織姫は思い出していた。 ヨーロッパ。星組時代のこと。 星組。花組構想のテストケースとして作られたエリート霊能力集団であると同時に、舞台俳優の集団でもあった。 現花組の織姫とレニはその星組の元メンバーである。 花組が結成された時点ではすでに解散されているその組織に、織姫やレニが所属していたのは4年以上前。 当時織姫は13歳前後。レニにいたっては11歳位である。 アイリスは今日で13歳になる。丁度星組時代の織姫と同年齢だ。 ある公演で織姫は主役を獲得する。星組は児童劇団ではない。当然、織姫やレニよりも年上の役者がたくさんいた。 エリート意識の強い星組の中で、子供というだけでも軽く見られていた織姫とレニ。年齢の分役者としての経験も他のメンバーより少なく、その中で織姫やレニが子供扱いされるのも仕方がないことだった。 そこへ織姫に主役の話。 織姫はそれを自分の才能を見せつけるチャンス、そう思った。 そして、織姫はその時今回のアイリスと全く同じことを言った。 「このシーンは主役であるわたしの1番の見せ場です!ここだけは来てくれたお客さん全員に見てもらわなくては、絶対に嫌です!」 主役である自分の見せ場なのに、脇役の陰に隠れて見えなくなる観客がいることが耐えられなかった。 だが、織姫のその言葉も他の星組メンバーからは、子供のわがままとしか受け取ってもらえなかった。 無論、誰も織姫の意見を聞き入れず、自分の立ち位置を変えようとはしない。 そして、織姫が取った行動は、本番の舞台で自分が立ち位置を変えるということだったのだ。 どの観客席からも見える位置、舞台の1番前まで織姫は進み出た。 しかし、何の予告もなしに立ち位置を変えるということは、同じ舞台に立つ他の者、或いは舞台を作る者にとっては些細なことではすまない。 その後の演技の流れ、照明の位置、BGMのタイミング等、立つ位置が変わるというだけでありとあらゆる事柄に大なり小なり影響があるのだ。 案の定、織姫の後をついでセリフを言うはずの役者が瞬間戸惑う。 織姫に歩み寄ってセリフを言うはずのシーンだった。その後に続いてセリフを言う役者もいる。 織姫の後に続く役者は織姫に合わせて自分も前に出るべきか、そのままの位置で織姫を待つべきか考える。 その役者の後に続く役者もその役者の行動次第では動きを変えなくてはならない。 そんな思いが一瞬だが舞台上を支配し、それぞれの役者の動きを瞬間鈍らせた。 が、思いも掛けないところから救いの手は伸びる。 レニだ。 その舞台では端役だったレニが、すっと舞台前方に歩みより織姫の手を取ると、その手を引き織姫を元の立ち位置に戻した。 その後は台本通り、織姫の後にセリフを言うはずの役者はそのセリフを言い、その後に続く役者もその通りにした。 レニはさりげなく自分の立ち位置に戻り、そのまま台本通り舞台は進んだ。 結局、その日舞台は大成功。今までの星組公演の中でも最高の賞賛と賛美の言葉が浴びせ掛けられた。 その日以来、そのシーンで織姫は中央から前方へ出るように台本は直される。勿論、レニも同じだ。 その舞台公演が終了する頃には、織姫の名前は演劇の世界に響き渡っていた。 それを機に織姫、そしてレニの2人は他の星組のメンバーから一目置かれる存在となった。 誰も子供扱いなどしなくなった。 織姫の取った行動は1つ間違えば舞台をめちゃくちゃにするものだったが、他の星組のメンバー達はエリート意識の高いせいもあるのか、結果的に織姫の行動が彼女と舞台の評価を上げるものになったことを素直に見とめたし、織姫も自分の行動で起きうるありとあらゆる事態に対処出来る自信があった。 結果、レニに助けられる形になったが、それがなくても織姫はどうにでも出来たという自信があった。 が、今にして思えば・・・。 「あの時のわたしはやっぱり子供でした。あの時はどうとでもする自信がありましたけど、レニがいてくれなかったら舞台はメチャクチャになっていたかもしれないです・・・」 織姫は帝劇、自室のベッドに横になり、その時のことを思い出していた。 