昼食後。椿は気を取り直して売店に戻ると、今日も春公演用のグッズの準備に精を出した。 初日までに全てのグッズを揃え、当日それを店頭に並べやすいように、種類ごとにまとめて置いておく。 「えっと、パンフレットは昨日入ったし、ブロマイドとポスターも大丈夫。よし、これで後は春公演初日を待つだけね」 全てのグッズを整理し終えると、椿はふっと息をついた。 そこでその人影に気づく。 「いらっしゃいませ!」 そして、すぐさま元気良く声を出す。 「あ、久しぶりっ」 続いて、その人影の顔を認めると、喜びと驚きが混じった様な笑顔でそう声をかけた。 「うん」 そう返事を返した人影は少年。年のころは12、3歳くらいだろうか。椿も良く顔を覚えている、いわゆる常連客の1人だった。 彼はいつも花組ファンだという母親と連れ立って、劇場に訪れている。 連れられて来ている内に彼も花組のファンになったらしく、いつも元気な顔を売店にも見せに来ていた。 公演のない日でも時折母親と食堂に食事に来たり、売店に立ち寄って椿と話をしたりしていた。 それが去年のクリスマス公演以来、姿を見せなくなっていたので、椿は少し気にしていたのだ。 それというのも、今年初めの武蔵との戦い。帝都への降魔襲撃。 花組や椿達風組、そして月組。帝国華撃団の総力を上げて決死の戦闘を繰り広げたが、救えない命も少なくはなかった。 帝劇の常連客の中にも命を落とした人間がいると、他の常連客達からの噂で耳にしている。 そんなことがあり、今年に入ってまだ姿を見せていない常連客を椿はとても心配していたのだ。 「良かった。無事だったのね」 思わずそんな言葉が出る。 「うん」 そう少年が首を縦に振るのを見て、椿は思わず笑みをこぼした。 「春公演グッズももう全部入荷してるんだよ。もうすぐ初日だね」 少年が無事なことが分かると、嬉しくて椿は少年が喜ぶと、春公演の話題を出す。 「春公演は来れないかもしれない」 だが、少年はそう返した。 椿はその少年の表情が沈んだものであることに気がつく。 「どうしたの?」 少し小首をかしげ聞いた。 「引っ越すんだ。初日にはもう帝都にいないかもしれない」 「え? どうして? どこに行くの?」 不意の答えに椿は反射的に聞き返す。 「山梨の爺ちゃんのところへ行くんだ」 ぶっきらぼうに少年。 そこで椿は、いつも少年の隣にいる人物がいないことに気づく。 いつも仲良く連れ立って来ていた母親の姿が見えない。 加えて祖父のところへ行くという言葉。 椿は不安になりながらも口を開いた。 「お母さん……?」 少し言いにくそうに椿。 「死んだ」 きっぱりと少年。 声のない椿。 「正月の化け物騒ぎに巻き込まれて、怪我して、入院して……、けど、やっぱりだめで……、先週…………」 少年が悲痛な表情を見せる。 「あ、あ……」 少年の表情がいたたまれなく、かける言葉を探す椿。 「父ちゃんは昔黒之巣会の人型蒸気にやられちまったし、母ちゃんは降魔にやられちまった。おいら、もう帝都がイヤになった」 だが、少年は悲痛な表情のまま言葉を繋いでいく。 「お父さんも……」 椿はハッと息を飲む。 確かに今まで姿を見たことはなかったが、まさか父親が亡くなっているとは思っていなかった。 しかも、黒之巣会の手にかかって。 「母ちゃんが良くなったら春公演一緒に見に来ようって……」 言いながら、少年はズボンのポケットをごそごそと探り始める。 やがて、そこから紙片を取り出すと、 「おいら1人でなんて見たくないや!」 取り出した紙片をくしゃっと握りつぶして椿に投げつけた。 カサッ。 丸められたそれが椿に当たって床に落ちる。 「あ」 少年は投げつけてから、自分がした行為に気づいて短く声を上げる。 「あ、ごめん。おいらついカッとなって……」 少年がそう口を開いた矢先、 「ごめんね。ごめんね。ごめんね……」 椿が涙を浮かべながら、少年を抱きしめた。 「え」 少年は椿のその行為と、椿の言葉の意味が分からずに呆然とする。 「ごめんね……」 椿はただそれだけ繰り返した。 「お姉ちゃんは何も悪くないよ。おいらこそ投げつけたりして、悪かったよ」 戸惑いながら少年。 「もう分かったから、放してよ」 抱きしめられているという気恥ずかしさもあり、少年は少し慌てた口調になる。 やがて落ち着きを取り戻した椿が少年から体を離すと、目に涙を溜めたまま笑顔を作って見せる。 「あは、ごめんね。私の方こそ取り乱しちゃって」 笑顔で言う。 「別に、いいよ。……でも、どうしてお姉ちゃんが謝るのさ?」 と、素直に少年が疑問を口にした。 「それは……」 自分が帝国華撃団の一員だからとは、椿に言うことは出来ない。 秘密部隊である帝撃の一員だと言うことは出来ない。 「私、余計なこと聞いちゃったから。それなのに何も力になれなくて……」 そんなことを言う。 それだけで? と人は思うだろう。だが、椿がさっき見せた涙とごめんねという言葉が、心からのものだとは少年には良く分かった。 「もう、いいよ」 それだけ少年は返した。 「これ」 椿は床に落ちたそれを少年に差し出す。 「これは、もう…………」 それを見て少年がそう言うが、 「帝都がイヤになっちゃったのは、悲しいけど今は仕方ないと思うわ。でも、帝劇まで嫌いにならないでほしいの」 椿は真っ直ぐに少年を見つめる。 「…………」 春公演の前売りチケット。 少年は2枚あるそれの1枚だけを受け取った。 「1枚だけでいいから」 そう言う少年が、椿は悲しかった。 |