鋼の気持ち
太正13年元旦。
初詣中の大神以下花組の面々を突如襲った新たなる敵、降魔。その脅威的な戦闘力の前に、花組の主力兵器である光武は、その役目を終え息絶えた。
それに伴い、帝国華撃団花組の面々は、各人の判断で最良の行動をするように、という隊長大神一郎の言葉通りそれぞれが新たなる敵に対して行動を開始していた。
大神、マリア、さくら、カンナの4人は戦力不足を補う為に、自らの能力を向上すべく特訓に出掛ける。
すみれは新しい霊子甲冑を製造する為の資金繰りに人知れず奔走し、アイリスは自覚はないものの、心身の成長の為により多くの睡眠を取った。
そして、紅蘭は兵器工房花やしき支部において、新型霊子甲冑の開発を進めていた。
大帝国劇場支配人室。
米田とあやめの姿がそこにはあった。
「新しい霊子甲冑の具合はどうかね、あやめくん?」相変わらず徳利とお猪口はその手元に置いているが、特に酔った風でもなく、米田はまじめな顔で副指令にそう聞いた。
「すみれのおかげで資金の方は問題なさそうです。あとは、紅蘭次第というところでしょう」それに副指令、藤枝あやめがいつもの様に冷静に答える。
「そうか、もうあれから2週間だ。いつ敵が出て来てもおかしくねぇ・・・。紅蘭に賭けるしかねぇのか」自分にはなにも出来ない悔しさからだろうか、米田にしては珍しく沈痛な面持ちで呟いた。
「大丈夫。あの娘なら必ずやってくれます」あやめは言うとその米田に微笑した。
帝国華撃団花やしき支部。帝撃の兵器工房としての役割を持ち、霊子甲冑の研究や開発、轟雷号や翔鯨丸の整備、格納をしている場所でもある。
その花やしき支部の工房の1つに紅蘭の姿はあった。理由は勿論、降魔に対抗しうる新しい霊子甲冑の開発である。
新型霊子甲冑はすでに完成しているかに見えた。外観も綺麗に塗装され、花組隊員の個性的な武器もそれぞれに装備されている。搭乗席では通信機器や各種メーター類も正常に作動していた。
だが、完成していない部分が1つだけあった。霊子甲冑の動力の伝達を最大限まで高める装置、すなわち、複合型霊子動力増幅器がそれである。
欧州大戦で使われた人型蒸気と霊子甲冑との決定的な違いは、その動力源にある。人型蒸気の動力源は蒸気、霊子甲冑はそれに加えて操縦者の霊力が必要になる。
操縦者の霊力を霊子水晶によって霊子力に変換、増幅し、点火プラグともいえる霊子反応基盤を反応させ、霊子力エンジンを起動させる。それが霊子力機関(霊子力循環システム)の基本的な流れだ。
だが、光武はその流れに多少のロスが生じていた。霊子水晶で増幅された霊子力が最大限霊子力エンジンに伝わっていなかったのだ。
いくら操縦者の霊力が強くても霊子力エンジンにそれが無駄なく伝達出来なくては意味がない。ましてや新型霊子甲冑の全長は光武の1.5倍。総重量は3.7倍にも及ぶ。光武と同じ霊子力機関では新型霊子甲冑は光武以下の働きしか出来ないのである。
そこで複合型霊子動力増幅器が必要になる。霊子反応基盤に複合型霊子動力増幅器を接続すれば、新型霊子甲冑は光武とは比べ物にならないほどのパワーを発揮できるはずなのだ。
だが、その複合型霊子動力増幅器があと少しというところで、正常に作動してくれないでいた。
「なんでや。なんで動いてくれへんのや」紅蘭が新型霊子甲冑と向かい合い、工房の床にあぐらをかいて、問い掛けるようにそう呟いた。
周りにいる花やしき支部の技師達も紅蘭と同じ気持ちだった。すでにこの開発が始まって2週間が経過している。その間複合型霊子動力増幅器は1度も正常に動いてくれていない。新型霊子甲冑の他の部分はすでに完成しているというのに。
「紅蘭。焦りは禁物よ」不意に紅蘭の背後からそう声が掛かった。
「あやめはん・・・」振り向いた紅蘭がその声の主を見つける。
「あなたは今までどんな発明もあきらめずに挑戦してきたじゃない。今度だってそう。資金の調達に奔走してくれたすみれの為にも、みんなを信じて好きな行動を取るように支持した大神くんの為にも、今あきらめてはだめ」あやめは優しく、しかしはっきりと紅蘭の目を見て言った。
「あやめはん・・・」紅蘭はもう1度あやめの名を呟くと、パッと表情を明るくさせる。
「分かったであやめはん。落ち込んどってもしゃあない。やれるだけの事はやらんとね」
「そうよ紅蘭。がんばりましょう」その紅蘭を見て、あやめは微笑んだ。
あやめには不思議な魅力がある。彼女の言葉には、何かやる気を起こさせるような、勇気が出るような、そんな力がある。大神も花組のみんなもそれに何度も救われていた。
「よっしゃ、踏ん張りましょか!」紅蘭の言葉で再び花やしき支部の技師達も活気がつく。紅蘭の明るいひととなりは良いムードメーカーになっているのだ。
