加山がカレンダーを捲ると、次は9月、10月。
「はぁ〜」
 大神はもう溜息しか出ない。
 厨房。コンロにかけられた鍋を目の前に、エプロン姿のレニが右手におタマを持ち、左手に持った味見用の小皿をその可愛い口に近づけていた。
「レニがエプロン……。何を作ってるんだろう……?」
 言いつつ、そんなことはどうでも良かった。
 それよりむしろ、その作ったものが食べてみたいと思った。
「レニの料理食べてみたいなぁ」
「残念ながら書き割りの厨房では料理は出来ん」
 厨房まで書き割りにする必要はないだろうという最もな意見すら、大神には浮かばなかった。
「新婚家庭みたいだ……」
 大神は何やら妄想している。
「結婚もいいが大神、その前にやることがあるだろう?」
 加山の言葉で大神は妄想から我に返った。
「やること?」
 大神が何だと聞く。
「お前、帝都に帰ってきて、まだ1度もレニさんとデートしていないんじゃないのか?」
 加山がやおら真面目な顔になった。
「あ、ああ。何かと忙しくて時間が取れないんだ」
「忙しさは理由にはならんぞ。夜中だっていい、早朝だって構わない。どこかに出かけなくたっていいんだ。2人でいる時間が大切なんじゃないのか?」
 こういうことになると、大神よりも加山の方に一日の長がある。
「そ、そういうものか?」
「お前、今更照れているんじゃないだろうな?」
 加山にそう言われ、大神はギクっとした。
 帝都に帰ってきて再会したレニが、更に可愛くなっていてドキドキしているのは確かだったからだ。
「お前がそんなことでどうする。レニさんもきっと待っているぞ。今度レニさんに会ったらデートに誘うんだ。いいな?」
「ああ、分かったよ。ありがとう、加山」
 親友の加山に大神は礼を言った。
「さ、次が最後だ」
 途端にいつものニヤケ顔に戻ると、加山がカレンダーを捲った。

 レニはこれ以上赤くなりようがないほどに顔を紅潮させた。
「お前がそんなことでどうする。レニさんもきっと待っているぞ。今度レニさんに会ったらデートに誘うんだ。いいな?」
「ああ、分かったよ。ありがとう、加山」
 そんな会話が聞こえたからだ。
 隊長がデートに誘ってくれる。今、加山さんと約束していた。
「ボク……。隊長…………」
 思わず声を漏らすが、言葉にはならなかった。
 隊長がデートしてくれる。
 意識していたところへ、それが現実になろうとしている。
 嬉しさは絶頂。照れくささも頂点に達した。

 11月、12月のレニは、特別に用意された衣装ではなく、見慣れたいつも通りの服を着ていた。
 その背景の書き割りを見て、大神は少しハッとした。
 教会が描かれていた。
 レニは両の手を組み、真摯な瞳で祈りを捧げている。
 書き割りの教会だが、大神はそれにあの教会を重ねていた。
 一昨年のレニの誕生日。奇跡の鐘公演の後2人で行ったあの教会。
 2人でそこで祈りを捧げた。
 だが、カレンダーの中のレニは、1人で祈りを捧げている。
 当たり前と言えば当たり前なのだが、レニの隣に自分の姿はない。
「デートするぞ」
 端で聞いていると、妙なセリフだった。
「半年間取り返すくらい、たくさんレニとデートするんだ」
「良く言った大神! それでこそ俺の親友だ!」
 加山には大神の言葉の意味が分かっているのだろうか、そう言うと大神の背中をバシンと叩いた。

 レニは困っていた。
 ますます入れなかった。入りたくてしょうがなかったが、入った途端にデートに誘われそうで、恥ずかしくて仕方なかった。
「半年間取り返すくらい、たくさんレニとデートするんだ」
 わざわざ気合たっぷりにそんなセリフを大きな声で言わなくてもいいのに、レニはそう思っていた。
 仕方がない。今、事務局に入るにはあまりにもバツが悪すぎる。
 日誌はまた後で渡すとして、今は立ち去るとしよう。
 心の準備が必要だ。
 そうレニが決めた時だった。不意に背後から声がかかった。
「あら? レニ、何してるの?」
 その声にレニが振り返ると、由里が立っていた。側にはかすみもいる。
 もう食事を終えて戻ってきたらしい。
 そんなに長い間ここでこうしていたのかと、レニは驚いてしまう。
「あ、あの、その……。隊長、忙しそうだから、日誌は後にしようと思って……」
 咄嗟に言い訳する。
「レニ、何だか顔が赤いわよ? 熱でもあるんじゃない?」
 レニの言い訳よりも、かすみはその顔色が気にかかった。
「あ、これは、その……」
 照れたから、とは勿論言えない。
「ホントだ。レニ、大丈夫?」
 由里もレニの顔色を心配する。
「あの、ボク、大丈夫だから……」
 ずっと抱きしめていた日誌をまたギュッとする。
「そぉお? まぁ、とりあえずお入りなさい。大神さん、中にいるんでしょ?」
 かすみがそう言ってレニをうながす。
「あ、いや、今はちょっと……」
 レニが慌てる。
「何言ってるのぉ。いいから入りなさいよ」
 そう言って、由里が事務局のドアを開けた。

