プリマリア



 太正14年6月19日。その日は帝国歌劇団花組、マリア・タチバナの22回目の誕生日である。

 銀座。午前10時。
「凄い量ですねぇ」帝劇のロビーを埋め尽くすほどの荷物を見上げ、さくらがそう声を上げた。
「マリアは今帝劇にいないのにね」同じくアイリスもそれを見て感嘆の声を上げる。
「マリアさんてそんなに人気があるんですか〜?」とは織姫の意見だ。
 織姫はまだマリアに会ったことがない。織姫の隣りで大して興味もなさそうにそれを見上げているレニもそうだった。
 2人は帝劇に来て間もない。まだマリアの他にも、すみれ、紅蘭、カンナとも会っていない。それぞれの噂はそれなりに聞いてはいるが、2人共それほど興味は持っていないようだった。
 だが、このプレゼントの山を見て流石の織姫もマリアという人物に多少興味が沸いたようだ。
「マリアさんは若い女の子に大人気なんですよ」と言ったのはさくら。
「マリアの男役はカッコ良いんだからぁ」とはアイリスだった。
「ふ〜ん。まあ、男役は私には向いてませんから、私と釣り合う男役がいてくれるのは嬉しいですけど〜」と織姫が2人の意見にそう呟いた。
「マリア、今頃どうしてるかな・・・」と大神が不意に独り言のようにそう呟いた。
「そうだ!キネマトロンでマリアさんにおめでとうを言いましょうよ」その大神の言葉を聞いてさくらが手を叩く。
「わ〜い。マリアにこのプレゼントのことを話したらきっと大喜びだよ」アイリスもそれに賛成する。
「ね、織姫さん達もマリアさんとお話してみませんか?」さくらが織姫とレニに向き直ると笑顔で聞いた。
「興味ない」間髪入れずにレニがそう返してきた。
「わたしも結構で〜す。友達でもない人におめでとうを言うなんてまっぴらごめんで〜す」織姫も肩を竦める。
「えー、レーニー。一緒にマリアとお話しようよう」アイリスが言うとレニの腕を掴まえた。
「じゃ、ボク行くから・・・」がレニはアイリスのその手をすり抜けるとそう言って背を向けた。
「私も失礼しま〜す」織姫も続いてその場を立ち去る。
「あ、織姫さん」さくらがその背中に声を掛けるが織姫には届かなかった。
「いいもん、アイリスさくらとお兄ちゃんと一緒にマリアとお話するんだから」少し膨れっ面を見せるとアイリスは、勿論ジャンポールも一緒だよと親友のクマのぬいぐるみをギュッと抱きしめた。
「そうね・・・。じゃ行きましょうか、大神さん」アイリスの言葉に頷くと、さくらは大神にそう声を掛ける 。
 が、さっきまでそこにいたはずの大神の姿がその場所に見えなかった。
「あれ、大神さん?」と大きく目を見開いてさくらが驚く。
「あー、お兄ちゃんまでどっか行っちゃったぁ〜」アイリスも膨れっ面をさらに赤くする。
「もう、大神さんたら」さくらもアイリスと一緒なって頬を膨らました。

