支配人室。
顔なじみの酒屋で手に入れた大吟醸酒『見返り美人』を冷でやっている。
コンコン。
ドアをノックする音が聞こえ、米田はお猪口を運ぶ手を一旦止める。
「おう、入ぇんな」
そしてそう声をかける。
「失礼します」
ドアが開くと、そう言ってかえでが入ってきた。
手には書類の束らしきものを抱えている。
「おう、かえでくんか」
かえでを確認すると、止めていた手を口に運び、見返り美人を流し込んだ。
「支配人。この書類に判をお願いします」
かえでは米田の前に立つと、手に持っていた書類を米田の机の上に置いた。
「すまねぇな、副支配人の君にそんなことさせちまってよ。また陸軍から秘書を1人貰っても良いんだぜ?」
机の上に置かれた書類に目を落とすと、米田がそう言った。
「いいえ、これも仕事ですから。それに、もう秘書は懲り懲りなんじゃありませんか?」
言うと、かえでは笑顔を見せる。
「そうでもねぇがな・・・」
その笑顔を消さないように、米田は小声でそう呟いた。
「さて、事務局にも顔を出さないといけませんので、これで失礼します」
聞こえなかったのか、聞こえない振りをしたのか、かえでは変わらず笑顔のままでそう言うと、踵を返して部屋から出て行った。
それを見送ると米田は、ふうとため息をついて目の前の書類を見つめた。
書類に目を通しながら、一枚一枚判を押していく。机に座ってする仕事があまり好きではない米田にとって、それは退屈な時間だった。
少し前までなら、側にはいつも話し相手がいたし、酒のお酌もしてもらえた。
そう考えて、米田はふと手を止める。
そして、机の引き出しを開けると、写真を一枚取り出した。
かえでや他の連中の手前、大っぴらに机に飾ることは出来ないが、そこには少し前まで米田の秘書をやっていた人物が写っていた。
米田がまだ入院中に、見舞いに来た花組の皆と病室でやった宴会の時の写真だ。
ベッドの上であぐらをかいて高笑いをしている米田。その周りには大神をはじめ、花組の皆の笑顔があった。
米田の横にはその女性がにこやかに笑っており、知らない人が見れば父と娘にも見えたことだろう。
「おめぇのことが、皆まだ忘れられねぇとよ」
そこに写る笑顔に米田がそっと呟く。
「かえで君はチトおめぇさんのことが気に入らなかったようだがよ」
言って苦笑いを見せる。
「かすみと由里がまた手伝ってほしいとよ」
「レニが良い顔で笑うようになったぜ」
「大神の野郎が困ってたな」
「さくらがおめぇの言ってた入浴剤買ってきてたぜ」
「俺もおめぇが言ってた千葉の酒、さっき買ってきたところだ」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・」
11月9日。
太正維新軍のクーデター勃発。
裏で糸を引く黒鬼会を殲滅することにより、それを鎮圧。
黒幕である京極慶吾は自害して果てた。
その1週間後。11月16日。
未だクーデターの爪跡が残る大帝国劇場に小包が届けられる。
その宛名を見て、全員がいぶかしげな顔を見せたが、米田はその差出人に心当たりがあり、大丈夫だと言ってそれを受け取った。
小包の宛名は影山サキ。差出人の名前は霧崎桐子とあった。
あの日、サキが優しく頭を撫でてやった泣いていた子供が、そう名乗ったのを米田は覚えていた。
桐子は誕生日のお祝いに母親に連れられて、大好きな花組の芝居を観に来たと言っていた。
サキが桐子におめでとうを言うと、桐子がサキの誕生日を聞いてきた。それにサキが答えると、プレゼントを贈ると桐子は言った。
母親を見つけ桐子を引き渡すと、桐子はありがとうと言って笑顔を見せた。
サキも笑顔で桐子を見送った。
小包は桐子からサキへの誕生日プレゼントだった。
米田がその箱を開けると、中には漆塗りの綺麗な櫛が入っていた。
それを取り出すと、米田はそれを見つめ呟いた。
「こりゃあ、おめぇの髪に良く似合うぜ」
影山サキ。22歳の誕生日である。