笑顔のティータイム
太正12年10月。天海を倒し、黒之巣会を壊滅させ、帝劇の面々も心安らかな日々を送っていたある日の事。
「かすみさん!何をおっしゃいますの?かすみさんなら分かって頂けると思いましたのに」
「すみれさんこそ!そこまで分からず屋だとは思いませんでした」
帝劇2階。サロンからその声は聞こえてきた。
いつもは仲の良いすみれとかすみが、珍しく大きな声で言い合いをしていたのだ。
どうやら2人でお茶を飲んでくつろいでいたらしく、テーブルにはティーカップが2つ置かれていた。すみれお気に入りのウェッド・エッジのティーカップだ。
すみれがお気に入りのティーカップを使わせるほどに仲の良いかすみと言い合いになった原因は、他でもないそのティーカップの中身、紅茶の事であった。
すみれは小さな頃から紅茶が大好きだ。それには多分に父親の影響が大きかった。
元々神崎活動写真株式会社の社長であったすみれの父重樹は、仕事柄外国の活動写真家や俳優、雑誌記者等とも付き合いがあった。
そういった人間が重樹のもとを訪れる時には、十中八九手土産を持参してくる。
ある日。英国の新聞、タイム誌の記者が神崎活動写真に取材に来た時に、その記者が持参した手土産が紅茶だった。
その記者の紅茶に重樹は心奪われた。その色と香。そして何よりその味にだ。
それまで日本茶や珈琲ばかり飲んでいた重樹が、紅茶を買い漁りあまつさえティーカップや紅茶の入れ方等にもこだわり始めるのに大して時間はかからなかった。
元々熱中しやすい性格の重樹は、すぐに紅茶についての知識をどんどん吸収していった。
神崎活動写真の専属女優だったすみれの母雛子に紅茶を入れてやった事もある。
そして2人が結婚しすみれが生まれるのだが、すみれは子供の頃から紅茶を飲まされてきた。
飲まされてきたと言ってもすみれにしてもいやいやというわけでない。大好きな父親が大好きな紅茶を、自分も飲むという行為がすみれにはたまらなく嬉しかったのだ。
そのすみれに重樹が紅茶の入れ方や飲み方を教え、すみれもいつしか重樹に負けないくらい紅茶について詳しくなっていた。
いつも忙しい父親がたまに帰って来た時の為に、すみれは執事の宮田を相手に上手に紅茶を入れる練習を繰り返し、父親が帰ってくると目の前で紅茶を入れて見せ、重樹を喜ばせた。
そんな理由があり、すみれにとって紅茶は特別な思い入れのある飲み物といえた。
が、いくら仲が良いとはいえ、当然かすみがそこまで知っているはずはない。
かすみもすみれが紅茶好きなのは知っているし、自分でも紅茶は飲むしおいしいとも思う。
だからといって、紅茶に比べたら日本茶など庶民が飲む低俗な飲み物とまで言われては黙っていられなかった。
すみれが新しく手に入れたという紅茶をかすみに入れてやったのが事の始まりだった。
最初は歓談しながら楽しく紅茶を飲んでいたのだが、その内に紅茶こそが最高の飲み物だと、ふとすみれの口をついて出たのである。
それに対してかすみがそんな事はない、少なくとも日本茶には紅茶に負けないくらいの芳醇な味と香りがある、と言い、それにまたすみれがそうかしらと言い返し、ついついお互いにエスカレートしていき、売り言葉に買い言葉とでも言おうか、ついには言い合いにまで発展してしまったのだ。
いつものかすみならすみれが自分の価値観で認めている物をどう言おうとそれほど気にはしなかっただろう。すみれにしても紅茶以外の飲み物を馬鹿にするつもりで言ったのでは決してなかった。ただ、自分にとって紅茶は最高の飲み物だというつもりで言ったのである。かすみもそれは分かっていたのだが、かすみの方もついつい口をついて出てしまったのである。
その理由は、すみれが紅茶に対して思い入れがあるように、かすみにも日本茶に対して思い入れがあるからだった。
かすみは数年前帝都に上京し、そして帝国華撃団に入隊した。
帝都では1人暮し。出身は茨城である。そしてかすみの実家はお茶の葉の栽培をしていた。
かすみの実家では猿島茶(さしまちゃ)というお茶を作っている。猿島茶は香りが強くコクがあるのが特徴で、茨城の名産の1つだった。
かすみは小さい頃からそのお茶に慣れ親しんでいたし、それを心底おいしいと思った。父親が力強くお茶の葉を揉む姿をかすみは格好良いと思ったし、母親からはおいしいお茶の入れ方も教わっていた。
猿島茶は関東一円に出荷されている。帝都に出てからもかすみは猿島茶を愛飲していた。
上京する時に持って来た茨城の工芸品、笠間焼(かさまやき)の湯呑で飲む猿島茶は、かすみにとって何物にも変え難い安心出来る味であった。
かといって猿島茶ばかり飲んでいるという訳でもない。静岡は岡部の玉露はやはりおいしいと感じるし、他にもおいしいお茶をかすみはたくさん知っている。
かすみにとって日本茶というのは、すでに家族のように付き合える飲み物といえた。
が、すみれがそこまで知っていようはずもなかった。
結局その日。すみれとかすみは喧嘩別れする形で2人ともサロンを後にした。
どちらとも思い入れが強すぎて、引くに引けなかったというのが本当のところだろう。
すみれとかすみは前にも1度大喧嘩をしている。
かすみが花組の皆に台本を配る時、すみれが部屋にいなかった為に台本をすみれのベッドの上に置いておいたのだが、いざ台詞合わせの段になってすみれの台本がないことに気がついた。
それを怒ったすみれがかすみに詰め寄り、かすみもついカッとなって喧嘩になったのだ。結局台本はベッドと壁の隙間から見つかって2人はそのばからしさに笑い合い仲直りしている。
ところが今回の件はその時とは少し事情が違った。
お互いに好きなもの、譲れないもので言い合いになったのだ。ちょっとやそっとの事では仲直り出来ないのではないだろうか?そう大神とあやめは思っていた。
たまたまサロンの近くには誰もいなかったので、2人の喧嘩は花組の誰にも気づかれはしなかったが、サロンに近い大神とあやめの部屋には2人の声が良く聞こえていた。
もっとも、大神とあやめがその声に気づいて様子を見に行った時には、すみれとかすみにすでに取りつく島はなく、大神とあやめはお互い顔を見合わせて肩を竦めるしかなかった。