次の日もマリアは大神と共に東雲の神社に足を運んだ。
テンテンテン。
2人が鳥居をくぐると、前から小さな手毬が転がってきた。
マリアがそれを手に取ると、小さな女の子が駆け寄ってくる。神社の境内で鞠遊びをしているのだろう。
「はい」側まで来た女の子の目線に合わせる為にその場にしゃがむと、マリアは微笑んで手鞠を女の子に渡した。
「ありがとう」礼を言い、小さな女の子は振り向き戻って行く。
その先に彼女の姿が見えた。
杏だ。
杏はマリアと大神の姿を認めると硬い表情を見せたが、東雲に2人は悪い人間ではないと教えられたのであろう、それでもか細い声で「こんにちは」と言った。
それにマリアと大神も笑顔で挨拶を返すと、鞠遊びをする女の子と杏の側に近寄って行った。
杏は巫女の格好をしており、聞くと神社の手伝いをしていると言う。
大神は例によって可愛らしい杏の巫女姿に鼻の下を伸ばしたが、マリアの咳払いで我に返った。
小さな女の子は名を桐子(とうこ)といい、両親が共働きで、昼間はいつもこの神社に来て杏と遊んでいるのだという。杏にとっても無邪気な子供と遊んでいる時は、不安な気持ちから開放されるのかもしれなかった。
「お姉ちゃんも混ぜてくれる?」マリアが女の子に聞くと、
「うん、いいよ」と桐子は素直に答えた。
「いいでしょ?杏さん」マリアが杏にも聞くと、少し戸惑いながらも杏はそれに頷いた。
桐子に手毬歌を教わりながら、マリアがテンテンと鞠をつき、杏がそれを微笑んで見つめる。
大神はその微笑ましい光景を見て、思わず顔をほころばした。
「みゃー」と、そんな声が聞こえた。
「ん?」大神がその声に顔を上に向ける。
そう、その声は大神の頭上から聞えてきた。当然人ではない。小さな子猫が大神の頭上に伸びている木の枝にしがみついて声を上げていた。
「あっ!」大神がそれを見つけ声を上げると、鞠遊びをしていたマリア達もそれに気付いて大神の視線の先に目をやった。
「にゃんこだー」桐子が思い切り顔を上に上げ、木の枝の子猫を見つけると言う。そして珍しそうにポカンと口を開け、それを見つめている。
「降りられなくなったようね?」杏が独り言の様に呟いた。
「隊長?」マリアもその子猫を見ると‘どうします?’という意味でそう聞いた。
「よし」大神は少し考えてからそう言うと、その木に掴まってよじ登り始めた。
マリアや杏、桐子の見守る中、大神はそろそろとその木に登って行く。
やがて子猫のいる枝の高さまで登ると、その枝に沿って今度は横に移動を始めた。
「みゃー」子猫は近寄ってくる見たこともない人間に怯えながら声を上げると、そろそろと後ずさりを始めた。
「おい、ジッとしてろよ」大神が独り言を呟きながら、子猫に向かって手を伸ばしつつ近づく。
やがて子猫も後ずさりしようにも後が無くなると、観念したのかその場にうずくまって大神の方を見つめていた。
「みゃー」と大神に向かって子猫が鳴いた時、大神の手がついに子猫を捕らえた。
「ふぅ」大神がそう一安心して息をついた瞬間、ミシッと言う音が聞えたかと思うと、次の瞬間にはボキッと大きな音に変わり、木の枝がその中程から真っ二つに折れてしまった。
「あっ!」マリア達がそう叫んだのも束の間。ドシーン、と大神は地面に落下した。
なんとか子猫は救ったものの、木から落ちた拍子に大神は足をひねってしまい、歩けないほどではないが、足を引きずってしまう程度には痛かった。
杏の好意で手当てをさせてもらう事になり、客間に上がらせてもらうと、杏が救急箱を用意する。
「応急処置しか出来ないけど、とりあえず湿布を貼っておきましょうね」杏が救急箱を開け、湿布を取り出すと大神に微笑んで言った。
「あ、ありがとう」大神がそれに照れながらそう答える。
「手伝いましょうか?」マリアが杏に尋ねるが、
「1人で大丈夫ですよ」そう返されたので、見ている事にした。
「なんかくちゃーい」子猫を抱いて、桐子が湿布の匂いにそう声を上げると、皆くすくすと笑いあった。
「さぁ、足を出して」と杏が大神に言い、大神がそれに従う。
「・・・さぁ、これでいいワ」そして湿布を貼り終えると笑顔を見せた。
「ああ、冷たくていい気持ちだ。ありがとうサキ・・・」そこまで言って大神は自分の言葉に気付き、ハッとした。
「えっ?」杏は大神の言葉が聞き取れなかったらしく、そう聞き返す。
「あ、いや。なんでもないんだ。ありがとう」大神は苦笑いで誤魔化した。
「どういたしまして」杏は少々合点がいかない風だったが、大神の言葉に素直にそう言う。
「・・・・・」マリアは気付いたようだが、当然黙っていた。
「みゃー」桐子の腕の中で子猫が鳴いた。
「こら、もう高い木に登ったりしてはダメよ」その声を聞くと、桐子の腕の中にいる子猫の鼻を、人差し指でつんと突つきながら杏が笑った。
「大丈夫だもん。桐子がお世話するんだもん」杏の言葉に桐子がそう答える。
「じゃあ、もうその子を危ない所に行かせちゃダメよ」杏がそう言うと桐子は力強く頷いた。
可愛らしい桐子と杏のやり取りに、マリアも大神も微笑んだ。
神社を出ると大神は不意に黙りこんだ。
「・・・隊長?」マリアがその大神を不思議に思い、首を傾げた。
「ん?ああ、ごめん。ちょっと思い出してたんだ」
「思い出していた?何をです?」マリアが興味深そうに尋ねる。
「去年の夏、マリアがニューヨークから帰ってくる少し前に、帝劇で飼ってる小犬を助けた話はしただろ?」
「はい。あの京極の乗っていた車から隊長が小犬をかばったという話ですね」
「ああ。その時も俺足をひねってしまったんだ。でも、医務室に寄った時にサキくんがいてね。俺が足を引きずっているのを見たら、さっきの杏さんみたいに湿布を貼ってくれたんだ。その時聞いたセリフと全く同じセリフを今日も杏さんが言ったから、俺無意識にサキくんって呼んじゃっていたよ・・・」そこでまた大神はさっきと同じ様に苦笑いを見せた。
「そんな事があったんですか。それで・・・」マリアはなるほどと頷くと、ある事に気付きに再び口を開ける。
「でも、その時彼女は『影山サキ』だったはず・・・」と大神の顔を見る。
「そう。敵である俺が足を引きずっていようが『影山サキ』なら放っておけば良かったんだ。でも、あの時はサキくんの方から俺に湿布を貼ってくれたんだ」
「でも、それはそうする事で隊長の信頼を得ようとしたとも考えられませんか?」マリアが1つの可能性を口にした。
「確かにそれも考えられる。だけど、それまでの『影山サキ』の行動を考えると、今思うとそれはないように思えるんだ。上手く言えないけど、あの時俺に湿布を貼ってくれたのは本当の『彼女』だったんじゃないかって。だから、記憶のない今もあの時と同じセリフが出てきたんじゃないのかってね」大神はそこまで言うとマリアの顔を見つめた。
「『影山サキ』でも『水狐』でもなく、本当の『彼女』だったと?」マリアがその大神の瞳を見つめ返す。
「ああ、そう信じたいんだ」大神はマリアを見つめたままにそう言った。