第 八 章

狂王 対 闇の王子




 謁見の間。王城の1階に設けられているその部屋に、半達の姿はあった。
 半、ディープ、シャドームーンと横に並び、その後ろに、カン、ミシェル、レタスと並んで全員片膝をつき、頭を下げている。
 6人が頭を下げている相手は、勿論狂王トレボーだ。
 玉座に座り、エビルのパーティを見下ろすトレボーは、その身に鎧を纏っていた。迷宮からの戦士達の帰還を祝うのに、戦士達と同じ装いをするのは礼儀だと考えるからだ。トレボーも半やディープと同じく、常に戦いに身を置く者。武人なのだ。
 トレボーの装備はエクスカリバー、深紅の衣、宝石のアーメット、守りの盾、銀の小手だ。その他のアイテムは持っていない。魔除けを今から受け取る為だ。
 一際目を引くのは深紅の衣と呼ばれる鎧で、この真っ赤な鎧は一説には戦の時、返り血によって染められたものだと言われている。
 トレボーの横には親衛隊長アンソニー・パーキングが控えている。反対側にはドワーフの戦士が立っている。このドワーフも親衛隊員だ。
 周りには大臣や宮廷婦人達、貴族階級の者、カント寺院の高僧等が宴に呼び出されていた。先程魔除けを持ち帰ったばかりだというのに良くこの人数を集められるものだと半達は思っていた。やはりトレボーはこの国の王なのだと改めて実感した。
「よくぞワードナを倒し、魔除けを取り戻した。冒険者達よ」トレボーの隣に立つドワーフが6人に語り始めた。
「同時にお前達はトレボー陛下の試験にも合格した事になる。報酬として5万ゴールドと全員を我が国の近衛兵として迎えてやろう。誇りを持って階級章を付けるがよい」ドワーフがそう言うとまた違う親衛隊員が、階級章を持って6人の前に現れた。半にはその顔に見覚えがあった。ディビスだ。
 ディビスは全員に階級章を付けた。半の胸に階級章を付けた時、ディビスは半を見て、レベルこそ自分より下だが戦って勝てるという気はしなかった。恐怖すら感じた。
 ディープは階級章をもらい、喜びを隠せない様子でニヤニヤしている。ミシェルとカンも親衛隊に入る事を望んでいたので一様に嬉しそうだ。
 半とレタスは、表情こそ変えていないが、内心迷惑だと思っていた。
 半は迷宮での戦いを楽しむ為に城塞都市にやって来たのだし、たとえ狂王と呼ばれ、尊敬し畏怖されているトレボーだろうと誰かの家来になるつもりなど毛頭なかった。
 レタスにしても思いは同じだった。モンスターやアイテム、そして何より魔法の勉強の為に迷宮にやって来たのだし、宮廷魔術師というのも良いが、やはり自分は自由が良いと思っている。
 半とレタスは高慢で傲慢で強引なトレボーの事、こうなる事を予測して無理矢理近衛兵にされた時は逃げようと2人で手筈は調えていた。
 シャドームーンの態度は幾分不可解だった。親衛隊入隊を望んでいると言っていたわりには、階級章を付けられてもニヤリともしない。逆にトレボーを睨みつけている。
「階級章は付けたな。これでお前達は今日から私の兵士となる。それではそろそろ受け取ろうか、我が魔除けを」トレボーは玉座に座ったまま初めて口を開いた。
 トレボーに言われ魔除けを預かっているシャドームーンが立ち上がり、トレボーの前まで進み出る。
 シャドームーンはトレボーの前まで進むと再び片膝をつく。そして魔除けを取り出し、トレボーを見上げる。魔除けを差し出す……。
 トレボーはそれを食い入る様に見つめる。トレボーの目には今魔除けしか入っていない。かつては自分の手中にあり、戦いの度に自分の力になった魔除け。ワードナに奪われたそれが返ってきた。今再び自分の手の中に。再び侵略に猛威を振るえる。トレボーは世界征服へ想いを馳せた。
 しかしシャドームーンの手が、魔除けを持つシャドームーンの手がトレボーの目から消えた。代わりに現れたのは白く光る美しい刀身、カシナートの剣。
 トレボーがハッと思った時はもう遅かった。トレボーの頬から鮮血が滴った。
 シャドームーンのカシナートがトレボーに襲いかかった!
