由里も椿に礼を言うと、笑顔を見せる。
「いえ、これくらい何でもないです」
 椿も笑顔を返した。
 しばらくしてかすみがお茶を入れて戻ってくると、由里が引き出しからおかきを取り出した。
 由里はいつも引き出しの中に何かしら菓子類を入れている。前日や出勤の途中に買っておき、かすみのお茶に合わせてそれを取り出すのだ。
「かすみさんのお茶美味しいからお菓子がすすむのよね」
 由里はそう言って笑うと、用意した器におかきを並べた。
「さ、一息つきましょう」
 かすみが急須からお茶を注ぐと、それぞれに熱いお茶の入った湯飲みを手渡した。
「ありがとうございます」
 椿がそう言って一口口にすると、ふぅと息をつく。
「おかきもどうぞ」
 由里にそう言われてまた椿が礼を言った。
 そうして取り止めもない話がしばらく続いた後、不意にかすみが椿に聞いた。
「何かあったの?」
「え?」
 突然の言葉だったので椿は少し驚く。
「椿、今日元気ないわよね」
 続いて由里もそう言った。
「あ」
 いつも通りに振る舞っていたつもりだったのに、この2人はとっくに椿の空元気に気づいていたらしい。
「ばれてたんですね」
「当たり前じゃない。何年付き合ってると思ってるのよ」
 由里がふっと笑う。
「悩み事? 相談に乗るわよ?」
 かすみが椿を見つめる。
「あのぉ……」
 こうなったら隠す必要もない。椿は昼間の出来事をありのまま2人に話し始めた。

 一通り話し終えると、椿は湯飲みに残っているお茶を飲み干した。
 すっかりぬるくなってしまっていたが、それでも話し疲れた喉には心地良かった。
「でも、それはどうしようもないことだと思う」
 椿の話を聞いて、由里が自分の意見を言う。
「花組の皆さんも、私達も出来ることはやったわ。それは椿も分かっているでしょう?」
 かすみもそう言った。
「じゃあ、あの子のご両親が亡くなったのは仕方のないことだったって言うんですか?」
 思わず椿がそう声を上げる。
「そ、そうじゃないわよ。でも、ねぇ……」
 由里がその勢いに思わず口篭る。
「私達はいつだってその時々の最善と思われる行動を取ってきたはずよ。指令も副指令も大神さんだって、そう思っていると思うわ」
「それは分かっているつもりなんですけど……」
 分かってはいる。だが、守る側にいる自分にとって、守りきれなかった人達の存在はとても大きい。
 本当に他に方法はなかったのか、助ける手段はなかったのか、そんな気持ちは拭っても拭い去ることは出来ない。
「ちょっときつい言い方だけど、自分のせいでその子の両親が亡くなったなんて思わないでね。椿」
 かすみが真剣な顔で椿を見つめた。
「それは、勿論です。それは驕りだと思いますから……」
 だが、やるせない。やり切れない気持ちがあった。
「私達は花組の皆さんみたいに直接敵と戦う訳じゃないわ」
 由里が口を開く。
「でもね、椿。お客様とは直接触れ合えるのよ」
 言って微笑む。
「由里さん?」
 由里の言葉を椿は理解出来ない。
「だからね。帝劇のお客さんにお芝居を見せたり、歌を歌ったりするのは花組さんの仕事だわ。でも、その感想や喜びを私達はいつも真っ先に聞けるじゃない? ブロマイドやポスターを嬉しそうに買って行くお客さんの顔を、椿は目の前で見られるじゃない」
 椿は由里をじっと見つめる。
「私達には私達にしか出来ないことがあるわ。どんなに舞台が素晴らしくても、私達が暗い顔してちゃダメなのよ。花組さんの素晴らしい舞台を見たお客さんの、素晴らしい笑顔を私達は大切にしなくっちゃ」
「そうね。帝撃の一員としてでなく、帝劇の一員として守っていくものもあるわ。椿が売店で元気にしていないと、その子が春公演を見に来ても楽しめないわよ」
 由里の言葉にかすみが微笑んでそう続けた。
「はいっ!そうですよね!私が暗い顔してたらあの子の最後の帝都の思い出が台無しになっちゃいますもんね!」
 椿が元気な声を出す。
「へへ〜、なんだか柄にもないこと言っちゃったわ」
 と、さっきの自分の言葉に由里が少し照れ笑いをする。
「由里さん……」
「その子、春公演来てくれるといいわね」
 由里が優しく言った。
「はい。チケットはちゃんと持って帰ってくれましたから、きっと来てくれると思います」
「もう1枚のチケットはどうしたの?」
 と、かすみ。
「私が持ってます」
 言うと、椿はそれを取り出してかすみに見せた。
「初日なの。いい席ね」
「どれどれぇ」
 由里も椿が手に持つチケットを覗き込んで見る。
「あっ!」
 と、それを見た由里が大きな声を上げた。
「きゃっ! どうしたんですか、由里さん?」
 耳元で由里に大きな声を出され、椿が驚く。
「これこれ。このチケットの席」
「席がどうかしたの?」
 由里の言葉にかすみが聞く。
「ほら、これ見て下さいよ」
 言って由里はそのチケットに書かれている指定席番号を指差した。
「トの13番」
「あっ」
「それって」
 その番号に思い当たる節があり、椿もかすみも思わず息を飲む。
「そうよ。大神さんが見たっていうあの幽霊がいた席も確か……」
 しばし沈黙の後、由里が口を開く。
「もしかして、その幽霊がその子のお母さん……」
「まさか」
「でも」
 3人は思わず顔を見合わせる。
「由里さん。幽霊とは直接触れ合えるんでしょうか……?」
「私に聞かないでよぅ」
 椿の言葉に由里が情けない声を上げた。



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