パジャマたいむ
〜レニ編〜



 アイリスがボクの部屋に泊まる。
 少し前にかえでさんと買いに行ったベッドが、最近届いたからだ。
 ボクはベッドで眠るのにまだ慣れていないし、誰かと一緒に眠ったことなんてないから少し嬉しかった。
 ベッドに並んで寝そべって話をしていたら、すっかり遅くなってしまった。
「アイリス、そろそろ寝よう。もうこんな時間だ」
 時計の針はもう0時近かった。
「えー、もうこんな時間なの〜? レニとお話しするのが楽しくって全然気づかなかったよ」
 アイリスも目を丸くする。
「じゃあ、歯みがきに行こうよ」
「うん」
 アイリスにしたがって、寝る前の歯みがきのために一緒に部屋を出る。
「レニー、早く早くー」
 アイリスがはしゃいで部屋から出て行く。
「待ってよ、アイリス」
 ボクがアイリスを追いかけて部屋を出ると、不意に声がかかった。
「2人ともまだ起きていたのかい?」
 ボクはその声にちょっとだけハッとした。
「あ、お兄ちゃんだー」
「た、隊長」
 嬉しそうなアイリスをよそに、ボクは少し戸惑ってしまう。なぜならボクは今パジャマ姿だから。自分でも良く分からないけど、隊長にパジャマ姿を見せるのは少し恥ずかしい。
 以前、1度だけ隊長にパジャマ姿を見られたことがある。お風呂から上がって部屋に戻る途中に、偶然隊長と鉢合わせたんだ。
 あの時の隊長は何か笑いを堪えているような、そんな表情だった。ボクがパジャマを着るなんておかしくて笑ってしまったんだろうか?
 そう思うと、恥ずかしくて顔が紅潮するのを抑えられなかったのを覚えている。
「アイリスね〜、今日はレニのお部屋にお泊まりなんだよ〜」
 アイリスが隊長にボクの部屋にいる理由を説明する。
「そうなのかい? でも、もうこんな時間だよ。2人とも早くおやすみ」
 やっぱり隊長はボクのパジャマ姿なんて気にしていないのかな? いつもと変わらない表情でそう言った。
 ボクは少し残念がっている自分に気がついた。
 見られるのが恥ずかしいくせに、ボクはなぜ気にしてほしいと思っているんだろう?
「少し話が長引いてしまったんだ」
 ボクはそんな思いを悟られたくなくて、普段と変わらない表情を作る。
「今から歯をみがきに行くところなんだよ」
「じゃあ、歯をみがいたらおやすみ」
 隊長はそう言うといつも通りの笑顔を見せた。そこで隊長と別れて、ボクとアイリスは洗面所に向かった。
 洗面所に向かう途中、
「お兄ちゃん、レニのパジャマ姿を見ても何とも思わなかったのかなぁ?」
 不意にアイリスが独り言のようにそう言った。
「え?」
 その言葉の意味が分からず、ボクはアイリスに聞き返す。
「だって、レニこんなに可愛いのに、一言くらい誉めてくれたっていいのにね」
 そのアイリスの言葉に、やはり隊長はボクのことなんて気にしていないのだと思い、がっかりした。

「アイリス強いんだよ〜!」
 いきなりアイリスがそう大きな声で叫んだから、ボクは飛び起きてしまった。
 そして横にいるアイリスを見る。
 アイリスはまだ眠っていた。その寝顔には笑みが浮かんでいる。きっと楽しい夢でも見ているんだろう。
「寝言か……」
 ボクはそう呟くと、そばの置き時計を見た。
 6時45分。普段ならまだ眠っている時間だ。
 生活のリズムを崩すのは好きじゃない。ボクはもう少し睡眠を取るためにもう1度体を横にする。
 だけど、何だかすっかり目がさえてしまって、眠れそうになかった。
 ボクはいつもより少し早いけど、仕方なく今日はもう起きることにした。
 ベッドから起き上がると洗顔と歯みがきのための用意をする。
 アイリスを起こさないようにそっとドアを開けると、背後からそのアイリスの声がした。
「行くよ、ジャンポール」
 振り返るとそのジャンポールを抱きしめて、アイリスはボクのベッドの中でまだすやすやと寝息を立てていた。
 その寝顔に微笑むと、そっとドアを閉めて部屋を出た。

 洗面所に着くと、鏡に向かって歯みがきを始める。
 鏡に映った自分の姿を見て、昨日のことを思い出した。
 こんな女の子らしいパジャマは、やっぱりボクには似合わないんだ。だから隊長も何も言ってくれなかったんだ。
 ボクはそんなことを思いながら、鏡に映るパジャマをボーっと見つめていた。
 淡い水色の生地に小さな花柄の模様がたくさん飾られている。
 青、という色は好きだけど、花柄には少し抵抗があった。
 この前かえでさんと一緒にベッドを買いに行った時に、ついでにかえでさんが選んでくれたんだけど、花柄やひらひらのついた服は着慣れていないから抵抗がある。
 元々ボクは男役だし、ひらひらした服なんかは機能的でもないからあまり好きになれない。
 それなのにかえでさんたら、あの時最初はピンクのフリルのついたパジャマをボクに着せようとしたんだ。