 瞬間、宮廷婦人達の悲鳴が聞こえ、それが合図になったかの様に近衛兵や親衛隊員達が一斉に各々の武器を構え、シャドームーンと半達5人を取り囲んだ。
「ま、待てよ。俺達は関係ない」ディープが自分も取り囲まれた事に焦って、立ち上がりそう言った。
「シャドームーン! 何をするの?!」ミシェルも立ち上がる。
「シャドームーン!」カンも立ち上がり、シャドームーンの行動に目を見張っている。
 半もレタスも立ち上がった。
「貴様達、何をする気だ!?」口を開いたのはディビスだった。
「そいつらは関係ない!」シャドームーンが叫んだ。その目はトレボーを睨んだまま、カシナートの切っ先はトレボーの眼前に迫っている。
 トレボーのすぐ側にアンソニーとドワーフの親衛隊員がいるが、シャドームーンがトレボーに剣を向けているので身動きが取れずにいる。
「俺を覚えているか? トレボー」シャドームーンがトレボーに言う。
「覚えているかだと?」カシナートの切っ先越しにシャドームーンを見つめ、トレボーが玉座から言う。
「やはり忘れているか。しかしっ! この名前を忘れたとは言わせないっ! 我が父の名、ヤマトムーン!」シャドームーンがトレボーを見据え叫んだ。
「ヤマト? ヤマトムーン……? ダークエルフの王、のか?」トレボーがシャドームーンに聞く。
「そうだ。貴様に滅ぼされたダークエルフの国ムーン。その国の王ヤマトムーンだ。俺はその息子、ダークエルフの王子シャドームーンだ」シャドームーンがトレボーに答える。
「闇のエルフの王子だと? はっはっはっ!」トレボーが高らかに笑った。
「何がおかしい?!」とシャドームーン。
「馬鹿め! 貴様の父が治めていた国ムーンはすでに我がトレボー王家の支配下よ。今更貴様が私を殺して何になる? 王はおろかムーンの国ももう元に戻る事はないのだぞ。それより私の親衛隊に入る事を勧めるぞ。お前の働き如何ではムーンを貴様の領地にしてやっても良い。ワードナを倒した貴様なら良い働きが期待できそうだからな。さあ、まずこの剣をしまい魔除けを渡せ、私が大人しくしている内にな」シャドームーンに剣を突きつけられているというのに、トレボーは全く恐れる事無く、逆にシャドームーンに命令した。
 シュッ。シャドームーンがカシナートの剣を小さく一振りした。
「!」トレボーとシャドームーンの周りで一瞬ざわめきが起こる。
 トレボーの、今度は首に、一筋赤い線が走った。
 取り囲む親衛隊や近衛兵達が殺気立つのが分かる。
「大人しくしているのは貴様だけではない。貴様の命は俺の手の中にあるのだ。ふざけた事は言わない事だ」シャドームーンが再びカシナートの切っ先をトレボーに構えた。
「何が望みだ?」トレボーが口を開く。
「一対一で勝負だ。周りの連中に手を出させない事を約束してもらう」とシャドームーン。
「一対一? 仇討ちという分けか。一対一で勝てると思うのか?」とトレボー。
「その為に魔除けを手に入れたのだ。そして貴様に会う機会を作る為に」シャドームーンが左手の魔除けを握りしめる。
「なるほど、わきまえているという事か。いいだろう。しかし、ここで私を殺せば貴様もただではすまぬぞ」トレボーが顎で周りの親衛隊を指した。
 一触即発。シャドームーンがトレボーに剣を突き立てた瞬間、全ての親衛隊、近衛兵達がシャドームーンに襲いかかるだろう。
「分かっている……」シャドームーンは静かにそう応えた。
「良かろう。皆の者聞いたな。これからこのムーン国の王子と一戦交える事になった。アンソニーとディビス、それから瞬きの半といったな、貴様達パーティは残れ。後の者は全員この部屋から退避しろ」トレボーは部屋中に聞こえる様に大きな声でそう言った。
 そこで再びざわめきが起こり、婦人達や大臣達は先を争って部屋から逃げだす。親衛隊、近衛兵達の中にはすぐに逃げ出す者もいれば、王を置いて逃げる訳には行かないといつまでも出て行こうとしない者もいた。そういった者達もトレボーに怒鳴られると仕方なく部屋から出て行った。
