公演初日はいつも、劇場前に長い列が出来る。
 当日券の販売は事務局で行なわれるので、劇場前に並ぶのは全て前売り券を持った客達だ。
 席指定の前売り券を持っているのに列を作る必要はないのだが、楽しみにしている花組の舞台、居ても立ってもいられない気持ちになるのも無理はない。
 加えて、公演ごとに販売される記念グッズを求める客も少なくない。
 公演期間内にしか売られない商品だけにかなりの人気で、早めに購入しておかないと売り切れの心配があるのだ。
 やがて開場時間になると劇場のドアが開け放たれ客がなだれ込む。
 モギリの大神は入り口に待機し、その全ての客のチケットを確認しながら鋏を入れていく。
 時には常連客の姿を見つけ声をかけたり、逆に客から声をかけられファンレターを渡してくれと頼まれたりもする。
 すっかりなれた様子で大神がそれらの客を劇場に送り込むと、今度はその中の数人がそのまま売店に向かう。
 記念グッズを求める客や、舞台を見る前にパンフレットで予習しておこうという客など様々だ。
 今度は椿が大忙しの番だ。
 小さな売店の前に出来る長い列に焦ることなく、所狭しと売店の中で動き回る。
 商品の配列も完璧に覚え、在庫の管理も問題ない。お代は全て暗算でこなし、つり銭のお札も向きを揃えて丁寧に渡す。
 無駄のない動きでスムーズに手際良く。それでいて、客には椿の笑顔が1番印象に残る。
「ありがとうございましたっ!」
 元気な声も心地良かった。
 そうして開演前の数十分。大神や椿にとっての『本番』が終了すると、ホールは嵐が去った後のようにしんと静まりかえる。
 今度は花組が本番を迎える番である。
 本番中は売店も暇になる。その間に商品の補充などをしておかなくてはならない。
 大神はモギリの仕事が終わると、いつも商品の補充を手伝っている。
 いつものように大神が椿に何を補充したらいいかと尋ねようと思った時、椿の視線が一点に集中していることに気がついた。
 その視線を追って大神も椿が見つめるものに目を向ける。
 誰もいないホールにポツンと1人少年が立っていた。
「来てくれたんだ」
 椿が思わず声を上げる。
「うん。お姉ちゃんにはさよならを言いたかったからね」
 少年がそんなことを言う。
「もう始まるよ」
 椿がいつもと変わらない笑顔を見せる。
「舞台はいいよ。お姉ちゃんに会いに来ただけだから……。それに夕方には出発なんだ」
 と、少年。
「え、今日? そんな、でも、花組の舞台だよ? 引っ越したら簡単には見られなくなるんだよ?」
 困ったような寂しそうな表情で椿。
「1人で見てもつまらないよ」
 それに少年は目を伏せて小さく言った。
 母親と一緒に見る約束だった春公演。その母親はもういない。
 少年にとってこの舞台を1人で見るということは、辛いことでしかなかった。
「夕方なら見てからでも汽車には間に合うわよね? ねえ、お姉ちゃんと一緒に見ない?」
 その少年に椿がそう言った。
「え?」
 反射的に伏せた目を上げて、椿の顔を見つめる。
「お母さんの代わりだなんて言わないよ。1人で見るのがつまらないなら一緒に見よう? 折角、帝都で最後の花組の舞台なんだから楽しんでほしい。帝都で最後に楽しかった思い出を作ってほしいの。辛いまま引っ越さないで……」
 優しい表情に変わりじっと少年を見つめる。
 しばらくの間。
 こくり。
 少年は首を縦に一度だけ振った。
 ブー。
 そこで開演を告げるブザーが鳴る。
「お客さん。チケットをお見せ下さい」
 いつのまにか大神が側に近づいていた。
「大神さん」
 椿が大神の名を呼ぶと、大神は優しく微笑む。
「売店はまかせて。さ、もう開演だよ」
 そしてそう言った。
「はい!」
 元気に椿が返事を返すと、椿と少年のチケットに大神が鋏を入れる。
 そして、少年と椿は客席のドアを開け中に消えていった。
 2人を見送った後、大神が呟く。
「でも、何を補充すればいいんだろう?」
 苦笑い。
「まったく、気になって来てみれば、仕方のない大神さんね」
 背後から声がかかった。
「由里君」
 振り返るとそこに由里がにやにやと笑って立っている。
 横にはかすみの姿も見えた。
「さあ、大神さん。始めましょうか」
 そのかすみが言う。
「ああ」
 それに大神も笑顔でそう答えた。

