クリスマス公演当日。
 今年のクリスマス公演も大入満員。
 客席には様々な顔が並び、友達同士や恋人達、家族連れで来た者もいれば、1人で来た者もいる。
 例え1人で来ていても、劇場に入れば笑顔に変わる。それが大帝国劇場。
 貴賓席には海軍大臣山口和豊や花小路伯爵の姿も見えた。
 緒方星也も長屋の人達と連れ立って座っており、織姫は父親の姿を見つけると、舞台袖からチラッと顔を出して手を振っていた。
 そんな織姫を見てすみれは、本番前に落ち着きがないなどと言ってみるが、自分もやはり貴賓席にある父親と母親の姿を、嬉しそうに目で追っていた。
 アイリスはそんな2人を羨ましく思ったが、そんな素振りは見せないようにしていた。喜んでいる2人に気を使わせたくないという思いからだろう。
 そのアイリスを見て、大神はアイリスも大人になったなと思う。
「アイリスのご両親は、お正月には日本に来てくれるんだろう?」
 そう話しかけながら、大神はアイリスの頭を撫でてやった。
「お兄ちゃん、優しいね」
 すると、意外にもそんな言葉が返ってくる。
 大神は思わず、アイリスの頭を撫でていた自分の手を引っ込める。
 レディに対してする行為ではないと、瞬間的に思ったからだ。
 大神が気を使って声をかけたとアイリスには分かってしまった。
 アイリスは本当に大人になった。
 アイリスとのやりとりを見て、さくらは大神の様子に安心していた。
「大神さん、本番前だっていうのに落ち着いてますね。あたしなんか初舞台の時は、緊張でカチコチだったのに」
 言うとさくらは笑う。
「そうねー、あの時は大変だったわ」
 そのさくらの横で、大神の事ではなく、さくらの初舞台を思い出しマリアが口を開いた。
「あ」
 言ってからマリアがそう声を漏らし、思わず手を口に当てる。
「マリアさん。ひどいです」
 そのマリアを見てさくらがポツリと言ったかと思うと、すぐに笑顔になりくすくすと笑い出した。
 マリアもそれを見て安心すると、さくらにごめんさいと言ってから、同じようにくすくすと笑った。
 レニはその2人の会話を聞きながら、じっと大神を見つめていた。
 大神とアイリスに加わり、紅蘭とカンナも一緒になって話している。
 普段通りのいつもの大神に見えた。
 やがて舞台の準備は整い、舞台袖で出番を待っていた花組に声がかかる。
 いよいよ開幕である。

 舞台上。はぐれたリルを探すシーン。アイリス演じるエルと、マリア演じるトナカイの熱演が続いている。
 他の花組のみんなは通行人役や次の出番の準備で、舞台上だったり楽屋だったりして、舞台袖では大神とレニだけが舞台を見守っていた。
 このシーンが終わると、舞台は暗転してリル役のレニと乞食役の大神のシーンへと変わる。
 いよいよ大神の出番が近づいてきていた。
「隊長、大丈夫?」
 真剣に舞台を見つめる大神に、レニが声をかけた。
「あ、ああ。大丈夫だよ」
 舞台からレニに視線を移すと、大神が笑顔を見せた。
「・・・・・」
 その笑顔をレニがジッと見つめると口を開く。
「手」
「え?」
 レニの言った意味が分からずに大神が聞き直す。
「手、貸して」
 もう1度そう言うと、大神が差し出すより早くレニは大神の手を取った。
「脈拍が速い」
 そして、大神の手首に指を当てると言う。
「緊張してる」
 大神の脈を取りながら、レニは言葉を続ける。
「ふぅ、レニにはかなわないな」
 言うと大神はふっと笑った。
「さっきはみんなを心配させないように平静を装ってたけど、ボク・・・」
 ボクには分かるよ。いつも隊長を見てるんだから。
 そう言おうとして、ふと恥ずかしくなってやめる。
「ありがとう、レニ」
 それでも気持ちは伝わったのか、大神は大丈夫だとでも言うように、自分の脈を取っているレニの手を反対側の手でそっと離した。
「本当は緊張で心臓がドキドキしてるよ。手の平からは汗が止まらない・・・」
 自分の手の平を見つめながら、大神は本当の気持ちをレニに吐露した。
「隊長、座って」
 レニは出番待ちの為に用意されている椅子に大神を座らせる。
「レニと同じ舞台に立てるのが嬉しいだなんて格好良い事言ったけど、もしセリフを間違えたら、タイミングをしくじったら、そんなことを考えると緊張が止まらないんだ」
 素直にその椅子に座ると、大神がそんな事を言う。
 不意に、レニが大神の額に手を当てると、それからその髪を撫で上げる。
「顔を良く見せて」
 それに大神が少し驚いて、レニの顔を見つめる。
「大丈夫。隊長はいつもの隊長だよ」
 そう言ってレニは笑顔を見せた。
「レニ?」
 その意味が分からず、大神が言う。
「武蔵との決戦の前。隊長がこうしてくれたよね」
 その大神にレニは話し始めた。
「ボク、あの時緊張して鼓動が速くなるのを抑えられなくて。でも、隊長にこうされたらもっと鼓動が速くなって。それでも、鼓動は速くなったのに、緊張はほぐれて、何だか落ち着いた気分になったんだ」
 ゆっくりと、その時を思い出しながら、レニが言葉を紡ぎ出す。
「隊長の手はいつだって魔法みたいだ」
 大神の額に手は当てたまま、レニは続ける。
「サキさんに操られていたボクの正気を取り戻して、抱きしめてくれた時も。お祭りの帰りに手を繋いでくれた時も。それから、ミカサでこうしてくれた時も。ボクはいつも隊長のその手から、何かを受け取ってきた気がしてたんだ」
「レニ・・・」
「だから、ボクも隊長の力になれたらいいって思う」
 言葉通りに大神の緊張はあの時のレニと同じように、みるみる解けていった。
「レニ、ありがとう。もう大丈夫だ」
 そこにさわやかな笑顔がある。
「レニのその手が、俺に魔法をかけてくれたから」
 そう言った大神の表情は、本当にいつも通りの笑顔だった。
 そして舞台本番。
 大神は見事に乞食役を演じきった。



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