赤い糸



   小さな林があり、小川が流れていた。
 野宿するにはおあつらえむきの場所で、今夜の宿はこの場所に決めた。
 焚き火をおこし食事の用意をすると、レイヴンとリーゼは並んで座った。
 ジェノブレイカーで降りる時、空から林の外れに木の実が生っているのが見えたと、リーゼがはしゃいだ。
 明日、出発の前にその木の実を採ってくるつもりらしい。
 そんな話をしながら食事をしていたが、ふと、何か思い出したらしくリーゼが口を開いた。
「ねぇ、レイヴン。赤い糸って知ってる?」
 唐突にそう言うと、どこか目を輝かせてレイヴンの顔を見る。
「赤い糸なんて荷物には入っていなかっただろう? どこかほつれたのか?」
 そのリーゼの質問に、レイヴンが真面目な顔で答えた。
「あははー。違うよ。赤い糸の伝説のことだよ」
 レイヴン知らないんだ、とリーゼが笑顔を見せた。
「赤い糸の伝説? 何だそれは?」
「仕方がないなぁ、教えてあげるよ」
 少しだけ勝ち誇ったような顔で、リーゼが説明を始めた。
「人間はね、生まれた時から左手の小指に、見えない赤い糸が結ばれてるんだって」
 説明するリーゼの顔を、レイヴンがジッと見つめる。
「それでね、その赤い糸の先は、将来結ばれる人の小指に繋がってるんだ」
 短い説明を終えると、リーゼはふふんと笑い、笑顔でレイヴンの顔を見つめた。
「……見えないのに、どうして赤だと分かるんだ?」
 それにレイヴンは、また真面目な顔で素直に疑問を口にした。
「そんなの知らないよぅ。もう~、レイヴンは夢がないなー」
 レイヴンの味気ない反応に、リーゼはつまらなそうな表情をする。
「君って妙に真面目なところあるよね」
 リーゼは最後にそう言うと、もういいやと、食事の続きをした。
 レイヴンも良く分からないままに、その話はそれで終わってしまった。

 翌朝。
 レイヴンが朝日の眩しさに目を覚ました。
 その眩しさに、ふとレイヴンが手で顔を隠すと、それに気がつく。
「何だこれは?」
 それを見つめると、レイヴンはそう呟いた。
 見ると、陽光の眩しさから逃れるためにかざしたその手に、何かが絡まっていた。
「糸? 赤い、糸?」
 左手の小指に結び付けられているそれをレイヴンが声に出す。
 寝起きのボーっとした頭で、何故そんなものが指に結ばれているのかと考える。
「昨日……」
 昨日食事の時にリーゼが話していたことを思い出した。
「リーゼの仕業か?」
 と、見えない赤い糸なら目に見えるはずがないと、寝てる間にリーゼに悪戯されたのかと推測する。
「こんな悪戯をするために、昨日あんな話をしたのか?」
 体を起こしながら、まったく子供だとという感じでそう言うと、小指に絡まっている糸を解こうと右手を伸ばした。
 と、奇妙なことが起きた。
「?」
 寝ぼけているのかと、もう一度左手の小指に結ばれている赤い糸を、右手でつまもうとする。
 だが、それが出来なかった。
 流石にハッとなって、何度も糸をつまみあげようとするが、何度やってもそれが出来なかった。
 糸に触ることが出来ないのだ。
 まるで、幽霊のように、目には見えているが触ることが出来ない。
 触ろうとしても、レイヴンの手は糸をすり抜けてしまう。
「どうなっているんだ?」
 流石のレイヴンも理解不能だった。
「ん~」
 と、隣で寝ていたリーゼが目を覚ました。
「おはよ~」
 寝ぼけ眼でレイヴンを見つけると、まだ横たわったままに眩しそうな視線を向けて、リーゼが微笑んでいる。
「お前の仕業か?」
 リーゼの挨拶に返事はせず、いきなりそう聞いた。
「何のことぉ?」
 レイヴンの横に体を起こすと、リーゼが首をかしげた。
 寝ている間に悪戯したんだろうと、レイヴンはリーゼを睨む。
「どうしたのさ、怖い顔して?」
 だが、リーゼは悪びれるでもなく、微笑みで答えた。
「お前じゃないのか……?」
 その態度に、レイヴンが左手、赤い糸が結ばれているその小指をリーゼに見せながら言う。
「手が、どうかしたの?」
 と、またリーゼは首をかしげる。
「……見えない、のか?」
 そんなはずはないと言う風にレイヴン。
「見えるよ。レイヴンの手だろ」
 だが、リーゼの返事はそうだった。
「どうしたの? 夢でも見たのかい?」
 言いながら立ち上がると、レイヴンを見下ろし、未だに掲げている左手を一度ギュッと握った。
「!」
 その自分の手を握ったリーゼの左手を見て、レイヴンは目を見開く。
 レイヴンの赤い糸は、リーゼの左手に、その小指に繋がっていた。
「コーヒー入れるね」
 だが、リーゼには本当に見えていないようで、そう言うとコーヒーの用意を始める。
 レイヴンは、訳が分からないままに、もう一度自分とリーゼを繋いでいる赤い糸を見つめる。
 そして、またそれに触れようとするのだが、やはりレイヴンの指に赤い糸の感触は伝わってこなかった。

 リーゼがコーヒーを用意するのをジッと観察していた。
 正確には、赤い糸を観察していた。
 レイヴンが見ていた限り、レイヴンとリーゼを繋ぐ赤い糸は、どんな物もすり抜けてしまっていた。
 毛布も、コーヒーポットも、湯を沸かすために焚いた火も。
 そして、伸縮も自在のようだった。
 試しにレイヴンが左手を動かしてみたが、リーゼがこちらに引っ張られる訳でもなく、伸びきって突っ張る訳でもなかった。
 少し歩いてもみたが、歩けば歩いた分だけ赤い糸は伸びていた。
 いきなり歩きだすレイヴンを、リーゼやオーガノイド達はキョトンとした顔で見ていたが、やはり赤い糸だけは見えていないようだった。
 レイヴンの側ですることもなく突っ立っているシャドーに、何気なく左手を上げて見せてみるが、やはり最初にリーゼに左手を見せた時のように、首をかしげるだけだった。
 リーゼの側にいるスペキュラーもそれは同じだった。
 やはり、自分にしか見えないし、触りたくても触れない。それが観察して出た答えだった。
「はい」
 コーヒーカップをリーゼがレイヴンに渡す。
「ああ」
 それを受け取りながらも、視線はリーゼの左手の赤い糸に向けられる。
 一通り観察が終わり、納得いかないがどうしようもないことが分かると、今度は赤い糸ではなく、その伝説の方が気になりだした。
 コーヒーを一口流し込み、少し自分を落ち着けるとレイヴンが口を開く。
「……リーゼ」
「ん?」
「昨日言っていた赤い糸の伝説のこと、詳しく教えてくれないか?」
 赤い糸で繋がっている相手に聞くのも変な話だと思ったが、ここにはリーゼしか話し相手がいない。
「何だよ急に。昨日は興味なさそうだったくせに」
「急に……興味が湧いた」
 嘘ではない。
「ふーん。変なレイヴン。……でも、昨日話したことしか知らないよう」
 リーゼの方でもう興味を削がれたのか、素っ気ない返事だ。
「あれだけ?」
 その素っ気ない返事にレイヴンが思わず聞き返す。
「そうだよ」
「そ、そうか……」
 ガックリした。



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