「結局、江戸川先生、クリスマス公演に出れないんですって」
「えー、困りますぅ」
 今日入荷したクリスマス公演のパンフレットや、特製ブロマイドを売店に運んできたかすみが、それを整理をする椿と昨日の事故の事を話していた。
 江戸川は横浜での仕事を終え、夜行列車で帝都に戻る途中、不運にも事故に遭遇した。
 脱線のショックで前の座席にしたたかに頭を打ちつけ、その後通路に転がり全身を強く打ってしまった。
 検査の結果頭部に異常は見られないが、全身打撲の為に最低でも1ヶ月は入院しなければならないらしい。
 当然、3日後にせまるクリスマス公演に出演など出来ない状態である。
 パンフレットには、すでに江戸川の名前が印刷されており、今更新しい物を刷り直す時間はなかった。
 売店を預かる椿としては、江戸川の容態も心配だが、そちらの方も十分気になった。
「でも、江戸川先生、体が直ったらまた舞台には復帰出来るそうよ」
「はいぃ。それは江戸川先生は素晴らしい役者さんですから、良かったんですけどぉ・・・」
 椿には、やはりそれよりもパンフレットに書かれた江戸川の名前がどうなるのかの方が気になるようだった。
 それは江戸川と同じ舞台に立つはずの花組も同じだった。

 サロンに花組が集まってがやがやと話をしている。
 帰って来たばかりの大神もその中に混ざり、話の行く末を見守っていた。
「江戸川先生が大したことなかったんは良かったけど、クリスマス公演はもう明後日やで。乞食のシーンは一体どないするん?」
 みんなが思っている疑問を、それでも紅蘭が口にする。
「乞食のシーンはレニの見せ場でもありますものね。削る訳には参りませんわ」
 すみれもそう口を開き、
「じゃあ、代役を立てるのか?」
 カンナがそれに続いた。
「公演はもう明後日よ。今からじゃセリフを覚えるだけでも大変だわ」
 カンナの意見にマリアがそう言うと、万策尽きたという風にみんな黙り込んでしまった。
 大神は力になれない自分がもどかしかったが、声をかけようにも言葉が見つからなかった。
 そうしてしばらく沈黙が続いたが、不意にレニがその事を思い出す。
「待って。1人、乞食のセリフを全て覚えている人がいる」
 その言葉にみんながハッとしてレニの顔を見つめた。
「それって誰ですか!?」
 織姫のその質問に、レニは大神の顔を見つめると口を開いた。
「・・・隊長」 

「どうする?大神君」
 不安げな顔でかえでが大神に聞いた。
 支配人室。大神と言い出しっぺのレニが、米田とかえでの前にいた。
 江戸川に代わって大神を出演させるというレニの提案。それについて話をしていた。
 レニもやや不安そうな表情で、隣にいる大神を見つめている。
 米田も黙って、相変わらず机の上に置かれた徳利の酒をお猪口に注ぎながら、かえでの質問に大神が答えるのを待っていた。
「やります。やらせて下さい」
 やがて、はっきりと、力強く大神が答えた。
「やれるのかい?」
 それを聞くと、間髪入れずに米田が聞く。
「はい」
 また、はっきりと大神。
「じゃあ、好きにしな」
 それを聞くと、あとはもう何も言うまいと、米田はお猪口を口に運んだ。
「隊長」
 レニが思わず呟く。
「大丈夫だよ、レニ。たくさん練習したからね」
 そのレニに大神が笑顔で答えた。
 それを見て、レニもやっと表情を明るくし、かえでも不安げな顔を明るくさせていた。
 それから2人は衣装合わせや舞台稽古の為に、すぐさま支配人室を後にした。
「しかし、驚いたぜ。あのレニが。素人の出演を提案するなんてよ」
 2人が出て行った後、米田が思わず声を出す。
 確かに昔のレニなら、例え大神から出演すると言っても、足手まといだと言っていただろう。1人芝居ででも、そのシーンをやってのけると言っていたかもしれない。
「それだけ信頼しているという事なんですよ」
 かえでも内心は驚きながらも、逆にそれを嬉しくも思っている。
 帝劇の中で、レニとの付き合いが1番長いかえでからすれば、今回のレニの提案は喜ぶべき事に他ならなかったからだ。
「それは分かるがよ」
 それでも少し不安なのだろう。米田が口を開く。
 最もこの不安感は、子供を初めて学校に送り出す時の親の様な気持ちと大差ないが。
「それに、大神君だって『花組』の一員じゃないですか?」
 そして、かえでは笑みを見せて最後にそう言う。
「ははは、違えねぇや」
 それには米田もそう言って笑った。



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