 ボクが嫌がったから仕方なくこのパジャマにしたみたいだけど、嫌だと言わなかったら織姫が着ているような赤いネグリジェでも持ってきそうな勢いだった。
 あの人は最近なぜかボクに可愛い服を着せたがるんだ。
 どんなパジャマを選んだらいいか分からなかったし、かえでさんのセンスは確かだと思うから頼んだんだけど、次からはかすみさんにでも頼んだ方がいいかもしれない。
「レニ、おはよう」
 その声でボクの思考は瞬時に停止する。
 そして驚きで肩を小さく動かした。
「た、隊長……。おはよう……」
 振り向くとボクは隊長に挨拶を返す。
 まさか、またパジャマ姿の時に出くわすとは思いもよらなかったので、ボクはまた少し戸惑ってしまった。
 振り向いた瞬間、隊長の顔がまた笑いを堪えているような表情に見えたのは気のせいかな。
「いつもより少し早起きだね。アイリスはまだ寝てるのかい?」
 そう言った隊長は、今度は普段通りの顔に見えた。
「う、うん。アイリスの寝言で目が覚めちゃったんだ」
 ボクもいつも通りの顔で答える。
「ははは、そうなんだ」
 隊長はそれに笑い、ボクの隣に並ぶと持ってきた歯ブラシを取り出した。
「あ、歯磨き粉切らしてたんだっけ」
 と、隊長が急にそう声を上げ、困った顔を見せる。
 ボクはふと、その時の少し慌てた様子が妙に可愛く感じられて、微笑してしまった。
 隊長は意外とおっちょこちょいなところがある。以前はそんなこと思いもしなかったけれど、最近はそんな隊長を可愛いなんて感じてしまっているんだ。
 ボクはそんな表情を見られたかどうか気にしながら、隊長に自分の歯磨き粉を黙って差し出した。口を開くと微笑が笑いに変わってしまいそうだったから。
「ありがとう、レニ」
 隊長は歯磨き粉を受け取るとそう言って、それを歯ブラシにつけた。
 隊長を隣に感じながら、再び鏡の中の自分を見つめ、ボクは歯みがきを続ける。
 ふと、隊長の視線を感じて、鏡の中の隊長に目をやった。すると案の定隊長は鏡越しにボクのことを見つめていた。
 でも、目が合った次の瞬間には、隊長は視線をそらしていた。
 ボクはまた、隊長がどうしてボクのことを見ていたのか気になってしまう。ボクのパジャマを見ていたのかな?
 ボクはそう思うと、その隊長の格好に気がついた。考えたら寝起きの隊長に会うのなんて初めてのことだ。モギリ服や戦闘服姿の隊長は何度も見ているけど、今の隊長の格好は初めて見るものだった。
 ボクは隣に映る隊長をチラチラと見る。
 隊長はランニングのシャツに下はジャージ。トレーニングの時とあまり変わらない格好だけど、朝洗面所で見るとまた違った雰囲気がある。
 ランニングシャツから覗く肩が男らしくて、シャツに包まれた胸板も厚い。
 昔、熱海の温泉で隊長の裸を見た時には何も感じなかったのに、今は裸でもないのにドキドキしている。また、ボクの知らない感情だ。
 隊長はいつもボクに今まで感じたことのない感情を与えてくれる。それがボクには嬉しかったり、戸惑ったりもするけど、そのたびにボクの心は豊かになっていくような、そんな気がする。
 でも、今思い出すと熱海での出来事は顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
 ボクはそのことを思い出し、鏡の中の自分の顔が赤く染まっていくのを見て、更に恥ずかしくなった。
 慌ててボクは歯みがきをやめて口をすすぐと、続いて洗顔に移る。勿論、隊長にボクの顔を見られないようにするためだ。
 ボクが洗顔で顔を冷し、タオルで顔についた水滴を拭き始めると、今度は隊長が歯みがきを終えて口をすすぎ始めた。
 その隊長の顔がまたおかしかった。口いっぱいに含んだ水をブクブクと口の中で暴れさせ、いつか浅草のお祭りで見たひょっとこのお面のように頬を膨らましている。
 それが終わると今度は上を向き、ガラガラと音を立ててうがいをする。時々リズムを取ったようにガラガラという音が高くなったり低くなったりした。
 そして、今度は洗顔を始める。
 両手にすくった水で顔をバシャバシャと洗う。水飛沫の中の気持ち良さそうな表情がどこか少年のようだった。
 洗顔を終えると肩にかけておいたタオルを取って、それに顔を埋める。
 ゴシゴシと顔をタオルでこすると、ぷはっという感じで満足そうに鏡を覗き込んだ。
 その一つ一つは何てことのないことなんだけど、ボクは隊長のそんな仕種や表情がとても新鮮で、何だか妙におかしく思えて、思わず笑みをこぼしてしまっていた。
「どうしたんだい?」
 隊長が笑っているボクに気がついてそう聞いてくる。
「だって、隊長がおかしいんだもん」
 ボクはそう答えながら、まだ笑いがとまらなかった。
「あ、え、そうかい?」
