次の日。
公演後の汗を流す為に、さくらがシャワーを浴びようと地下のシャワー室に足を運ぶと、すでに先客あった。
さくらは一瞬それが誰だか分からなかった。
背中の中ほどまで伸びた長い髪、均整の取れたプロポーション。
「だぁれ?」そしてその聞き覚えのある声で、やっとさくらはそれがあやめであると気がついた。
「あ、あやめさん。私です。さくらです」さくらが答える。
「あら、さくら。どうしたの?入ってらっしゃいな」シャワーの音に混じってあやめの声が聞こえる。
「え、ええ」とさくらは答えると、あやめの隣りのシャワーを浴びる場所に入った。
蛇口をひねりさくらがシャワーを使い始めると、隣りのあやめから声がかかる。
「ねぇ、さくら。どうして昨日のパーティでお母様から贈って頂いたお洋服を着なかったの?」
「え・・・」不意の質問にさくらは言葉に詰まった。
「せっかく綺麗なお洋服だったのに」
隣りから聞こえてくるその言葉にさくらは少しの間黙っていたが、あやめが顔は見えないが黙って自分が話すのを待っているのだと感じて、やがて話し始めた。
「あの、あたし、お洋服って舞台以外では着たことがなくって、ちょっと恥ずかしかったんです。それに、上手く着こなせるかなぁって・・・」
さくらはそこまで言うと、再び沈黙する。
隣りからはシャワーの音だけが聞こえ、あやめは何も言わない。
しばらくの沈黙の後、さくらは再び口を開いた。
「・・・あのお洋服は、昔お母様が着ていた物なんです」
さくらのその言葉に今度はあやめも口を開いた。
「さくらのお母様が?」
「ええ。お母様が私と同じ年位の頃にお父様に贈っていただいた物だって、昔お父様とお母様の若い頃の写真を見せてもらったことがあるんです」さくらがその時の事を思い出して話し始める。
「お父様とお母様がまだ結婚する前に、お母様の誕生日にお父様が贈ったものなのだそうです。その写真の中のお母様は本当に綺麗で、今の私なんか比べ物にならないくらい・・・」
「それで着なかったの?」隣りのあやめが聞く。
「だって、お父様がお母様に贈ったものだし、それに私なんかが着ても、あの頃のお母様のように綺麗には着こなせないし・・・」
そこでまた、あやめの耳にはシャワーの音しか聞こえなくなった。
「昔、ある姉妹がいたの」その沈黙を破って今度はあやめから口を開いた。
「え?」
「その姉妹の妹は、いつも姉と比べられていたわ。子供の頃からね」
さくらは黙ってあやめの話を聞き始めた。
「だけど妹はそれが嫌で、いつも姉とは違うことをして見せたの。和服より洋服を好んだし、髪も短く切ってしまった」
シャワーの音と共に聞こえるあやめの声に、さくらは黙って耳を傾ける。
「でも、最初は反発するようにしてそうしていた妹も、いつしかそうすることで新しい自分を見つけていったわ。姉にはない自分だけの部分をね」
「自分だけの部分・・・」さくらはあやめの言葉の意味を探るように繰り返した。
「そう、自分だけの。それから誰もその姉妹を比べることなんてしなくなったわ。だって2人は違う存在なんだもの。比べる必要なんて初めからなかったのよ」
「比べる必要なんてない・・・」とまたその意味を考える。
「あたし、昔のお母様と自分を比べて勝手に尻込みしちゃって・・・。でも・・・」
「そう、大切なのは・・・」
「自分らしさ」
「そうね」
「あ、あやめさん!あたし!」とさくらが勢い良くシャワーを浴びる場所から顔を出す。
あやめも顔を出すとそのさくらの顔を見てにっこりと微笑んだ。
7月31日。
あやめの誕生日を祝おうと、例によって楽屋でパーティが開かれた。
そこでさくらは自分の誕生日には着なかった母親から贈られたワンピースを着た。母親が自分にこの服を送ってきた理由に気がついたからだ。
昔写真を見て憧れた母の姿。それを真似るのではなく、娘として母親とは違う魅力を引き出すように。自分らしく。
帝都に出て初めての誕生日。きっとお母様の気持ちが込められているのだ、とさくらは思って。
初めて見る舞台衣装以外のさくらの洋服姿に皆感心した。
すみれが「さくらさんが着るとどんなお洋服でも素朴になってしまいますのね」と感想を漏らしたのだが、さくらはそのすみれの言葉がとても嬉しかったらしく、大きな声で礼を言いすみれを驚かした。
そして、あやめも今日は美しく着飾っていた。
黒いスリップドレス。裾には小さく星の模様が散りばめられている。あらわになった両肩と下ろした長い髪が色っぽい。
花組の皆もそのあやめのドレス姿には感嘆の声を上げた。大神は条件反射のように鼻の下を伸ばし、さくらに背中をつねられている。
あやめはそんな花組を見て思う。
“この娘達が今の私には大切な妹達だわ。皆あなたと同じように自分らしくがんばっているわよ。出来の悪い弟も混じっているけど”
そして、遠くヨーロッパにいる妹を思い、あやめは優しく微笑した。