紅蘭にもあやめとは違う人の気持ちを動かす力があるように思えた。
「私も手伝うわ。何かする事はない?」あやめが聞く。
「あやめはんに?」紅蘭はあやめの言葉にしばし考える。
「いや、特にあらへんよ。支部長はんはどっしり構えててや」帝国華撃団副指令兼花やしき支部支部長でもあるあやめに紅蘭は胸を張った。
「分かったわ」言うとまた、あやめは微笑んだ。
「ほいっ」紅蘭が景気の良い掛け声と共に床から立ち上がった時だった。
ふらっ。
紅蘭の体が大きく揺れた。そして床に向かって倒れ込む。
「紅蘭!」咄嗟にあやめがその体を支える。
あやめの腕に抱きかかえられ、紅蘭は転倒をまぬがれた。
「あ、あやめはん・・・。すんません・・・」弱々しい声で紅蘭が呟く。
「大丈夫?」あやめは心配そうに腕の中の紅蘭を見つめた。
「大丈夫ですよってに・・・」言うと紅蘭はあやめの腕から体を離し、自分の足でその場に立つ。
「ただの立ち眩みですわ」そして、次にはもういつもの笑顔をあやめに見せていた。
「本当に大丈夫なの?」あやめが再び紅蘭にそう聞く。
「紅蘭さん、ここのところろくに寝てないんです。それに新型霊子甲冑の調整やらで、毎日霊力を使っているから・・・」そう答えたのは周りにいる技師の1人だった。その技師の顔にも心配げな表情が見て取れる。
それはその技師に限った事ではなかった。どの技師の顔を見ても心底紅蘭の事を心配している表情が伺えた。
紅蘭の笑顔や優しさは花やしき支部のみんなから愛されている。あやめはそれを痛感した。
そんなみんなの表情を見て、あやめはこれ以上紅蘭に無理をさせてはいけないと思った。それに紅蘭だけではない、技師のみんなの顔にも疲れが浮かんできている。
工房内には搬入されてきた資材が山積みにされているし、壁には霊子甲冑の装甲となるシルスウス鋼の板が何枚か固定もされずに立て掛けてあった。
荷物の整理をする時間すら惜しみ、或いはその余裕すらない状態で、みんな必死に作業をしているのだ。
「紅蘭。今日からこれには私が乗るわ」これ以上実験や調整の為に毎日新型霊子甲冑に乗りこみ、霊力を放出していては紅蘭の体がもたない。あやめは紅蘭の変わりに新型霊子甲冑に乗ることに決めた。
「あ、あやめはんが?」紅蘭も、そして技師のみんなも驚いていた。
「これ以上あなたに無理はさせられないわ。今日からあなたは研究と開発に専念してちょうだい。霊子甲冑のデータを取る為の作業は私がやるわ」
「けど、あやめはん・・・」紅蘭はどこか物言いたげな表情を見せた。
「あら、大丈夫よ。霊子甲冑の操縦くらい私にも経験はあるわ」紅蘭の表情を読み取ってあやめが言う。
その言葉が本当なのか、紅蘭を安心させる為の言葉なのかは分からないが、あやめの表情にははっきりとした自信が見て取れた。
「分かったわ。ほんならこの子らの操縦は、あやめはんにまかせますわ」紅蘭もあやめの表情を見て安心したのか、やっとそう言った。
「じゃあ、始めましょうか」あやめがまた微笑んだ。
複合型霊子動力増幅器の試作品を取りつけた新型霊子甲冑の霊子力エンジンが、あやめによって点火される。
ブルン、ブルルン。
背面にある四連排気筒から勢い良く蒸気が吐き出された。
ドッドッドッドッ。
アイドリング。霊子力エンジンはここまでは安定した動きを見せている。
「OKや、あやめはん。徐徐に出力を上げてみて下さい」工房の壁の大きな窓、その向こうに見える隣りの部屋から紅蘭の声が聞こえてくる。
「はっ!」あやめの気合いが聞こえ、霊力が霊子力エンジンに注ぎこまれる。
霊子甲冑を動かすのに十分な霊力をあやめは持っていた。
かつて帝国陸軍対降魔部隊の一員として働いたのも伊達ではないというところだろう。花組にも負けないあやめの霊力を紅蘭は肌で感じていた。
あやめの乗っている機体は紅蘭の機体である。
すでに花組全員の機体が用意されているが、複合型霊子動力増幅器の実験は主に紅蘭機で行われていた。他の隊員が実験に参加出来ない為当然といえば当然である。
その緑色の機体がブルブルと震えている。
霊子力エンジンにあやめの霊力が注ぎこまれ、その回転数が徐徐に上がっていくのだ。
紅蘭の手元の計測器の針も確実に上昇していった。
「ええ感じやでぇ」それを見て紅蘭が呟く。
この後、複合型霊子動力増幅器が正常に働けば、霊子力エンジンは光武を凌ぐ出力が出るはずである。
が、そこまでだった。
霊子力エンジンの回転数はある程度まで上がるとピタッと止まってしまう。計測機の針も当然それ以上上がることはなかった。
越えられない壁。
この2週間で何度も味わった絶望感がまた紅蘭と技師達を襲った。
むなしく蒸気音を響かせる新型霊子甲冑の中であやめはその雰囲気に心を暗くさせた。