ぼくフント



 ぼくフント。犬。
 お芝居をする帝劇っていう所で飼われてるんだ。
「フント、ご飯だよ」
 このおねーちゃんレニさん。いつもぼくにご飯を持って来てくれる優しい人。
「わん」ぼくはお礼を言ってご飯を食べるよ。
「フントはいつも元気だね」優しくレニさんがぼくの頭を撫でる。
 レニさんに撫でられるととても気持ちが良いんだ。
 それにぼくにフントって名前を付けてくれたのもレニさん。
 フントっていうのはドイツ語で犬の事。
 首に鉢巻を巻いた釣り目のおねーさんは、『犬に犬って名前はおかしい』って言ってたけど、ぼくは気に入ってるんだ。だってレニさんがつけてくれた名前なんだもん。
「もうすぐ次の公演が始まるんだ。今度はボクが主役なんだ」レニさんはいつもぼくに自分の事を聞かせてくれる。
 どんな役だとか、どこが面白いとか、難しいとか。時にはその役をぼくに演じて見せてくれたりもするんだ。
 いつか満月の夜に見せてくれたレニさんの踊り、綺麗だったな。
 でも本当はあの踊りはぼくに見せてくれたんじゃないんだ。ぼくはレニさんがその人に見せる為に踊っているのを見ていただけ。
「ちょっとやってみせようか?」レニさんは嬉しそうにぼくにそう言う。
「わんわん」ぼくはレニさんのお芝居が大好きだから、そうお返事したよ。
「いいかい」レニさんはそう言うと立ち上がって、まじめな顔をした。
 笑った顔もまじめな顔もレニさんはとっても素敵。
「―――――」レニさんがお芝居を見せてくれる。
 ぼくはいつも見とれてしまうんだ。
「レニー」誰かがレニさんを呼んでる。
「隊長」レニさんがお芝居をやめてその人に返事をしたよ。
「レニ、皆が合わせ稽古を始めるって言ってるよ」この人知ってる。大神さん。
 ぼくを悪漢の乗る暴走車から助けてくれた人。
 レニさんに優しいからぼくも大神さんの事は好き。
「わんわん」大神さんに御挨拶。
「やあ、フント。今日も元気だね」大神さんもいつも元気だよ。
「あ、ありがとう隊長。今行くよ」レニさんは大神さんの前だといつも嬉しそうな、困ったような顔をするよ。どうしてかな?
 それは丁度あの満月の夜に大神さんの前でレニさんが踊った頃からなんだ。
 ぼくと話す時は普通なのにね。
「じゃあ、フント。ボク行くよ」レニさんがぼくに挨拶してくれる。
「わん」ぼくもそれに返事を返すよ。
「行こう隊長」レニさんが大神さんにそう言って振り向いた時、ぼくは『あっ』て思ったんだ。
 レニさんがぼくがいたずらで掘った穴につまずいたんだ。
 レニさんは咄嗟に大神さんに抱きついたよ。
「レニ!」大神さんがレニさんをしっかりキャッチ。ぼくちょっと驚いちゃった。
「レニ大丈夫かい?」レニさんを抱きしめたまま、大神さんはレニさんに優しく聞くよ。
「う、うん。隊長、あ、ありがとう・・・」レニさんはお顔が真っ赤だよ。ホントに大丈夫なのかなあ?
「くぅ〜ん」ぼくは不安になって喉を鳴らしたんだ。
「大丈夫だよ、フント」レニさんはそう言ってぼくに笑顔を見せてくれる。
「わんわん!」それでぼくも一安心。
「あの、隊長・・・」レニさんはまだ顔を赤くしたまま大神さんにそう言うよ。
「あ、ご、ごめん」レニさんを抱きしめたままだった大神さんが慌ててレニさんを離したよ。
 今度は大神さんまでお顔が真っ赤になっちゃった。どうしてだろう?
「さ、い、行こうか・・・」大神さんがレニさんにそう声を掛けたよ。
「う、うん。隊長・・・」レニさんもそれにお返事する。
「くぅん?」ぼくはそんな2人の態度が不思議でしょうがなかったよ。
 歩いていく2人の後姿を見ながらぼくは首を傾げたんだ。どうしていつもレニさんと大神さんはどぎまぎしちゃうのかな?
 ぼく犬だから良くわかんないや。



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