みずとこおり



 太正15年2月。まだ冬の寒さ厳しいある午後の事。

 買い物客で賑わう帝都銀座を、1人の麗人が駆け抜けて行く。その姿を見つけ街行く人々の何人かが、帝国歌劇団花組のマリア・タチバナだと気が付き振り返ったが、マリアはそれに目もくれなかった。
 いつものマリアなら声を掛けてくれる帝劇ファンに、愛想笑いの1つでも返しただろう。だが今は、同じ花組でも帝撃、帝国華撃団花組のマリア・タチバナとして、それほどの余裕は無かった。
 マリアが走っている理由。目の前を行く女性がそれだった。
「隊長。本当に彼女は・・・」不意に沈黙に耐えられなくなって、マリアは隣りを一緒に走る大神に声を掛けた。
「分からない。だけど放って置く訳には・・・」それに帝国華撃団花組の隊長、大神一郎がそう答えた。
 マリアも大神も一様に険しい顔をしている。彼女の存在が2人をそうさせていた。
「待ちなさい!」思わずマリアの口から檄が飛ぶ。
 マリアと大神の前を行く女性はちらりと2人に振り向いたが、すぐにまた前を向き足を進める。
 その女性は和服を着ており、美しいさらさらと流れるような黒髪が、背中の中程まで伸びている。後姿からでもそのスタイルの良さが伺え、走るリズムに合わせてめくれる着物の裾から覗くふくらはぎが、若い大神には眩しかった。
 そしてその女性にマリアも大神も見覚えがあったのだ。

 どれくらい走っただろう。その女性は不意に大通りを外れると、細い小道へと続く角を曲がった。それに続きマリアと大神もその角を曲がる。
 小道に入ると左側に面して小さな鳥居が見える。どうやら神社があるらしい。
 和服の女性がその鳥居をくぐり、神社の中に入っていくのが見えた。
 それに続いて、マリアと大神も神社の中に駆け込んだ。
 鳥居をくぐると神社ではお決まりの砂利道で、その両脇には大きな木が植えられている。右側には大木が林立していたが、左側の木々の間には1本細い道が続いていて、その向こうにやはり神社にはつきものの小さな池が見えた。
 脇には逸れず真っ直ぐに行くと、すぐに本殿らしき建物が見える。その前に和服の女性の姿があり、何か叫んだ様だが、マリアと大神には何を言っているのか聞き取れなかった。
「もう後が無いわよ」マリアがそう言って和服の女性を睨み付けた。
 マリアの眼力に、その女性が怯えているのが手に取るように分かる。
「わ、私が何をしたって言うの・・・」それでもその女性は、か細い声でそうマリアに返した。だが、その目には恐怖が見て取れる。
「マリア」不意に大神がマリアに声を掛けた。
 その声に大神の方に目をやって、マリアはなぜ呼ばれたのか悟る。本殿の裏手から人影が現れたのだ。
「私の娘に何か用かね?」落ちついた、それでいて迫力のある声だった。
 先程和服の女性が叫んだのは、この人物を呼んでいたのだろう。
 その人物は神官着を纏い、どこか風格が漂う男だった。この神社の神主といったところか。
「娘?」マリアが驚きの声を上げる。
「えっ!娘さんですか?」大神も同様に驚いて見せた。
 神主風の男はマリアと大神をまじまじと見つめると、何かに気付いたような表情をチラッと見せる。
「私はこの神社の神主をしている、東雲(しののめ)と申す者。貴方方は?」そして自分の名を名乗ると、2人にそう尋ねた。
「し、失礼しました。私は大帝国劇場でモギリをしている大神一郎です」大神が神主の言葉にそう返す。
「私はマリア・タチバナです。大帝国劇場で役者をしています・・・」続いてマリアも名を名乗った。
「ふむ・・・」と少し考えるようなそぶりを見せると神主、東雲は続いて口を開いた。
「杏が、娘が何かそそうをしでかしましたかな?」
「いえ、それはその・・・」大神がどう説明して良いか分からず、口篭もった。
「以前、私達の劇場で働いていた女性に娘さんが良く似ていたものですから、つい・・・」流石、帝国歌劇団花組のマリア・タチバナというところか、すっと笑顔を作り咄嗟にそう答えた。
「杏?」いつの間にか東雲の背中に隠れ、その肩越しにマリアと大神を恐る恐る見つめていた和服の女性、杏に東雲が首だけを動かしてその顔を見ると‘知っているか?’という意味だろう、そう聞いた。
 杏は声には出さず、ただ2、3回ふるふると首を横に振った。
「そうか・・・。杏、お前は部屋に戻っていなさい」それを見て東雲は優しく杏に声を掛ける。
「・・・・・」杏は少し不安げな表情を残し振り向くと、足早にその場から立ち去った。
 それを見送るマリアと大神に、東雲が向き直る。
「少しよろしいですかな・・・」そしてそう言った。

 マリアと大神は東雲の部屋に通されると、東雲の娘、杏の事について話を始めた。
「大帝国劇場で娘が働いていたとおっしゃいましたが?」東雲が先程のマリアの言葉を確認する。
「ええ、娘さんかどうか断言は出来ませんが、娘さんにうりふたつの女性がいたことは確かです」マリアが変わらず微笑を浮かべたままに答えた。
「その女性が劇場をおやめになったのは?」そのマリアに東雲が聞き返した。
「去年の9月だったと思います」なぜそんな事を聞くのか?とマリアは思ったが、顔色は変えずに即答する。
「去年の9月・・・」東雲はまたそこで、少し考えるそぶりを見せる。
 しばらく黙りこんだ後、東雲は意を決したように口を開いた。
「単刀直入に聞きますが、その女性もやはり貴方方と同じく強い霊力の持ち主だったのですか?」
「!?」東雲の言葉にマリアも大神もハッとした。
「ど、どうしてそれを?」大神が思わず言葉を漏らす。
「あなたは一体?」マリアも驚きの声を上げた。
「私自身の霊力は弱いですが、神社という霊的な場所で暮らしているとそういった力には敏感になるものです」
「ですが、という事は娘さんにも霊力が?」大神がその言葉の意味に気付き聞いた。
「その前に、貴方方も本当の事を話して頂けますかな?」東雲が真摯な瞳で2人を見つめる。
 その瞳にマリアと大神は顔を見合わせて頷いた。



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