中庭でレニとアイリスがフントと遊んでいる。
『青い鳥』公演を終え、2人は前にも増して仲良くなり、傍目に見ると、まるで姉妹のようにも見えた。
レニもすっかりフントと打ち解けて、楽しそうに笑っている。
2人と1匹は一緒になって駆け回り、投げたボールをフントに取りに行かせたり、それをくわえたまま走り出したフントを2人で追いかけたりして、楽しそうに遊んでいた。
「はあはあ。アイリス疲れちゃったよ」
アイリスがそれでも笑顔でそう言うと、少し休もうと言ってレニを誘い、ベンチに腰掛けた。
「アイリス、走るのが速くなったね」
アイリスの隣に腰をおろすと、レニが言った。
「えー、そうかなぁ?」
レニの言葉が意外だったらしく、アイリスが驚く。
「ああ。初めて会ったときと比べると、少しだけど運動能力が上がっている。たぶん、体が成長しているからだと思う」
レニは言うとアイリスに微笑んだ。
「わぁ、そうなんだ。アイリス成長してるんだね」
本当に分かっているのか、アイリスは嬉しそうに言うと満面の笑みを見せた。
「人間は人形じゃない。成長する生き物だからね」
そのアイリスに微笑んだままにそう言って、レニはふと自分の言葉にその人を思い出した。
『わたしの可愛いお人形さん』
「あ」
不意に頭に浮かんできたその言葉に、レニは声を漏らす。
「レニ?どうしたの?」
アイリスがそんなレニを不思議に思い、首を傾げた。
「ううん、何でもない」
そう言って、レニはアイリスに微笑んだが、頭の中にはまだその人の姿が残っていた。
『あなたは戦うために生まれた戦闘機械』
そう言って冷ややかに笑うその人の顔がレニの脳裏に浮かぶ。
キュンと胸が苦しくなり、レニの顔から笑みが消えた。
アイリスの横で見る見る顔色をなくしていく。
「レニ!レニってば!」
アイリスの呼ぶ声。
「!」
ハッとしてレニは我に返った。
「どうしたの、レニ?」
アイリスが心配そうにレニの顔を覗き込んだ。
「あ、・・・何でもない・・」
そのアイリスの不安そうな顔を見て、レニはそう言って作り笑いをする。
「アイリス、レニがそんな顔すると、また昔みたいに笑わなくなっちゃうかと思って、心配になっちゃうよ」
本当に心配そうな顔をして、アイリスがレニを見る。
「アイリス・・・」
その感情が伝わってきて、レニは思わずその名を口にした。
『あなたは私に似ているわ』
その人はそう言った。
レニはその人に心を支配された時、少しだけその人の心にも触れたような気がした。
誰か1人だけを想い、慕い、信じている。それでいて空しく、儚く、切ないような気持ち。
一方通行の想い。ただ、生まれるだけの感情。それは育まれることはなく、どこかに消えてしまい、返ってくることはない。
レニを捕らえても繋ぎとめておくことは出来ず、惹かれ合う者同士の想いにその術は破られた。
ただ奪われるだけ。求めることは罪なのかと。
その人は1人であることを誇りに思い、消えていった。
レニはその人と自分は、本当に似ているのかもしれないと思う。
だけど、その人が虫唾が走ると言ったものが、レニを守っている。
仲間。仲間がいる限り、レニはその人になることはない。
「ごめん、アイリス。でも、大丈夫。ボクは人形じゃない、人間だから」
そう言って笑うレニの顔は、本当に生き生きとしていた。
「うん!」
それを見て力いっぱい頷くアイリスの顔も、また同じように生き生きとしている。
“ボクは、あの人の本当の笑顔を見たことがあるのかな?”