 大神がレニとのデートに燃えていると、事務局のドアが開き、都合良くレニが入ってきた。
 由里とかすみも一緒なのだが、今の大神には目に入っていない。
「レニ!」
 嬉しそうにその名を呼ぶと、大神がレニに近づく。
「大神さん、ご苦労様です」
「助かっちゃったわ」
 かすみと由里が大神にそう声をかけるが、やはり耳に入ってはいなかった。
「じゃあな、大神。しっかりやれよ」
 加山が大神にそう声をかけると、すっとその横を抜けて事務局のドアから出ていく。
「あら、加山さん。いらしてたんですか?」
 かすみが加山に気づき声をかけると、
「お邪魔しました」
 そう言って消えていった。
「レニ! デートしよう!」
 大神が唐突にレニの手を取って叫んだ。
「た、隊長っ!」
 予想していたとはいえ、レニが驚きの表情を見せる。
「いきなりそんな……」
 顔はもうずっと赤いまま。
「ちょっと、大神さん! こんなところで何言ってるんですか!?」
 かすみが大神の言葉にビックリする。
「あら? 大神さん、伝票整理してくれたんじゃないんですか?」
 由里はちっとも減っていない仕事を見て、思わず声を上げる。
「大神さん!」
「大神さん!」
 かすみと由里が同時に大神を呼んだ。
「え? あの、レニとデート……?」
 大神はデートのことで頭がいっぱいで、2人の言葉がすぐに理解出来なかった。
「もう、何言ってるんですか?」
 かすみが少し怒ったような表情で大神を見つめる。
「大神さん大丈夫?」
 由里も呆れ顔だ。
「え、あ……。俺、レニのことで頭がいっぱいで、伝票整理のことすっかり忘れてた……」
 やっと、伝票整理のことを思い出した。
「レニのことで頭がいっぱいですって?」
「やだ。大神さん本人の前で大胆ね〜」
 2人はもう呆れるしかない。
「…………」
 レニももう言葉がなく、ついに耳まで真っ赤になった。
「あ、いや、レニ。その、俺、レニとデートしたくて……」
 まだ言っている。
「はいはい、もう分かりました。デートは伝票整理が終わってからにして下さいね」
「は〜あ。仕方ない、始めましょうか」
 呆れながらも、始めなければ終わらない伝票整理をかすみと由里が再開する。
「レニ。伝票整理が終わったら、デートしよう、ね……?」
 それでも大神は伝票整理の前にレニに声をかけた。
「もう、隊長のバカ! 知らないっ!」
 レニの恥ずかしさ爆発。手に持っていた日誌を思い切り大神に投げつけた。 
 ビターン!
 大神はそれを顔で受け止める。
 顔に張り付いた日誌をその手で剥がした時には、レニはもう事務局から飛び出した後だった。
「あ〜あ、大神さんもダメね〜。ホント、女心が分かってないんだから」
 終始呆れっぱなしの由里がそう呟く。
「でも、レニちょっと嬉しそうだったわね」
 かすみがやっと微笑んでそう続けた。
「え?」
 朴念仁の大神がレニが嬉しそうだったなどと気が付くはずもなく、かすみの言葉にそんな声を上げる。
「ホントダメね〜」
 また由里は同じ言葉を繰り返した。
「レニ〜」
 それに大神が情けない声を出し、かすみと由里は思わず笑い声を上げた。

 廊下に飛び出したレニの耳にかすみの声が入ってきた。
「でも、レニちょっと嬉しそうだったわね」
 そのかすみの言葉に、人知れずまた顔を赤くする。いや、もうこれ以上赤くはならなかったが。
 かすみの言う通り、レニは嬉しかった。
 少々、いや、かなり恥ずかしいお誘いではあったが、大神がデートに誘ってくれた。
 これ以上嬉しいことはなかった。
 ただ、あんまり恥ずかしくて日誌をぶつけてしまったことは気になった。
「今夜、謝りに行こうかな……」
 そう呟く。
「それから……」
 それから、レニは行きたい場所があると大神に言うつもりだった。
 その場所がどこなのかは大神にも分かっていた。
 今度は2人、書き割りではない本当の教会で、大神とレニは並んでお祈りをする。
 そうしてレニは、また顔を赤くして、大神の隣で照れるのだ。
 それがまた、レニには嬉しくて、幸せな気持ちでいっぱいになる。
 レニはデートが楽しみで、仕方がなくなった。
 レニはデートが楽しみで、そのことを考えるとまた顔が赤くなった。

挿絵:りっぷ様

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