結論を先に言うと、杏は黒鬼会五行衆が1人、水狐と同一人物である。
まず、マリアと大神が自分達が帝国華撃団の一員である事を打ち明け、杏が帝撃に潜入していた黒鬼会五行衆の水狐にうりふたつである事を話すと、東雲も杏について話し始めた。
杏が東雲の本当の娘ではない事、丁度あの去年9月の池袋での水狐戦の後に、東雲が全身に火傷を負った女性を助けた事、その女性は記憶がなくなっていた事など。
それで、マリアと大神は杏が水狐である事を確信した。
あの爆発の中、水狐が火傷を負いながらも一命を取り留めたのは、彼女の水を操るというタイプの霊力の力が大きかったといえる。魔操機兵宝形の爆発に巻きこまれながらも、無意識の内に自分の体の周りに水のバリアを張り、その爆炎の威力を緩和したと予想できた。
これは紅蘭やさくらにも備わっている自己防衛能力に似ており、紅蘭は辛亥革命で無意識の内に全ての流れ弾を逸らし、さくらは太正12年9月の帝劇地下で、大神を爆発から守る為にその力を発動している。
アイリスやマリアも形は違うが無意識に身を守る為霊力を発動していた事が、賢人機関の記録に記されている。
東雲は元々神社の神主という事もあり、霊的な力には敏感である。東雲自身は弱い霊力しか持っていないが、他の霊的なものに対しては敏感に感じる事が出来るようだ。
花組の中でも、すみれは特に微かな霊力も感じる事が出来る。太正12年8月に大神、カンナと共に深川の廃屋に潜入した時も、他の2人には感じられなかった不思議な力を感じ取っていた。東雲の霊力はすみれのそれに近いものなのだろう。
そして東雲は戦闘後にすみれも感じ取れなかった程の、虫の息の水狐の弱まった霊力を感じ取り、それを助けたのだ。
当然東雲がその女性を黒鬼会の水狐などと知るはずもなく、いやしくも神に仕える身、放って置くなど出来るはずもない。そして、意識を取り戻せばその女性に記憶はなく、霊力は完全に失われ、やむなくこの神社で娘として保護する事に決めたのだ。
「それで、あの娘をどうするおつもりです?」全てを知ると東雲がマリアと大神に聞いてきた。
「黒鬼会の一員だったあの娘を連れて行き、牢にでも監禁なさるのですか?」
「いや、それは・・・」大神は言葉に詰まった。
正直『水狐』が生きていたとなれば放っておく訳には行かない。だが、今の彼女は『杏』だともいえる。霊力を失い、記憶すら失った彼女を捕らえる事が正当な判断なのかどうか大神には分からなかった。
事実、マリアと共に『杏』を追っていた時にちらりと見た『杏』の表情は明らかに『水狐』のそれとは違い、心からの怯えが見て取れた。
それこそが『彼女』の本当の顔なのかもしれないと大神は一瞬思った。
「しばらくの間、彼女を預かっていて頂けますか?」大神の出した結論はそれだった。
「隊長!」マリアがその言葉に抗議の声を上げた。
「私は反対です。霊力が失われているとはいえ、彼女は水狐なんですよ。今は失われている記憶もいつ戻るか分からないんです。記憶が戻った途端、私達に何らかの報復に出るかもしれません。霊力がなくても、米田長官を襲った射撃の腕は隊長もご存知のはずです」多少声を荒らげマリアが大神に言う。
「マリア。記憶を失うって事はたぶん、すごくつらい事だと思うんだ。自分が何者なのか、過去に何をしたのか、どうやって生きていけば良いのか、全ては闇の中だ。彼女は今孤独だと思う。その彼女を水狐として捕らえて良いとは俺には思えないんだ」大神はマリアの顔を見つめると、優しい表情で自分の気持ちを伝えた。
「隊長・・・」マリアにはその言葉の意味が良く分かった。
マリアにも孤独な時代があった。つらかった。淋しかった。それが自分で望んだものだとしてもだ。
だが、『杏』は望んで孤独になった訳ではない。確かに『水狐』として生きた頃の償いといえばそれまでかもしれないが、大神は『水狐』として生きる事になるまでの事すら言っているのだ。
もしこのまま記憶が戻らなければ、彼女は『水狐』でもなく、『影山サキ』でもなく、『杏』として幸せに生きていけるのではないか。それはそれで良いのではないかと。
「分かりました」マリアはポツリとそう呟いた。
「ありがとうございます」今まで黙って2人のやりとりを聞いていた東雲が、深々と2人に頭を下げた。
今日の事はしばらく2人の胸に秘めておくことになった。米田やかえでに言ってしまえば、彼等の立場上、杏を捕らえると言うだろうし、花組の皆に知られても動揺させるだけだ。特にレニに水狐が生きていると知られるのは、あまり良い感情を与えないだろう。
せっかく京極を倒し、黒鬼会を壊滅させ、帝都に平和が戻り、街にも復興の兆しが見え始めたと言うのに、余計な心配をさせたくはない、その大神の心遣いに素直にマリアも賛成した。
パタン。
今日の日記を書き終えると、マリアは日記の表紙を閉じた。
