10月の公演は『蛇女火炎地獄』である。主演はすみれとカンナ。
すみれ演じる蛇女ミズチとカンナ演じる蜘蛛男ツチグモが舞台上で大暴れするスーパー歌舞伎だ。
ミズチの吐く毒霧とツチグモの操り出す蜘蛛の糸が子供達に大ウケだった。
その舞台を終え、すみれが楽屋へ引き上げようとしたところへ、アイリスが話掛けてきた。
「ね〜すみれ〜。お願いがあるんだけどな」とアイリスはちょっと甘えるような声を出した。
「なんですの?」すみれがそのアイリスに聞く。
「あのね〜、パパがお手紙と一緒にビスケットを送ってきてくれたんだ。それでね、すみれの入れてくれたお紅茶を飲みながら食べたいな〜って思って」言うとアイリスはえへへと笑った。
「あら、まあまあまあ。わたくしのお紅茶が飲みたいんですの?アイリスも物の味が分かって来ましたわね〜。よろしくってよ。わたくしも舞台で毒霧なんて吐かされてますでしょう?公演後の口直しをしようと思っていたところですの」すみれは妙に嬉しそうな笑顔でそう答えた。
「わ〜い」アイリスがすみれの返事に大喜びする。
「どうしたんだい?」それをたまたま側で見ていた大神が見つけ、アイリスに声を掛けた。
「あ、お兄ちゃん。すみれのお紅茶を飲みながら、パパのビスケットを食べるんだよ」とアイリスが大神に答える。
「ふーん。良かったね、アイリス」と大神。
「うん。ビスケットとお紅茶は良く合うもんね」とアイリスは微笑んだ。
「少尉もよろしかったらご一緒なさいませんこと?」そうすみれが大神を誘った。
「ありがとう、すみれ君。でも、ここの片付けを手伝ったらまた事務室で伝票整理なんだ」と大神が肩をすくめた。
「まあ、そうでしたの。それじゃあ仕方ありませんわね」と少しだが眉をひそめてすみれが大神に答えた。
大神は‘事務室’のところで一瞬だがすみれの表情が変わったのを見逃してはいなかった。
同じ頃。事務室ではかすみと由里が書類の整理に追われていた。
「かすみさ〜ん。そろそろ休憩にしませんか〜?」由里が机の上に積まれた書類の山の間から情けない声を出した。
かすみが由里にそう言われ壁の時計を見ると、15時を少し回ったところだった。
「あら、もうこんな時間。そうね、じゃあお茶を入れましょうか」言うとかすみは席を立ち、お茶の用意を始めた。
「やった〜♪実は今日休憩に食べようと思って、お饅頭持って来たんですよね」由里が言うと机の引出しから饅頭の入った包みを取り出す。
「もう由里ったら」それを聞いてかすみが言った。
ガチャ。
と、その時事務室のドアが開き、あやめが中に入って来た。
「あら、あやめさん。どうしたんですか?事務室に見えるなんて、珍しいですね」由里がそのあやめに声を掛ける。
「ええ、ちょっと大神君を探してるの。見なかったかしら?」
「大神さんなら今舞台裏で親方のお手伝いをしていると思います。その後事務のお手伝いに来てくれる事になっていますから、もうすぐ見えると思いますよ」それに由里ではなくかすみがそう答えた。
「あら、そうなの。じゃあ、待たせてもらおうかしら。今から丁度お茶みたいだし、私にも一杯頂ける?」とあやめが微笑んだ。
「ええ、勿論構いませんよ。由里がお饅頭をご馳走してくれるらしいですし」とかすみも笑顔でそう返す。
「かすみさんの入れてくれたお茶とお饅頭が良く合うんですよ」かすみの後をついで由里があやめにそう言った。
「そう。かすみの入れてくれるお茶はおいしいものね」とあやめはまたにっこりと笑う。
「ありがとうございます」それにかすみがひどく嬉しそうな顔でそう言ったのを、あやめは笑顔で見つめていた。