レニはふとそんなことを思った。
事務局を出た米田は、廊下の窓から見える中庭の風景を微笑ましそうに眺めながら、玄関に向かって歩いていた。
玄関の方、その手前、売店からその声は聞こえてきた。
「おいモギリ。最近あのお姉さん見ないけどどうしてるんだ?」
そう大神に尋ねているのは、帝劇の常連客の1人、武田だった。
「椿ちゃんは今休暇を取っているんです」
それに大神が笑顔で答えた。
公演のない時期、大神はモギリの仕事がない為、事務局や売店を手伝っている。
椿が秘密任務で帝劇を留守にしている間は、つぼみ1人では心もとないので売店を手伝うことが多かった。
「はい。椿さんは休暇なんです」
そのつぼみが大神の横で大神の言葉を繰り返した。
「椿ちゃんじゃねぇよ。ほら、あの、特別公演の『眠れる森の美女』の時に売店にいたお姉さんだよ」
武田は言いながら大神に詰め寄った。
「え、あ、その・・・。誰ですか?」
と、大神が冷や汗混じりにそうとぼけてみせた。
「ほらあ、髪の長い、黒いスーツの美しい女の人がいただろう!?」
更に大神に詰め寄って、武田が大声を上げた。
当然大神には、武田が誰のことを言っているのか良く分かっていた。だが、彼女の行方を言うわけにもいかず、元来真面目な性格の大神は嘘をつくことに慣れておらず、咄嗟にうまい言い訳が出てこなかった。
「ああ、あの方は退職してご実家の方に帰られました」
大神がしどろもどろで答えに困っていると、横からつぼみが笑顔でそう答えた。
「え」
大神と武田が同時に声を上げた。
まさかつぼみが助け舟を出すとは予想外だったので、大神は思わず声に出てしまったのだ。
「退職したー!?なんてこったい!俺ぁあの人のファンだったのによう。おいおいおい」
つぼみの言葉がよっぽどショックだったのか、大神が一緒に驚いたことなど気にもせず、武田は思わずおいおいと泣き出してしまう。
「あらあら、武田さん。どうしたんですか?」
そこへ後ろから声がかかる。
「さくらさん」
その声に振り向いた武田がそう言った。
見ると、さくらとマリアが買い物袋を抱えてそこに立っていた。
「西村さんにでも苛められたんですか?」
マリアが冗談交じりに笑顔でそう言うと、
「その方がよっぽどマシでさぁ・・・」
武田はガックリ肩を落としそう返した。
すると、トボトボと歩き出す。
「お帰りですか?」
さくらが声をかける。
「また来まふ」
それだけ言うと武田は帰ってしまった。
「何があったんです?」
マリアが不思議そうに大神にそう聞くと、
「ちょっとね」
大神が苦笑いでそう答えた。
その後に、つぼみに助かったよと声をかける。
それに、えへへと笑うつぼみもまた、帝劇の一員なのだと大神は思った。
「おう、何買ってきたんだ」
と、そこへ米田が現れた。
「あ、支配人。見て下さい」
米田を見つけると、さくらが嬉しそうに買い物袋からそれを取り出した。
「ほら、入浴剤です。『熱海の湯』なんてのが発売されたんですよ。珍しくて思わず買っちゃいました」
『熱海の湯』を取り出すと、さくらが満面の笑みでそれを見せる。
「おう、それか。そうか、買ってきたか」
と、米田がほほう、という顔をする。
「あら、支配人ご存知だったんですか?」
と、さくら。
「おう、ちょっとな」
それに米田が答えると、
「そうですか。あたしはマリアさんに教えてもらったんです」
さくらはそう言って、ふふふと笑った。
「あら、私に教えてくれたのさくらじゃなかった?」
そのさくらの言葉に、マリアがそう返した。
「え?あたしマリアさんに聞いたと思ったんですけど・・・」
「私はさくらに聞いたと思ってたけど、記憶違いかしら。秋公演は公演前からバタバタしていたから、その時のことはっきりと覚えていないわ・・・」
そこで2人は顔を見合わせると、少し間を置いた後、何かを思い出したように、あっと言う顔をした。
「それじゃ、俺は行くぜ」
その2人を横目に米田は言うと、玄関の方に歩き出した。
「あ、支配人どちらへ?」
その米田の背中に大神が声をかける。
「ちょっくら美人の顔を拝みによ」
肩越しに大神に振り返りニヤリと笑うと、ヒラヒラと手を振って米田は出て行ってしまった。
「美人?」
米田の残した言葉に、一同は首を傾げた。