ここはどこだろう?
 レニは辺りを見渡すとそう思った。
 暗い森の中にも見えるし、照明の点いていない舞台のようでもあった。
 レニはパジャマ姿で、腕には一昨日アイリスからもらった、誕生日プレゼントのぬいぐるみを抱いていた。
 レニがきょろきょろとしていると、腕の中でもぞもぞと何かが動く感覚がした。
 腕の中に視線を下げると、クマのぬいぐるみがもぞもぞと、レニの腕の中から逃げ出そうともがいている。
「どうしたの?」
 レニは慌ててぬいぐるみに話しかけるが、ぬいぐるみは答えず、必死にレニの腕から逃げようとしている。
 ついにぬいぐるみが上半身をレニの腕から抜きさると、前へ前へと体を動かして逃げ出そうとする。ぬいぐるみが前へ行こうとするから、レニもそれに合わせて前のめりになり、バランスを崩して両膝をついてしまった。
「あっ!」
 その拍子に力が抜けたのか、ぬいぐるみはポンっとレニの腕を飛び出すと、ポテッと地面に着地した。
 着地したと思ったら、ぬいぐるみはトコトコと振り返りもせずに走り出していく。
「待って!」
 レニはそう言って立ち上がると、いつの間にか自分の周りにたくさんのぬいぐるみが浮いていることに気がついた。
 そのぬいぐるみ達ががやがやと口走っている声に、レニはふと耳を傾けてみた。
「行っちゃうよ」
「呼び止めなくちゃ」
「名前を呼んで」
「早く」
 レニはぬいぐるみ達の声を聞くと、コクリと頷いて息を吸い込んだ。
「リュリュ!」
 逃げ出したクマのぬいぐるみの背中に、レニはそう叫んだ。
 今日、サロンでアイリスがつけてくれた名前だ。
 すると、トコトコと走る足を止め、リュリュはピタリとその場に止まった。
「リュリュ」
 レニが喜んで近づこうとすると、リュリュが振り返る。
 振り返ると、じっとレニを見つめて口を開いた。
「本当の名前を呼んで」
「え?」
 リュリュにそう言われ、レニは戸惑いの声を上げる。
「本当の名前?」
「君がつけた僕の本当の名前。君が呼びたいと思ってる名前」
「ボクがつけた……?」
 レニはリュリュが言った意味がわからず、その場に立ち尽くしてしまう。
「…………」
 少しの間、リュリュはそのレニを見つめていたが、やがてまた背中を向けると、トコトコと歩き始めた。
「あ。待って!」
 レニは思わず手を伸ばし、足を一歩踏み出す。だが、リュリュは足を止めない。
「名前、名前」
「名前を呼ぶんだよ」
「呼びたくて仕方のないその名前」
「呼びたい呼びたいその名前」
 周りのぬいぐるみ達がまた騒ぎ始めた。
「……呼びたい名前」
 ぬいぐるみ達の言葉をオウム返しに呟く。
『一郎なんてどうですかー?』
 不意に、織姫が言ったセリフが頭に浮かんだ。
「……隊長?」
 織姫に言われた時、レニは大神の顔を思い浮かべていた。
「隊長?」
 もう一度呟く。
「名前だよ」
「名前なんだよ」
「名前を呼んで」
「早く早く」
 周りでぬいぐるみ達が騒ぎ立てる。
「名前? 名前を呼ぶんだね?」
 ぬいぐるみの声にレニは頷く。それから思い切り、リュリュに向かってその名前を呼んだ。
「一郎!」
 凛としたレニの声が響いた。
 ピタリとリュリュは足を止めた。
 するとまたリュリュはゆっくり振り返ると、今度はリュリュの方からレニに近づいてきた。
 そしてレニの目の前までやってくると、またじっとレニを見つめて口を開いた。
「レニ」
 聞き覚えのある声だった。
「え?」
 それにレニがそう声を上げた瞬間、リュリュがまばゆい光に包まれると、その姿がやはり見覚えのある姿に変わっていった。
「うわぁ」
 リュリュを包む光が眩しくて、レニは思わず目を閉じる。
 やがて、光が収まりレニがしずしずと目を開けると、またも驚きの声を上げた。
「わあぁ」
 レニの視界に飛び込んできた風景は、今までいた森とも舞台ともつかない場所ではなく、どこかおとぎ話にでも出てきそうなお城の中だった。
 高い天井には豪華なシャンデリアが飾られ、壁にはきらびやかな絵画や置物が並んでいる。
 レニのパジャマはいつの間にかドレスに変わっていた。
 まるで魔法使いがシンデレラに用意したように、あつらえたようにピッタリだった。
 そのレニの前に彼がいた。
「隊長……」
 目の前の大神もまるで王子様のような衣装で、だがそれが良く似合っていた。
「もう名前で呼んでくれないのかい?」
 そう言って、大神は優しい笑みを浮かべる。
「え?」
 その笑顔とセリフにレニはドギマギする。
「……一郎」
 照れながら、レニが大神の名を呼んだ。
「レニ」
 大神もいとおしそうにレニを見つめる。
「……でも、リュリュは? リュリュはどこに行っちゃったの?」
 リュリュが大神に変わったことを思い出し、少し慌てた風に言う。
「大丈夫。目が覚めればリュリュはレニの腕の中にいるよ」
「……そう。これは、やっぱり夢なんだね」
 それを聞くと、レニは少し寂しげな表情をみせた。
「でも、レニが望めば俺はいつだってこうやって会いに来るよ」
「隊長!」
 今度は嬉しそうな表情だ。
「隊長?」
 その顔に大神が微笑みで聞く。
「あ、えと。一郎」
 頬を赤く染めた。
 気がつくと、二人の周りにはあのぬいぐるみ達が浮かび、騒いでいた。
 わいわいがやがやと二人をはやし立てている。
 レニがぬいぐるみ達を見て微笑むと、すっと目の前に手が伸びてきた。
「踊ってくださいませんか?」
 手を差し出したのは勿論大神。
 それに合わせるように、どこからともなく美しいメロディが聞こえてきた。
「……喜んで」
 恥ずかしがりながらも、レニはそっと大神の、一郎の手を取った。
 ぬいぐるみ達もふわふわと浮かんだままに、それぞれパートナーを見つけて踊り始める。
 二人とぬいぐるみ達の舞踏会が始まった。



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