その次の日も公演は盛況で、舞台を追えた後、今日はすみれからアイリスに声を掛けた。
「アイリス。また口直しにお紅茶を入れますけど、お飲みになりませんこと?」いつになくにこやかにすみれが聞く。
「う〜ん。アイリスの今日のおやつは紅蘭が浅草で買って来てくれたおせんべいなの。だから今日はお紅茶いらな〜い」そんなすみれにアイリスがそっけなくそう答えた。
「あら。お煎餅だとお紅茶はいりませんの?」とすみれ。
「だっておせんべいにはお紅茶合わないんだもん。事務室のかすみお姉ちゃんにお茶を入れてもらうんだ」それにアイリスが素直にそう言う。
「ま!何でしょう。これだからお子様は物の価値が分からなくて困りますわ!勝手になさい!」すみれはアイリスにそう捲くし立てると、プイッとそっぽを向いて歩き出す。
「もう〜、すみれ何怒ってるの〜?」そのすみれの後姿を見ながらアイリスが頬を膨らませた。
その様子を例によって片付けを手伝いながら大神が見ていた。
そしてすぐにすみれの後を追うと声を掛ける。
「すみれ君。良かったら俺に紅茶を入れてくれないかな?」
「あ〜ら、少尉」そう言われすみれが嬉しそうに振り返った。
「ええ、ええ。よろしくってよ。少尉にならわたくしのお紅茶の良さが分かって頂けると思っておりましたの」
そう言うすみれの笑顔に、大神もにこりと笑みを返した。
事務室では、丁度一段楽したかすみと由里が休憩を取るところだった。
由里は昨日と同じように引出しを開けると、今日は小さな箱を取り出した。
「あら、今日は何を持ってきたの?」それを見てかすみが聞いた。
「へへー、今日はケーキなんですよ」笑顔で由里がそれに答える。
「じゃあ、お茶を入れましょうね」とかすみも微笑んでそう言うと、由里はばつが悪そうな顔で口を開いた。
「あ〜、かすみさん。やっぱりケーキにお茶は合わないと思いません?」
「え?」お茶を用意する手を止めて、かすみが由里の顔を見る。
「だから〜、今丁度すみれさんが口直しとかで、サロンで紅茶を入れてる頃じゃないかな〜と思うんですよ」と由里。
それに一瞬間を置いてからかすみが答えた。
「良いわ、由里。行ってらっしゃい。ケーキを食べたらすぐに戻ってくるのよ」言うとかすみはふうとため息をつく。
「あら?かすみさんは行かないんですか?」そのかすみにそう由里が聞いた。
「わ、私は・・・、お茶が飲みたい気分なのよ」今度はかすみがばつが悪そうにそう答えた。
「ふ〜ん、そうなんですか?」由里は少し首を傾げたが、かすみの許しが出たのでケーキの入った箱を持って事務室を出て行ってしまった。
「もう、由里ったら・・・」1人事務室に残されたかすみはポソッとそう呟いた。
ガチャ。
と、そこへまた昨日と同じようにあやめが現れた。
「あら、あやめさん。今日はどうしたんですか?」そのあやめにかすみが声を掛ける。
「ん、ちょっとね。それより今日は由里に振られちゃったみたいね」廊下で由里とすれ違った時に聞いたのだろう、あやめがいたずらっぽく微笑んで言った。
「やだ、あやめさん。別に私は・・・」かすみはあやめの言葉にどう返して言いか分からずどもってしまう。
「ふふふ。まあ、いいわ。それより私にもお茶を頂ける?」かすみがお茶の用意をしているのを見てあやめが聞く。
「ええ、勿論です。やっぱりあやめさんは日本的なかただから、日本茶の良さが良くお分かりみたいですね」不意に笑顔を見せかすみが嬉しそうにそう言った。
「ええ、良く分かってるわよ」あやめもそれに笑顔でそう返した。