 ニューヨーク。午後8時25分。
「すっごい量なんだから。マリアのお部屋に全部入りきらないかもしれないよ」キネマトロンの中で身振り手振りを交えて楽しそうに話すアイリスにマリアも思わず笑みがこぼれる。
「マリアさんが帰って来たら寝る場所がないかもしれませんね」さくらも冗談混じりにそう笑顔を見せた。
「ふふふ、それは困ったわ」困った顔どころか楽しそうな顔でマリアが言った。
「ところで・・・」とマリアが言い掛けると、
「あ〜、すみれさんですか?すみれさんはまだご実家からお戻りになられてないんですよ」マリアの言葉をさえぎってさくらが口を挟む。
「いえ、すみれじゃなくて・・・」
「カンナはまだしゅぎょうから戻らないよ〜」と今度はアイリスが捲くし立てた。
「あの・・・」
「新人の織姫さんとレニは、恥ずかしがっちゃって・・・」
「そうそう、アイリス一緒にお話しようって誘ったんだけど・・・」
 2人のその態度を見てマリアはふぅと溜息をついた。
「そう、分かったわ。ありがとう」そして2人に笑顔を見せる。
「あ、じゃあ、あたし達そろそろお稽古の時間ですから」さくらが少し慌てたような表情で言う。
「マリアもお仕事がんばってね〜」アイリスが言いながら手を振った。
 最後にもう1度2人がおめでとうと言うと、マリアもありがとうと返しキネマトロンの電源を切る。
「隊長はお忙しいのかしら・・・」そして思わず口をついて出た言葉にマリアは一瞬ハッとするが、周りには誰もその言葉を聞く者がいないことを思い出し、安堵するともう1度その名を口にした。
「隊長・・・」
 花小路伯爵の護衛任務の為ニューヨークに滞在中のマリア。ここはそのマリアが泊まるホテルの部屋である。
 今日の任務を終え部屋でくつろいでいるところに、さくらとアイリスから通信が入ったのだ。
 だが、1番顔を見たかった大神の姿はそこにはなく、2人は気を使ってくれていたようだが、その態度から大神がキネマトロンに出られない状況だと分かった。
 1年ぶりに再会したのも束の間、マリアはすぐに渡米する。ほんの一瞬の再会はニューヨークに来てからのマリアを余計に寂しく、そしてせつなくさせた。
 大神とはニューヨークに来てからも時折キネマトロンで話してはいるが、誕生日という特別な日だ、余計に彼が恋しくなるのも当然だった。
「誕生日か・・・」またマリアは独り言を呟く。
 思い起こせばマリアにはあまり誕生日を祝ってもらった記憶がない。
 子供の頃は収容所暮らしだったし、革命軍の頃は自分の誕生日がいつだなどと人に教えたりはしなかった。ニューヨークでの用心棒暮らしの時はそれよりもひどく、誕生日はおろか自分のことを口にする相手すらいなかった。
 藤枝あやめのスカウトで帝国華撃団の一員となってからの初めての誕生日は、大神と出会って初めて向かえる誕生日でもあった。
 まだ、大神を隊長と呼び始めて間もない頃だった。
 お互い引かれ合ってはいたが、まだ恋と呼ぶには早すぎる時期でもあったので、大神から貰ったのはおめでとうの言葉と恥ずかしげな微笑みだけだった。
 その次の年には大神は帝劇を去り、海軍の演習航海に旅立っていた。
 そして1年ぶりに帝劇に戻ってきたかと思えば、今度はマリアの方が任務で帝都を、大神の側を離れる事となる。  そんな訳でマリアは大神にまともに誕生日を祝ってもらったことがない。
 マリアとて年頃の女の子だ。愛しい人と2人で誕生日を過ごしたいと思う。
 そしてそれを夢見てもいる。
「誕生日か・・・」マリアはもう1度そう言うと、ため息ともつかぬせつなげな吐息をふっともらした。

 銀座。午後1時30分。
「ふう、これで全部だな」大神はそう言うと額の汗をぬぐった。
 マリア宛のプレゼントをいつまでもロビーに置いておくわけにもいかず、かといって勝手にマリアの部屋を開け運び込むわけにもいかない。そんな訳で、とりあえずの置き場所として地下の倉庫に運んだのだ。
 こうして運んでみるとその量のすごさが分かり、大神1人とはいえ、3時間も掛かってしまった。
 大神にしてみれば、マリアの人気の高さを身をもって体験したというところか。
「さて」と大神は呟くと倉庫を後にした。
 1階に上がるとそのまま厨房に向かう。
 そして、蒸気冷蔵庫で冷しておいたそれを取り出すと、急いで自分の部屋に向かった。
 自分の部屋に着くとそれの蓋を開ける。
 そして、かねてから用意しておいたグラスを取り出し、そこにその液体を注いだ。
 その後クローゼットから一張羅を取り出し、それに着替える。
 ベッドの脇にある目覚まし時計を見て時間を確認すると、大神はホッとした表情を見せた。
「何とか間に合ったな」



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