『織姫、忘れちゃったの?』 不意にさっき聞いたレニの言葉が頭に浮かぶ。 「忘れるわけないわ。あの時の気持ちは・・・」織姫は噛み締めるように呟く。 「でも、だからこそアイリスに無理をしてもらいたくないのよ・・・」 7月6日。 今日も客席は満員。立ち見客の姿も見える。 舞台のテンションは最高潮。そしてこれからアイリスの1番の見せ場である『アリスの証言』の場面だった。 舞台にはカンナのハートの王様と織姫の女王が並び、さくらの白兎にマリアのジャック。すみれ、紅蘭、レニは陪審員。アイリスのアリスはその中央に位置していた。 白兎に次の証人として名を呼ばれアリスが返事をする。 大きくなっているアリスが陪審員席をそのスカートの裾でひっくり返すシーンは、小さなアイリスが大きなアリスを見事にその体で表現し、息のあったすみれ、紅蘭、レニがタイミング良く席からひっくり返った。 そして白兎が証拠の紙片を読み上げるシーン。 そこまでは舞台は台本通りに進んでいた。 織姫はこの時小さな不安感を抱いていた。この後のシーン、そこがアイリスが自分に立ち位置を変えろと言ってきたシーンだからだ。 アイリスがもし昔の自分のように自分の立ち位置を変えたら・・・。 そしてその織姫の思いは実行に移された。 アイリスが舞台中央から前方へと移動したのである。勿論台本にはない。他の花組のメンバー達は、あの日の星組メンバー達と同じように一瞬躊躇する。 次は織姫演じる女王とアリスが絡むシーン。 このシーンのすぐ後に舞台は暗転する。あの時とは訳が違った。舞台装置やセットとの関係上このシーンでの立ち位置はこの時点では絶対のものなのだ。 織姫は動くに動けない。 花組に背を向ける形で客席全てから自分の姿が見える位置に立ち、アイリスは舞台の上でその輝きを全ての観客に見せつける。 そして、アイリスのセリフが終る。次は織姫のセリフだ。 アイリスが背中で織姫のセリフを待っているのが分かる。 他の花組のメンバーも息を飲んだ。 そして織姫が戸惑う中、1人が立ち上がった。 レニだ。 レニはあの時と同じようにアイリスにそっと近付くとその手を優しく取り、あたかもそうすることが当然の如くアイリスの体を反転させる。そして、その背中をそっと押した。 軽くふわりと体を押されただけなのに、アイリスはそれに逆らうことが出来ない。アイリスは自然な形でまた元の立ち位置に戻った。 そして台本通り織姫のセリフ。レニは自分の立ち位置に戻り、舞台は何事もなかったように進んで行った。 後でレニはその時のことをこう言っている。 「勝手に体が動いたんだ。きっと舞台の神様が手を貸してくれたんだと思う」 レニらしい言葉に皆呆気に取られながらも納得した。 舞台終了後。アイリスはマリアに勝手に立ち位置を変えたことをこっぴどく叱られた。 だが、それに助け舟を出したのは意外にも織姫だった。 「マリアさん、そのくらいにしてあげて下さい。わたしアイリスの気持ち、良く分かります」 「織姫・・・」マリアとアイリスが同時に呟く。 「主役ですから最高の状態で演技したいと思うのは当然です」 その織姫の言葉にマリアもそれ以上何も言わなかった。 「ごめんね織姫。アイリスが子供だったよ」アイリスが力なく話し始めた。 アイリスとて自分のとった行動が、1つ間違えば舞台をメチャクチャにしてしまったかもしれないことだとは分かっている。 「自分のことばかり考えて、舞台全体のことを考えるの忘れちゃってたんだ。主役失格だね」 「何言ってるですか。アイリスは当然のことを言ったんです。謝る必要なんてありません。主役は自分がいかに輝くか、それを1番に考えるのは当然でーす。そしてわたし達脇役は、いかに主役を輝かせるか、それを考えなければなりませーん」織姫の表情は優しい。 「え?」 「アイリス、わたしが悪かったです。