マリアはもう15年以上日記を書き続けている。きっかけは、まだ両親が健在なロシア時代だった。
マリアの父ブリューソフは外交官であった。そのブリューソフが日本へ赴任中に見初めたのが母、須磨である。駆け落ち同然でロシアに連れ帰ったものの、当時の時勢は2人に正式な結婚を許してはくれなかった。
一緒に住むことを許されず須磨は、首都ペテルブルクを遠く離れたキエフに愛人同然の生活を強いられ、そこでマリアを生んだ。
マリアが生まれて1年も経たない内に、日露戦争が始まり須磨はスパイ容疑で憲兵に逮捕される。それをかばったブリューソフ共々マリアはシベリアの流刑地シュシェンスコエ村で9歳まで生活する事になる。
流刑地とはいえ一家3人一緒にいられる事を須磨は嬉しくも感じたが、過酷な労働はそれ以上に3人に重く圧し掛かった。
そんな中、須磨はしばしば故郷日本を思い出す事があった。まだ女学生の内にロシアに渡り、それから2年間は夫と暮らす事許されず、一緒に暮らし始めればそこは流刑地。懐かしく少女時代に想いを馳せるのも仕方のない事だったかもしれない。
軽いホームシック、その想いを和らげる為に須磨は日本語で話す相手を求めたが、その内ブリューソフに飽き足らず、まだ口を利き始めたばかりのマリアにまでその相手を求めた。流刑地で娘に敵国の言葉を教えるなど見つかれば死罪も免れなかっただろう。だが、須磨の精神の平常を保つ為、ブリューソフはそれを黙って見ているしかなかった。
幸い3人で1つの部屋を与えられており、部屋以外で日本語を話しさえしなければばれる事はなかった。
5つになるとマリアはすっかり日本語で会話が出来るようになり、須磨も故郷の事を話す時は必ず日本語を使った。そして、今度は文字を教え始める。流石にブリューソフも証拠が残る読み書きの勉強には難色を示したが、いつ死ぬとも分からないこの状況で、須磨にとってそれはすでに生きがいとなっていた。それを取り上げるなどブリューソフには出来なかった。
一通り読み書きが出来るようになると、マリアは須磨に勧められ日記をつけ始める。とはいえ毎日単調な労働の繰り返し、書く事などたかが知れていた。それでもマリアは日記を書いて見せた時の母の笑顔が嬉しくて、毎日覚えたてのひらがなや漢字を使ってみせては母を喜ばせた。見もしない夢をでっち上げたり、少しの事を大げさに書いたりもした。後に帝国歌劇団花組の中にあって、マリアが脚本に手を入れる事を許されているのも、この時分から空想やそれを上手く書き上げる術を身に着けていたからだろう。
そして、現在でもマリアは日記を続けている。流刑地でのつらい両親との死別。革命軍に加わり『クワッサリー』と呼ばれていた頃。破滅を待つ為だけに生きたニューヨーク。帝国華撃団花組としての新しい自分。全てを自分の手で書き綴ってきた。
母に勧められた日記。母の死後はそれを書く必要はなくなった様にも思えたが、いつしか日記を書いている時は冷静に自分を見つめる事が出来るようになったし、その日出会った人間を思い浮かべながら筆記していると、その時は分からなかった言動の意味も後になって分かったりする事があった。今の冷静で思慮深いマリアの性格を作り上げたのは母に勧められた日記の影響が強いのかもしれなかった。そしてそれ以上に日記を書きつづける事は、マリアにとって亡き母への愛情表現でもあったのだ。
閉じた日記を机の前の棚に仕舞うと、マリアはふと同じ棚にある古い日記に手にやった。古いといってもほんの4年ほど前のものだ。15年以上書き続けているといっても、その全てが残っている訳ではない。流刑地時代の日記は流刑地を抜け出す時荷物になるので置いてきたし、革命軍時代の日記は全て戦火に焼けてしまった。今手元に残っているのは、ニューヨーク時代に書いた一部の物と帝撃の一員となってからの物、ほんの4・5冊だけだ。
マリアはふとこうして古い日記を手に取る事がある。昔を懐かしむというのもあるが、過去があるから未来を見据える事が出来るという事をその体で覚えてきたからだろう。
マリアが手に取ったのは、ニューヨーク時代の終わり頃の物だった。
1枚1枚ページを捲っていき、そのページでマリアは手を止めた。
『あやめ。母以外では初めて知る日本の女性。強さの中にも儚さを感じる。日本の女性というのはそういうものなのだろうか?』どこか詩篇の様な文章がマリアらしい。日本語で書かれた文が余計にそう感じさせた。
マリアはロシアにいた時も、ニューヨークにいた時も、日記だけは日本語で書いていた。それも母への愛情である。
その日の日記はそれだけだった。マリアが初めて藤枝あやめに出会った日に書いた物だ。それがマリアのあやめに対する第1印象。
“あやめさん。彼女がいなければ今の私はあり得なかった。あの人に会わなければ、未だに私はニューヨークで用心棒まがいの仕事をしていたかもしれない。いや、もう死んでいたのかも・・・”マリアはそう思った。