 残ったのはトレボー、シャドームーン。そして親衛隊長アンソニーと親衛隊員ディビス、瞬きの半、ディープ、カン、ミシェル、レタスの9人だ。
「何故兵を下げた?」シャドームーンが聞く。
「ふっ、勝つ気でいるのか? 万が一貴様が私を倒せたとしても、あれだけの兵を相手にするつもりか? あれだけの人数、戦いの邪魔になるしな」とトレボー。
「では何故こいつらを残した?」とシャドームーン。
「ギャラリーだよ。見物人がいた方が盛り上がるだろう?」トレボーが言うとニヤッと笑った。
「……いいだろう。ただし絶対に手出しは無用だ」シャドームーンが言うとトレボーの目の前から剣をひいた。
「貴様の仲間にもそれは言っておいてくれよ」トレボーが立ち上がると言う。
「ふん。自分の利にならん事で動く連中じゃない」シャドームーンが共にワードナを倒した5人を見渡して言った。
「確かにな」今まで事の成りゆきを黙って見ていた半が口を開いた。
「シャドームーンがムーンの王子だったとは驚いたぜ」とディープ。
「ただの侍らしくない剣技だとは思っていたが」カンだ。
「どうして今まで黙っていたのよ!」ミシェルが何故だか半べそで怒っている。
「言う訳ないじゃん、言ったらばれちゃうだろ」レタスが当たり前の事を言う。
「俺がお前達とパーティを組んだのはやはり正しかった様だ。礼を言う」シャドームーンが5人に向き直るとそう言った。
「シャドームーン、死ぬ気なの?」ミシェルだ。
「死ぬのは、トレボーだ」シャドームーンが今度はトレボーを見、言う。
「なかなか良い仲間を持ったじゃないか。もっとも今では私の親衛隊員だがね」とトレボー。
 トレボーはシャドームーン達が話している間に剣を抜き、戦闘準備はできている。
「陛下」アンソニーが口を開いた。
「王が相手になる事はありません。ワードナを倒したとはいえ、レベル15かそこらの侍など私が」アンソニーはトレボーを見つめる。
「魔除けを身に付けているのだぞ。それにこんな面白い相手は久しぶりだ。魔除けを持った相手と戦ってみたい」トレボーも王とはいえ武人、戦いを好む者だ。
「しかし!」今度はアンソニーではなくディビスだった。
「良いではないか、負けはせぬのだから。それとも私が負けるとでもいうのか? ディビス?」トレボーがディビスに言う。
「いえ、決してその様な事は……」ディビスもトレボーにそう言われると後が継げなかった。
「準備はいいな、トレボー?」シャドームーンが魔除けを身に付けて言う。
「いつでも良いぞ。シャドームーン」トレボーが楽しそうに答える。
 シャドームーンはカシナートを両手で持ち、切っ先をトレボーに向け構えた。
 それに対してトレボーはエクスカリバーを片手で持ち、切っ先を下に向け構える。
 お互いが睨み合う。すでに戦いは始まった。
 トレボーの上等な装備に対して、シャドームーンの装備はあまり良い物とは言えなかった。
 カシナートの剣、極上の鎧、支えの盾、忍耐の兜、銅の小手、それにワードナの魔除けだ。かろうじてレッドという侍に送られた刀匠カシナートの最高品、カシナートの剣だけが上等な品と言えたが、切れ味はトレボーのエクスカリバーを凌ぐとは思えない。
 トレボーのエクスカリバーはロングソード+5に相当し、シャドームーンのカシナートの剣はロングソード+3に相当する。
 後は魔除けの力に頼るしかないが、魔除け自体には攻撃の魔法は備わっていないはずなので、あてにできるのは魔除けのヒーリングだけだ。しかし、それがあるとないとでは大違いだが。
 ゆら〜、と不意にトレボーがエクスカリバーの切っ先を波打つように動かし始めた。
 ピクッとシャドームーンの眉が動く。トレボーの動きを食い入るように見つめる。
 すー。波打っていた切っ先が不意に、しかし静かにゆっくりと上に向けられる。
 その動きがあまりにも落ち着いているので、シャドームーンは思わずぼーっと見つめてしまう。