わたし昔の自分とアイリスを重ねてました。昔自分がした失敗をアイリスにさせるのが怖かったんです。でも、そんな心配ちっとも必要なかったんですね。わたしの方こそごめんなさい、アイリス」 「織姫・・・」そう呟くとアイリスの顔は次の瞬間ぱっと明るくなった。 「えへへへ。ありがとう織姫」そしていつもの笑顔を見せる。 「ふふふふ、でも良いですか〜。今回はアイリスの引き立て役になってあげますけどー、わたしが主役の時はうんとわたしを引き立ててもらいますからね〜」と織姫もいつもの織姫に戻り、明るい笑顔を見せた。 そして2人は顔を見合わせて笑いあった。 7月7日。 今日の公演も無事終了し、楽屋では織姫の誕生パーティーが開かれることになった。 帝劇の皆が集まりパーティーが始まる直前に織姫が声を上げた。 「皆さん、今日は何日だかご存知ですか〜?」 唐突な織姫のセリフに皆きょとんとする。 「何言ってんだ織姫?今からおめぇの誕生パーティーをやろうって言ってんじゃないか。今日は7月の7日に決まってんだろー?」米田が早く酒を飲ませろと言わんばかりに、一升瓶を抱えてまくしたてた。 「ブブー!ハズレでーす」と織姫がその米田の意見を却下する。 「あら、じゃあ今日は何日だっていうの?」かえでも不思議そうに聞く。 「あれを見てくださーい」と織姫が楽屋の壁に掛けてある日めくりカレンダーを指差した。 「あ!」と真っ先に声を上げたのはアイリスだった。 その日めくりカレンダーの日付は7日ではなく、5日になっていたのだ。 良く見ると、1度捲られた日めくりが接着剤でまた貼られているのが分かる。 その場にいる全員が驚いて織姫に説明を求めた。 「見ての通り今日は7月5日でーす。だから、今からやるのはアイリスの誕生パーティーなんでーす」そこまで言うと織姫は満面の笑みを見せる。 「わああ!」とアイリスも喜びを体全体で表現した。 おとついの5日、他ならぬ織姫とアイリスのケンカでせっかくの誕生パーティーが行われなかった。それゆえに今日代わりにアイリスの誕生パーティーをやろうと織姫は言うのである。 「織姫、気がきくじゃねえか」とカンナが声を上げた。 「当然でーす。主役を立てることが出来なくて役者が務まりますか!?」 「でも、織姫のお誕生パーティーは・・・?」アイリスが少し上目使いに聞く。 「当然やりまーす!最初の半分はアイリスの誕生パーティー。途中からはカレンダーを捲って、わたしの誕生パーティーでーす!」織姫は言うとアイリスにウインクする。 「うん!そしたらアイリスちゃーんと盛り上げてあげる」アイリスも安心したように両手を上げて喜んだ。 「それでこそ役者でーす」 織姫のその言葉にそこにいる全員が笑い、2人分の誕生パーティーが幕を開けた。 不思議の国のアリス。そのラストシーン。 アリスの証言から暗転。アリスは現実世界へ戻ってきます。 舞台の上には、アイリス演じるアリスと、ハートの女王との二役をこなす織姫のお姉さん。 アリスがお茶に行った後、お姉さんは空想します。 マリアのナレーションが流れ、織姫は舞台で1人目を閉じる。 そのくだり、台本にはこうあります。 『最後に、お姉さんはこの小さな妹がやがていつの日にか1人前の女性になったところを想像してみました。アリスはだんだん成熟していくでしょうが、それでも少女時代の素朴で優しい心を失わず、他の子供達をまわりに集めては、色々な不思議なお話をして、おそらくは、はるか昔の不思議の国の夢の話もしてやって、子供達の目を輝かせるだろう。そして、子供達の素朴な悲しみを良く分かってやり、子供達の素朴な喜びを見いだし、自分自身の少女時代と、幸福だった夏の日々を思い出すだろう』 目を閉じて、そっとナレーションに耳を傾ける織姫は、きっと成長したアリスにアイリスの姿を重ねていたことでしょう。 |
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