大神が帰って来る。
 そうなると、俄然稽古にも熱が入った。
「あら、どうしちゃったの?ますます動きが良くなってるんじゃない?」
 花組の演技を見て、思わず江戸川がそう言ったほどだ。
「1番観てもらいたい人が帰って来るんですよ」
 稽古を見学に来ていたかえでが、江戸川に笑顔で言う。
「1番観てもらいたい人?私?じゃないわよね?あら、誰かしら?」
 そんな事を言いながらも、それ自体はどうでもいい風に、花組の演技の素晴らしさに江戸川は心を奪われているようだった。

 しばらくして、レニのキネマトロンに、巴里を出たと船の上の大神から通信が入った。
 それからも時折通信が入り、そのたびに鮮明になっていくその画像が、大神が確実に帝都に、自分に近づいているのだと、レニに教えてくれた。
 もうすぐ会える。そう思っていたある日の夜。
 ビービービー。
 警報。
 そのけたたましい音が帝劇に響いたのは何ヶ月ぶりか。
 椅子から飛び起き毛布を跳ね上げると、レニは部屋を飛び出す。
 ほぼ同時に、向かいの部屋からマリアが姿を現した。
 お互いに目配せして、目で何事だろう?と会話する。
 他の花組のメンバーも次々と部屋から姿を現し、久しぶりの警報に一様に緊張しているようだった。
 ダストシュートをくぐり、地下の作戦司令室に全員が揃うと、米田とかえでがそこで花組を持っていた。
「出動よ」
 全員が揃ったのを確認すると、かえでが久しぶりに見せる険しい顔付きでそう告げた。

 翔鯨丸の中で説明を聞く。
 横浜から東京に向かう夜行列車が、多摩川の鉄橋に差し掛かったところで脱線。鉄橋の上で立往生しているという。
 乗員が鉄橋の上に降りて調査したところ、人力で列車を線路に戻すことは不可能。最寄の駅に連絡し応援を頼んだのだが、こんな日に限って他でも列車事故があり、鉄道会社の人手は全て出払っているらしかった。
 そこまで聞いて、レニは不思議に思う。
 ただの脱線事故程度なら、何も光武が出動しなくても、他にも方法は幾らでもありそうなものだ。
 それにかえでは、その列車には急病人が乗っており、帝都にある国立病院へ運ぶ途中なのだと説明した。
 患者の容態は一刻を争い、脱線のショックで容態は悪化している。深刻な状態といえた。
 鉄橋の上である為、自動車の乗り入れは不可能。人力で患者を運ぶには距離がありすぎた。
 光武・改でなら列車を持ち上げ、脱線の修復が可能。しかも、それが最も迅速で確実。
 そこで花組の出番となった訳である。
 花組は新たな敵の出現かと身構えていたが、説明を聞き多少安心する。
 それでも人命に関わる事だからと、かえでに釘を刺された。

 多摩川上空に到着すると、花組はそこから降下して鉄橋に降り立った。
「帝国華撃団参上!」
 久しぶりにそのセリフを口にする。
 一様に気合いが入り、全員が列車の周りに取り付いた。
 脱線しているのは先頭の車両。中程の車両であれば、病人を移して切り離し、運転を再開出来たのだろうが、先頭車両とあってはそうはいかない。
 勿論、その車両を線路に戻したところで、正常に走行が可能かどうかも分からない為、鉄橋を渡ったところではすでに救急車が待機していた。
 見ると、鉄橋には人がやっと歩いて通れる幅はあるのだが、病人を運ぶとなると無理がある間隔だった。ましてや橋の下は冷たい水が流れる多摩川だ。
 無理に運び出すよりは、やはり光武・改で車両を持ち上げるのが1番良い方法だろうと、レニも納得した。
「よし!みんな、せーので持ち上げるんだ!」
「了解!」
 そう指示が聞こえ、8人全員が揃って声を出した。
 そう、8人。
 では、指示を出したのは?
 言ってから全員がその事に気づき、驚いてその懐かしい声に心ときめかす。
「隊長!」
「お兄ちゃん!」
「中尉!」
「大神さん!」
 異口同音。その人物の名を呼ぶと、全員が驚きと喜びが入り混じった顔を見せる。
 そう、帝国華撃団・花組隊長。大神一郎の姿がそこにはあった。
 先頭車両から顔を覗かせるその姿は、あの日横浜港から旅立った時と同じに、白い軍服に白い手袋。そして、あの時と変わらぬ笑顔を花組に見せていた。
 レニは今すぐ駆け寄って、おかえりとその胸に飛び込みたかった。
 キネマトロンのスピーカーで聞くのとは違う、肉声がレニの鼓膜を振るわせる。
 その目に映る姿にノイズはない。
 大神は確かに目の前にいる。
 だが、今は列車の脱線を修復する方が先だった。

 大神は今夜、日本に到着していたのだ。
 大神の乗った船は横浜港に到着し、そこで一泊した後翌朝帝都に出発する予定だったのだが、日本に着いてしまうと居ても立っても居られず、横浜駅から夜行で帝都に向かった。
 そこで運悪く脱線事故に遭遇してしまったのだ。
 不幸中の幸いと言おうか、巴里帰りの大荷物がクッションになり、大神はかすり傷程度ですんでいた。
 帝撃に連絡を入れたのも、鉄道会社の状況と急病人の存在に、帝撃に頼るのが一番だと判断した大神だったのである。
 他ならぬ大神の乗った列車の脱線事故に、連絡を受けたかえでは、黒鬼会の残党によるテロの可能性や、巴里からの刺客まで考えたが、それらは取り越し苦労に終わった。
 後日、詳しい調べによって、原因は線路上に載っていた1本のボルトと分かる。
 作業員の不注意による置き忘れ、もしくは車両からの落下によるものと思われ、鉄道会社の責任が問われる事件となった。
 ともあれ、列車は花組の活躍で線路に戻され、無事鉄橋を渡りきった。
 病人はすぐさま国立病院へと運ばれ、他にも脱線の際に怪我をした乗客がいたが、次々と病院へ運ばれて行った。
 その怪我人の中に、マリアは思わぬ人物を見つけ、思わず声を上げた。
「江戸川先生!」
 マリアの目に映った江戸川は、頭から血を流し気を失っていた。



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