 次の瞬間、上段まで上げられたエクスカリバーがいきなりシャドームーンに降る。
 それは降るという表現が正にぴったりの、物凄い速さの攻撃だった。
 そして、トレボーの剣は何度もシャドームーンに降り注いだ。
 シャドームーンはその剣を受け止めるのがやっとで、それでも最初の1撃、2撃は肩や頭を直撃した。
「最初の動きに惑わされるからよ。ふっ、青いな。それでも直撃を2発くらって立っているとは大したものと誉めておこう」トレボーは言うとその自分の与えた傷がみるみる治っていくのに気が付いた。
「確かに魔除けを手にし、私の前に現れたのは正解だったな……」とトレボー。
 シャドームーンは肩で息をしていた。その肩と頭の傷はすでに治りつつある。しかしトレボーの剣をカシナート越しに受けた手の痺れはまだ残っていた。
 正直シャドームーンの予想以上だった。それでもトレボーを睨みつけるシャドームーンの瞳にあるのは、憎しみと怒り。そこに恐怖は微塵も見られなかった。

 シャドームーンの背中をミシェルは見つめていた。
“こんな戦いは愚かよ。シャドームーン、私は貴方の死ぬところなんて見たくない。絶対に見たくない”
「勝てます、勝てますとも陛下」先程のトレボーとの会話の答えをやっとディビスが出し、笑みを浮かべ言う。
 横でアンソニーも口を横に広げ、白い歯を見せる。
「シャドームーン……」レタスがそう呟いた。
「レタス」心配顔のレタスに半が耳打ちする。
「シャドームーンが勝ったら例の計画はなしだ。だが、負けたら強行するぞ。俺が見るにシャドームーンは負ける。万が一勝てるとすれば魔除けを奪われた時だ。トレボーが油断するその時。そしてその時は逃げる絶好のチャンス。上手くすればシャドームーンも連れ出せるかもしれん」
「あ、あぁ」レタスがシャドームーンから目を離し、半を見ると応えた。
“シャドームーンを連れ出せる?”レタスは半のその言葉に何を考えているのかと聞こうとしたが、どのみち自分一人で逃げ出す事は無理と分かっているので、半を信用する事にした。この男はいつも何かやってくれる男だ。その結果が良いか悪いかは別として。

 キーン。シャドームーンとトレボーが剣を交えた。激しい金属音が部屋中に響く。
 2人の攻防はすでに、1時間近くも続けられていた。その間、その金属音は一度も途絶えていない。何という攻防、凄じいまでの気迫、並々ならぬスタミナ。
 トレボーの隆々たる肉体は疲れを知らないのか、まるで機械の様に正確に、休みなくシャドームーンに剣をぶつけ続ける。流石一代でこれだけの国を築いた男。王となった今でも戦の時には第一線に立ち、愛剣エクスカリバーを振るうという。
 しかし誉めるべきはシャドームーン。エルフという華奢な種族がこれ程までに‘やる’と誰が思っただろう。ワードナの魔除けの魔力で体力が回復するとはいっても疲労感は別物だ。疲れを癒す魔法などありはしない。これだけやれるのは間違いなくこのダークエルフの実力。スタミナも技も力もシャドームーンの執念が、諦めない心が産んだのである。



 シャドームーンの産まれた国ムーンは、代々ダークエルフの王家が統治していた。シャドームーンもトレボーの侵略がなければ王子という地位にあり、ゆくゆくは王となるはずだったのだ。
 ダークエルフが統治するといっても、国民の全てがダークエルフという訳ではない。勿論ダークエルフは多い、その次にエルフ。他の種族はそれぞれ均等に生活していた。
 トレボーの侵略は、徐々にではあるがムーンの国を脅かしつつあった。が、ムーンの誇るダークエルフの魔法軍が負けるなど誰1人として考えてはいなかった。
 それだからトレボーの軍勢が王都にまで進入しても、王城から王は勿論、大臣や宮廷婦人、下働きの召使い達に至るまで誰1人逃げ出す者はいなかった。
 ところがである! しばらくの後、ほとんどの者が城から逃げ出す事になった。
 ムーン国の誇るダークエルフ魔法軍がトレボー軍の前に立ちはだかった時、トレボーは何と! ただ1人でそれに立ち向かったのである。