 隊長が言いながら照れ笑いを見せる。
「ははは」
「ははは」
 隊長も何がおかしいのか、一緒に笑い始めた。
「あらあら、楽しそうね」
 そこへ、聞きなれた声が聞こえてきた。
「かえでさん、おはようございます」
 隊長が振り返って声の主に挨拶した。
「おはよう、かえでさん」
 ボクもかえでさんに挨拶する。
「おはよう。大神君、レニ」
 と、かえでさんはそう言ったかと思うと、ボクの方をじっと見つめてきた。ボクがなんだろうと思っていると、声がかかる。
「あら、レニ。そのパジャマ、やっぱり似合ってるわよ」
「そう? ありがとう」
 ボクは不意にそう言われて、そっけない返事を返してしまった。
 かえでさんには悪いけど、隊長はあまり良く思っていないみたいだから、それほど嬉しく感じられなかったんだ。
 その隊長もかえでさんの言葉で、ボクのパジャマをじっと見つめてきた。
「ね、大神君。似合ってるわよね?」
 不意にかえでさんが隊長に聞いた。
「はい!」
 と、それに隊長が驚くほど大きな声でそう言ったから、ボクは何事かと思った。
 かえでさんもきょとんとした表情で隊長を見ている。
 でも、一瞬置いてボクはその隊長の言葉の意味をやっと理解した。
 今、隊長はこのパジャマがボクに似合ってるって言ったんだ。
 ボクは隊長がどう思ってるかずっと気になっていたから、隊長が似合ってないって思ってると思い始めてたから、不意に嬉しくて、同時にちょっぴり恥ずかしくなる。
「やだ、大神君。そんなに力いっぱい答えなくてもいいわよ」
 そう言って笑うかえでさんをよそに、ボクは自分の顔が熱くなっていくのを感じていた。
「た、隊長……」
 ボクはおそらく真っ赤になっているだろう顔を隊長に見られたくなくて、俯いてしまう。
「あ、いや、その……」
「まったく、大神君たらレニのパジャマ姿が可愛くて、にやけてたんじゃないの?」
 そのボクの耳にかえでさんの声がそう聞こえてきた。
「いいっ!」
 続いて隊長の驚きの声。
 その驚きの意味が分からなくて、ボクは俯いていた顔を上げて隊長の顔を見つめた。
「あ」
 口を押さえながら隊長もボクの顔を見ていた。
「あ〜ら、やっぱりそうだったのね? レニ、大神君のだらしのない顔見せられちゃったわね」
 と、かえでさん。
 やっぱりそうだった? 可愛くてにやけていた? ボクは瞬間戸惑ってしまう。
 でも、すぐにその意味を論理的に考えて答えを出した。
 今まで隊長がボクのパジャマ姿を見て笑いを堪えるような顔をしていたのは、ボクにこのパジャマが似合わないのがおかしくて笑っていたんじゃなくて、ボクのパジャマ姿が可愛いって思って、それで……。
「え? そ、そうだったの……?」
 その自分の出した答えが信じられなくて、ボクは心で思ったことをそのまま言葉に出してしまっていた。
「う」
 すると隊長は驚いたような、困ったような、そんな複雑な表情を見せた。
「大神君、可愛いと思ったら女の子にはちゃんと可愛いって言ってあげなくちゃだめよ」
 そこへかえでさんがそう言う。
「は、はい」
 それに隊長が返事を返した。
 それを聞いたらボクはもういてもたってもいられなくなって、また勝手に口が動いてしまう。
「あ、あの……。隊長……」
 それでも、ボクのこと可愛いと思ってくれてたの? なんて言うことはとても出来なくて、ボクが言葉を濁していると、横でかえでさんが隊長にウインクして見せた。
 そして、それを受けた隊長がボクにこう言ってくれた。
「レニ、あの、そのパジャマ良く似合ってるよ。その、可愛いと思う」
「あ、ありがとう」
 隊長に可愛いって言われたことは初めてじゃないけど、何だかボクは今までで1番今日の可愛いが嬉しく感じられた。そしてボクは気がつくと、満面の笑みでそう言っていた。
「さあさあ、2人とも歯みがきは終ったんでしょう? 続きは他でやってちょうだい」
 そこで、かえでさんがそう言うから、ボクと隊長は洗面所を空けて部屋に戻ることにする。
 隊長と並んで部屋に戻る途中、後ろからかえでさんのハミングが聞こえてきた。
 どうしたんだろう? 何かいいことでもあったのかな?
 ボクは少し不思議に思った。
「レニ、良かったら一緒に朝ご飯食べないか?」
 と、隊長がボクを朝食に誘ってきた。
「うん」
 ボクはすぐそう返していた。
 ボクも今日は隊長と一緒に朝食を取りたいと思っていたから。
 ボクが嬉しくなって微笑むと、隊長も笑顔を見せてくれる。
 今朝はアイリスのおかげで早起きして良かった。明日からもこの時間に起きようかな。
 ボクはそう思うと、もう1度隊長の顔を見て微笑んだ。



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