 指定席『トの13番』。並んで『トの12番』。
 少年と椿の姿があった。
 舞台では花組のレビュウショウが続く。
 硬い表情だった少年も花組の舞台にいつしか和らいだ表情に変わっていた。
 時折、隣の椿の顔を見ては、微笑む。
 椿もそれに答えるようにして、少年に微笑み返した。
 クライマックス。
 花組全員が歌う『夢のつづき』が流れ始める。
 また、少年が椿の顔に視線を移した時、その目に映った。
 椿の姿と重なって、和服の女性が見える。
「母ちゃん……?」
 思わず少年が小さく声を漏らす。
「え?」
 椿がその呟きに少年の顔を見た。
 そこで、椿は自分と重なるその姿に気づく。
 すぐにそれがあの幽霊だと確信する。
 だが、恐怖はなかった。どこが暖かい感じがした。
 椿と一緒に少年を見つめる和服の女性は優しく微笑んでいだ。
「母ちゃん」
 もう一度少年がそう呼ぶと、和服の女性はすぅっとその姿を消した。
「……さよなら」
 少年はまた小さくそう呟いた。

 ♪この夢がずっとずっと つづいてほしい
  わたしの恋は 輝いているわ

  ともに生きた証が 胸に熱くよぎる
  いつまでも いつまでも 大切にしたい

 花組の歌が和服の女性を見送った。

「ありがとう、お姉ちゃん」
 客席からホールに出ると、少年が椿を見上げ言った。
「お礼を言うのはこっちの方よ。ありがとう、見に来てくれて」
 椿が嬉しそうに微笑む。
「おかげでちゃんとさよならが言えた」
「そうだね」
 あの幽霊に言ったさよならは、少年の辛い思い出へのさよならだったのかもしれない。
「おいら、大きくなったらまた帝都に戻ってくるよ」
 笑顔で少年。
「本当に!?」
 少年の言葉に椿が喜びの声を上げる。
「うん。その時は、また一緒に花組の舞台見てくれる?」
 少し照れながら、けれど笑顔で少年が口を開いた。
「ええ、いいわよ」
 ちょっぴりお姉さんぶって椿。
「約束だよ」
「うんっ」
 そこで2人微笑みあった。
「じゃあ、おいらもう行くよ。もうすぐ汽車の時間だ」
「うん」
 明るい表情で椿がこたえる。
「さよならは言わないよ また会えるから」
 少年が『夢のつづき』の歌詞を口にする。
「またね。椿ちゃん」
 そして最後にそう言って、元気良く外に飛び出していく。
「またね」
 椿も元気に言う。
 昔のままの元気な少年の姿に、ホッとした気分になる。
「さよならは言わないの また会えるから、よ。今度教えてあげなくっちゃ」
 そして、そう独り言を呟くとくすりと微笑んだ。
「椿ちゃんか〜」
 そこに後ろからそう声がかかる。
「由里さん」
 椿が振り返るとそこににやにや笑って由里が立っていた。
「お姉ちゃんじゃなくて椿ちゃんだったわね。これはライバル出現ね」
「え? 何のことですか?」
 由里の言った意味が分からず、椿が聞く。
「椿、大神さんと食堂で、こーんなに顔を近づけてひそひそ話してたんだってぇ? つぼみちゃんに聞いたわよ」
 大げさな身振りで由里が言う。
「え! それはあの幽霊の話を聞いていたんですよぉ」
 慌てて椿が説明する。
「それに客席でも大神さんと何か話してたってさくらさんが気にしてたわぁ」
「やだ、それだって……」
 さらに追い討ちをかける由里に椿がどぎまぎする。
「あははー、冗談よ」
 と、その椿の慌てぶりを楽しむと、由里がそう言ってくすくすと笑う。
「あ。由里さん、ひどいですぅ」
 そう言って椿は少し頬を膨らます。
「へへへ。ほら、その大神さんが泡食ってるわよ」
 言うと由里が売店に視線を向けた。
「お兄さん、早くしておくれ」
「何やってんだい」
 その売店から客達のそんな声が聞こえてくる。
「あっ!」
 終演後の客で売店は大忙しだ。
「大変っ! 私、行ってきます!」
 それを見ると、椿は一目散に売店に駆け出した。
「うふふ。元気でよろしい」
 その椿の後姿に由里がそんなことを言う。
「いらっしゃいませっ!何をお求めですか?」
 そして、売店からは今日も、椿の元気な声が聞こえてくる。



戻る   あとがき



  サクラ小説