 王都を舞台にしたダークエルフ魔法軍とトレボーの戦いはムーンの民を恐怖のどん底に落とし入れた。
 魔法軍の降る様な攻撃魔法を、トレボーはことごとく退けた。
 燃え盛る炎も、極寒の嵐も、核の爆炎すらも、トレボーはその周りに見えない壁を築き上げたかの様に全ての魔法を遮断した。
 絶対魔法防御。魔法に対する抵抗力を上げるものから、小さな結界を作り出すものまで、様々な魔法防御と呼ばれる魔法がある。その中で最も強力で相手の魔法はおろか、自らの魔法まで遮断してしまう結界を作り出す魔法防御を絶対魔法防御と言う。この魔法を使うと自他共に攻撃魔法は全く意味を持たなくなり、肉弾戦以外に戦う方法はなくなる。回復呪文でも絶対魔法防御があると仲間にそれを使う事はできなくなるので細心の注意が必要になる。最も自分の周りの結界から魔法力が放出できないだけなので、自らにかける回復呪文、防御呪文等は関係なく使える。絶対魔法防御は、よほど高位の魔法使いか僧侶でないと使用不可能と言われる魔法である。
 その絶対魔法防御をトレボーが使っているのだ。一体誰に予想できただろう。ダークエルフ魔法軍は恐慌状態に落ち入った。
 総数100というムーンの魔法軍も、魔法を使えなければただの非力な集団である。魔法軍の中には侍やロードといった前衛クラスの者もいたが、トレボーの敵ではなく、ダークエルフ魔法軍はトレボー1人によって見る間に全滅させられた。
 言うまでもなく、魔除けである。トレボーの持つ魔法の護符の力だ。その力は絶大。トレボー軍は大将1人の力だけで王都を制圧した。そして残されたのは、王城のみとなったのである。
 王城の人々は先を争って城から逃げ出していた。僅かに残ったのは、王家の者とムーン親衛隊、それに王と共に死ぬ覚悟をした者達であった。
 トレボーが親衛隊を引き連れて城に上がって来た時、ムーン王ヤマトは堂々としていた。勿論、死は覚悟していた。ただ、息子シャドーの事だけが気になっていた。
 ヤマトは今年5歳になったばかりの息子シャドーをトレボーがダークエルフ魔法軍を破った時、すでに親衛隊の1人を共につけ、城の外へ、国外へと逃がしていた。ただ、無事に逃げ延びてくれる事を祈って。それしかできなかった。
 ヤマトはトレボーを謁見の間で迎えた。ミスリルの鎧に身を固め、愛剣を鞘から抜き放ち、待ち構えた。
「最後の勝負だ、トレボー。一対一、お互いの部下には手を出させない」ヤマトが謁見の間に飛び込んできたトレボーに向かってそう言った。
「よかろう、闇のエルフのどす黒い血で新しい私の城を汚したくはないがな」とトレボーは不敵に笑う。
 ヤマトとトレボーの一騎打ちは始まった。
 一見互角に見えたその戦いも次第にトレボーが優勢になり、ついにヤマトの鮮血が飛び散った。ダークエルフといってもその血は普通のエルフや人間達と変わらぬ赤色で、トレボーの深紅の衣がさらにその赤を濃いものにした。
 ヤマトの死を追って、王妃や親衛隊員達もその場で自らの命を断った。
 この時、やっと王子の姿がない事に気が付いたトレボーは、シャドームーン捜索を命じたがついに見つかる事はなかった。
 こうしてムーンの国はトレボーの手に落ち、トレボーの領土となった。
 しかし、逃げ延びたシャドームーンは、確かに生き、成長していた。
 共に落ち延びた1人の親衛隊員にその剣技とトレボーの侵略の非道さを聞かされて育つ。
 そしてしばらくしてその親衛隊員が病の床に伏して、死に至る前にシャドームーンに告げる。
「トレボー城塞へ行きなさい。狂王の試練場と呼ばれる迷宮に。ワードナを倒し魔除けを、そして、トレボーを倒すのです。仇を……」そこで親衛隊員は絶命した。
 10年以上共に暮らしてきた親衛隊員を失ったシャドームーンは、その悲しみを怒りに変えて、父の、母の、親衛隊員の仇を討つ為にトレボー城塞に向かった……。



 ガキーン! 一際大きな金属音がミシェルの耳をついた。
 シュルシュルシュル。グサッ。風切り音が聞こえ、剣が床に突き刺さった。
「シャドームーン!」ミシェルが目に涙を浮かべて叫ぶ。
 トレボーとの長い戦いで疲労したシャドームーンが、ついにその剣を弾き飛ばされた。
「甘い、甘い。まだまだスタミナ不足だな、闇の王子」トレボーがエクスカリバーをシャドームーンに向けて言う。
「くっ」シャドームーンがガクッと膝を落とし、悔しそうな表情を浮かべる。
“何がスタミナ不足だ。1時間はゆうに経っているんだぞ。ここまでやれるのかシャドームーン。俺には、無理だ……”ディープが青い顔をしている。
「さあ、やっと決着だな。私を相手に良くここまでやったよ。貴様の父、ムーン王でも、そうだな、30分というところだったかな」トレボーが言いながらシャドームーンに近づいてくる。
「さあ、魔除けを渡せ」トレボーが剣を持つのとは反対の手をシャドームーンに突き出した。
「くう」シャドームーンが悔しがりながら懐の魔除けを取り出す。そして、悔しさと共に握りしめる。
「さあ!」トレボーが苛立ち、強い口調でそう手を突き出す。
「……」不意に、シャドームーンが何かを呟き始めた。呪文、詠唱だ。
「悪あがきはよせっ!」トレボーが叫び、シャドームーンに剣を降り下ろす。
 その瞬間、トレボーに向かって火球が飛んできた。ハリトだ。1レベルメイジスペルの最弱の攻撃呪文である。
 ボッ。一瞬トレボーは炎に包まれたが、纏う鎧がすぐにそれを拭い、毛ほどのダメージも与えてはいない。しかし、降り下ろすエクスカリバーがシャドームーンを捕らえる邪魔はできた。
「貴様ら!」トレボーがハリトの飛んできた方を見て叫んだ。
「シャドームーン、今の内に逃げるぞ!」ハリトを唱えたレタスの横で半がそう叫んだ。
“半、レタス、余計な事を”シャドームーンがそう思いながら詠唱を完成させる。
「マハリト」3レベルメイジスペルの攻撃呪文だ。トレボーの目の前で小さな爆発が起きる。
 それもトレボーの深紅の衣の為大したダメージは与えないが、シャドームーンが立ち上がりカシナートの剣を拾う時間は与えてくれた。
“シャドームーンが魔法を使うのって初めてじゃないか?”レタスが不意にそう思ったが、そんな事を考えている場合ではない。
 すでにトレボーもシャドームーンに向かっているし、レタスのハリトで半達全員にアンソニーとディビスは戦闘態勢に入った。
「俺は関係ない! 俺は親衛隊に入る為にここまで来たんだ」ディープが両手を上げ、戦う意志がない事を親衛隊の2人に示した。
「わしもだよ。それにこのミシェルもだ」カンも続いて両手を上げた。
 カンの言葉にミシェルは“えっ”という顔をしたが、シャドームーンや半達が逃げ延びる事などできるだろうか、と迷ったあげく静かに両手を上げた。
 もし確実に逃げ延びると確信していたら、ミシェルも迷わず3人と、いやシャドームーンと共に逃げていただろう。しかし、シャドームーンが捕らえられるのは必至。それなら捕らえる側になり、機を見て逃がす手だてをすれば良い、そう考えたのだ。
「分かった。貴様らは殺しはせん。アンソニー、ディビス、其奴ら2人捕らえろ。此奴は私が捕らえる。3人共民衆の前でギロチンにかけてやる。2度と私に謀反を企てる者が現れる事のないよう見せしめにだ」トレボーがシャドームーンに剣を構えながら半達を横目で見、親衛隊に命令した。
「御意」アンソニーとディビスが応えると、半とレタスに近づいてくる。
「余計な事をするからだ!」シャドームーンがトレボーにカシナートを構え、トレボーを睨んだまま半とレタスに言う。
「俺達はもともと親衛隊になど入る気はなかったからな。無理矢理入れられたんじゃかなわないぜ」半が言い、レタスが頷く。
「確かにな。力で民を押さえつける。それがこの男のやり方だ。力だけでは人はついてこんよ。そんな支配者は自然と淘汰される、いつかはな。ミシェル、命令されるのが嫌いなお前まで本当に親衛隊に入るのか? お前も所詮女、大きな力の庇護がなければ生きられないという事か」とシャドームーン。
“違う、違うわ!”ミシェルは思い切り叫びたかった。
“確かに最初は親衛隊に入って不自由なく暮らしたかったわ。でも今は違う。貴方といたい。貴方が好きなのよ、シャドームーン! だから、だから親衛隊に入るのよ。分かって、お願い”ミシェルの瞳が潤む。
「黙れ! シャドームーン。力がそんなにいけない事か? その力で私はここまでのし上がってきたのだ。そして今また力によって貴様を倒し、魔除けを取り戻すのだ。貴様も素直に私の力となっていれば死なずにすんだものを」トレボーが鬼気迫る表情で言う。
「アンソニー、ディビス。殺しても構わん、捕らえろ。生き返らせ、そして今度はロストさせてやる。私の民の見ている前でだ!」トレボーは狂っている。誰もがそう感じた。
 アンソニーやディビスですら、その時の狂王には悪寒が走った。そして本当にこの男の命令を聞いて良いものかとためらいが生まれた。先程のシャドームーンの言葉を思わず認めてしまいそうな気持ちにすらなった。
 その2人の心の葛藤を半は見逃さなかった。
 シュッ。瞬きの半、そのスピードをディビスは身を持って知った。ディビスの首がアンソニーの足元に転がった。
 それでアンソニーは我に返ったが、今度は半に対して恐怖を感じていた。
 そのスピードは自分が戦ったどの敵よりも速い。レベルで言えば3つも上のディビスを一瞬に倒したのだ。それでも戦わなければ、今度は自分が殺られる。
 アンソニーは剣を構えた。
「神よ、我にご加護を」アンソニーが小さく呟いた。
「神に仕える者が何故、トレボーに仕える?」半はアンソニーの呟きを聞き逃さなかった。
「世の中を戦乱の渦に巻き込むトレボーに何故仕える?」半はアンソニーに向かいそう問かけた。
 アンソニーは絶句した。アンソニーはロードである。ロードとは神に仕える聖騎士の事だ。弱気を助け、強気を挫く。それ故グッドの属性の者にしかなることが許されないクラス。それなのに何故自分は侵略の、戦争の手伝いをしているのか? トレボーはどうだ、何故ロードなのに戦乱を巻き起こす? 国を守る為に、家族を守る為に入った親衛隊。それが今は……。アンソニーの中にトレボーに、そして自分に対しての疑問が湧いてくる。
 突然、アンソニーが倒れた。乱れた心に魔法に打ち勝つ精神力は皆無。レタスのカティノであっさりと眠りに落ちた。
 半とレタスはトレボーの背後に回った。
「アンソニーとディビスを2人でか!?」トレボーは2人が倒された事に驚きを隠せなかった。
「戦いでレベルや力が全く関係ない時がある……。運が良い時だ」半がトレボーの背中にそう言った。
「運にも勝る力があると教えてやる」トレボーが応える。
 キン! 突然、トレボーがエクスカリバーを振り回した。シャドームーンのカシナートが払われ、シャドームーンがよろめく。その時のトレボーの動きは先程の半に勝るとも劣らなかった。
“しまった!”シャドームーンは思ったが遅い。あっという間にシャドームーンの握りしめていた魔除けをトレボーが奪った。
「確かに!」トレボーが高らかに魔除けを掲げ言うと、すぐさまそれを身に付けた。
「これまでか!」シャドームーンが吐き捨てる様に言う。
「見せてやろう。魔除けにはこういう使い方もあるのだ」言うとトレボーは呪文を唱え始めた。
「南莫三曼多縛日羅赧憾!」トレボーの呪文はこの場所にいる誰もが初めて聞く言葉だった。
 普通魔法に用いられる古代語や精霊語ではない。まだ他の、知らされていない未知のものだ。
 ゴオー! 突然に炎が舞い上がった。そしてそれはまるで生きているかの様にシャドームーンを取り囲んだ。
「見たか! 魔除けの力。この炎、操る事もできる!」言うとトレボーは小さく‘殺せ’と呟く。
 その言葉に反応し、炎が一斉にシャドームーンに襲いかかった。
「うおぉ―――――!」シャドームーンが絶叫する。
「シャドームーン!」たまらずミシェルが叫んだ。
「捕らえるとおっしゃったではありませんか!? トレボー様!」ミシェルがトレボーに訴える。
「ギロチンなどもうどうでも良い。此奴はこの場で殺す。灰となるまで焼き尽くしてくれるわ!」トレボーが振り返りもせずミシェルに答えると、さらに炎は勢いを増した。
「燃えろ! 燃えてしまえ!!」トレボーは焼かれていくシャドームーンを見て笑っている。
 その笑顔には狂気が見て取れる。半達5人は狂王の後ろ側にいたが、それでも笑っているのは分かる。狂王の名の由縁を目の当たりにしていた。
“こんな力が隠されていたのか! これじゃあ逃げようとした途端襲われる”半が焼かれるシャドームーンを見ながら、それでも冷静に考える。
 ピシッ。何かが裂ける様な音がした。その刹那、バリバリバリッという音が聞こえたかと思うと、突然トレボーの体から稲妻の様なものが走った。
「何事だ?!」トレボーがそう言ったかと思うと、今度はシャドームーンを取り込んでいた炎が飛散し始めた。
 シャドームーンの体で燃えていた炎は全て飛び散り、今度は謁見の間中を駆け回り始めた。
「コントロールが効かない!!?」トレボーは自らが魔除けで作りだした炎をコントロールできなくなっていた。
「何故だ?!」トレボーが言うと身に付けた魔除けを外し見る。
 それは、ピシッ、ピシッと音を立てながら徐々に亀裂が入っていき、トレボーの手の中で崩れ始めた。
「紛い物か!?」トレボーが叫んだかと思うと、突然それが爆発した!
 ドカーン! 魔除けの爆発と共に轟音が響く。魔除けに注ぎ込まれていた全ての魔力が一気に放出したのだ。
 部屋中に爆発の影響で煙がもうもうと立ちこめる。
「マロール!」トレボーの耳に裏切った若い魔法使いの声が聞こえた。
“馬鹿め! 城内には結界が張り巡らせてある。外からは勿論、中からも外に逃れる事は不可能だ”トレボーは手の中で起こった爆発に、とっさに身を伏せていた。
 そして煙が晴れ始め、再び部屋の様子が分かるようになる。
 謁見の間は全壊していた。壁は全て吹き飛び、外が見える。天井にも穴が空き、2階につながっていた。
 トレボーは少しの間横たわっていた。とっさに伏せはしたが、爆発の中心にいてダメージがない分けはない。が、ティルトウェイトをくらっても死なぬトレボーだ。命に別状はなく、しばらくすると立ち上がり、すでにそうは呼べないが部屋を見回した。
 転がっているディビスの死体が炭になっている。カント寺院に持って行けば生き返るだろう。
 アンソニーはさすがに目を覚ましているが、事態を把握できず呆然としている。
 新たに親衛隊に加わった3人の精鋭は、流石ワードナを倒した強者だ。とっさに防御の呪文でも唱えたのだろう、かすり傷程度ですんだらしく立ち上がって先程まで仲間だった連中を探していた。
 トレボーもそれに習い辺りを見渡すが、何処にもその姿は見えなかった。
 闇の王子も、ホビットの忍者も、若い魔法使いすらいない。
「壁から外に? そこでマロールか!」トレボーが反逆者達がいない事に愕然とする。逃げられたのだ。まんまと逃げられてしまったのだ。
「しかし……、魔除け! 偽物とはどういう事か!?」今度は残された者達にそう叫んだ。
 しかし、ミシェル、カン、ディープの3人にその答えが出るはずもなかった。



 しばらくしてジム・アクセルら6人が再び魔除けを持ち、トレボーに謁見するが、その魔除けも調べによって偽物と判定された。
 2つのパーティが倒したワードナも偽者ではないかとの疑いが持たれたが、それでもワードナを倒した事には違いなく、よって親衛隊への入隊は認められる。
 ジム、ジャッキー、ミルの3人は入隊を拒否するが、エクスカリバーを構え、「入隊せぬ者は処刑する」と言うトレボーの言葉に渋々従うほかなかった。



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