海へ行こう



 名も知らぬ川。
 その河川敷に胡座をかくと、レイヴンは川面に釣り糸をたれた。
 そのレイヴンに並んで、同じようにシャドーも釣り糸をたれる。
 目的は当然魚を釣り上げること。いや、魚を今日の昼食にすることだった。
 時間からすると昼食だが、実際には、今日初めての食事なので、朝食なのかもしれなかった。
 だが、それ以前に、もう丸二日間何も食べていなかった。
 今日ですでに三日目である。
「腹が減った……」
 レイヴンは無意識にそう呟いていた。
「どうして俺はこんなに腹が減っているんだろう……?」
 レイヴンは空腹でおぼろげになりつつある意識の中、その原因を思い出していた。



 事の始まりは三日前。
 コックピットの中はうだるような熱さだった。
 ジェノブレイカーは砂漠の上空を最高速で飛行し、その熱さから逃げるかのようにひたすらに真っ直ぐに機体を進めていた。
 シャドーとスペキュラーはジェノブレイカーの下に潜り込む形で飛んでおり、あからさまに直射日光を避けているように見えた。
 オーガノイドである彼らも、この照りつける日差しの中では、好んで日の当たる場所を飛ぼうとは思わないらしい。
「あいつら……」
 自分の機体を利用し日影を飛ぶシャドーとスペキュラーを見て、コックピットの中でレイヴンがイラついた声を上げた。
「暑い……。レイヴン、何とかして」
 そのレイヴンの後ろで、またレイヴンを逆撫でするような声が聞こえる。
 シートの後ろ。その狭い空間で、リーゼが唸っていた。
 ジェノブレイカーは単座である。
 リーゼのいる空間は、シートの後ろの装甲を強引に剥がし、そこに無理矢理座れるように改造してある。
 元々、わずかに空いていたその空間は、レイヴンが必要最低限の水や食料、毛布などを置いていたスペースだったが、そこへ居候のリーゼが現れたために、レイヴンの荷物はリーゼの足元に無残に転がっていた。
 ただでさえ狭い空間に押し込められているのに加えこの暑さだ。リーゼが唸るのも無理はなかった。
「海に行こう」
 唐突にリーゼが口を開く。
「海?」
 それに怪訝な表情でレイヴンが返す。
「暑くてたまらないよ。思い切り水浴びしたい」
「水浴び……」
 レイヴンがその単語で何を想像したかは分からないが、めずらしく素直に、レイヴンがリーゼに同意した。
「よし、海に行くぞ」
「ひゃっほー!」
 レイヴンの言葉で幾分元気が出たのか、後ろのシートで両手を上げてリーゼが喜んだ。
 だが、いつまでたっても海には辿り着けなかった。
「リーゼ。本当にこっちであっているのか?」
 丸一日飛んでも海どころか、砂漠を抜けることも出来ない。
「あってるよ。間違いない」
 リーゼの言う通りの方向に進路を向けたはいいが、いつまでたっても砂漠の上で、レイヴンは少々不安になってくる。
 結局、その日は砂漠に野営することになった。
 次の日も砂漠は終わらなかった。
「リーゼ。本当にこっちであっているのか?」
 昨日と同じ質問をするレイヴン。
「あ、あってるよ……。多分……」
 今度は、やや、自信なさげにリーゼが答えた。
「多分?」
 前後ろに座っているので、レイヴンの顔は見えないが、その時のレイヴンの顔を想像してリーゼはちょっと怖くなる。
「リーゼ。本当にこっちであっているのか?」
 三度目の質問。
「僕、間違えちゃったかも……。あ、ははは……」
 それには、引きつった笑いでリーゼがそう答えた。
「くっ!」
 その時リーゼは、シートが前後ろで本当に良かったと思う。前のシートに座るレイヴンの顔を見ずにすんだから。
 結局その日も砂漠で野営することになった。
 ジェノブレイカーに積んであった水や食料はその夜底をつき、砂漠を抜けたのは、それから2日経ってからだった。
 そして、やっとの思いで砂漠を抜け、今朝この川にたどり着く。
「どうしてこんな目に……」
「お腹空いたー」
 その時、二人の空腹はすでに限界に達していた。



「釣れない……」
 レイヴンの腹に収まるはずの魚は、いっこうにかかる気配を見せない。
「グオン」
 シャドーがそうだねとでも言うように、そう声を出す。
「リーゼはどこに行ったんだ?」
 川面に揺れる釣り糸を見ながら、何か食べ物を探してくると言って出かけたリーゼのことを思い出す。
「また、道に迷っているんじゃないだろうな?」
 出かけてからずいぶん時間が経っているので、そんなこと思う。
「グオ」
 大丈夫だと言っているのだろう、シャドーがまたそう声を上げた。
「そうだな。スペキュラーがついているんだ」
 それに、リーゼのオーガノイドのことを思い、心配を拭い去った。
「腹が減った……」
 と、すでに口癖になったその言葉を呟き、ひたすら魚が釣れるのを待ち続けた。



 真上にあった太陽も、いつの間にかずいぶんと傾いていた。
 意識があるのかないのか、うつろな視線で、レイヴンは川面を見つめている。
 その横で、シャドーが心配げにレイヴンを見つめていた。
 と、その二人の背後に近づく気配があった。
 朦朧としているレイヴンはそれに気づく様子もないが、シャドーはそれに気づきそちらに振り返った。
 青い瞳の少女と、青いオーガノイドだった。
「釣れないねー」
 少女はレイヴンの後ろに立つと声をかける。
「ああ」
 条件反射のように、返事を返すレイヴン。
「お腹空かない?」
「ペコペコだ」
「じゃあ、がんばるしかないね」
「そうだな」
 そんな会話の後、一瞬の沈黙。
「…………」
「…………」
 はた、とレイヴンは自分が今誰かと会話していることに気がつく。
「これ、美味しいよ?」
 我に返り後ろを振り向いたレイヴンに、リーゼはにっこりと微笑んで、その手に持つ赤い実を口に運んでいた。
「リーゼ! お前、一人で何を!?」
 やっとその存在に気づき、そして、その手に持つ赤い実にも気がついた。
「あははー。向こうに野イチゴがなってるのを、スペキュラーが見つけたんだ」
 そのレイヴンの慌てぶりがおかしくて、声を出して楽しそうに笑う。
「何っ! だったら、何故早く戻ってこない!?」
「ごめん、ごめん。食べるのに夢中になっちゃって」
「お、俺の分は……?」
「あははー。これが最後の一個みたいだね」
 言うと、リーゼはパクッとその最後の一個を口に放り込んだ。
「このっ!」
 それを見て、レイヴンが赤い実を追いかけるように、リーゼに飛びつく。
「きゃっ! レイ……」
 バタッ。
 リーゼがレイヴンの名を言い終わる前に、その口はそのレイヴンにふさがれてしまった。
 レイヴンが飛びついた拍子にリーゼはその場に押し倒され、レイヴンがその上に重なる形になる。
 リーゼの口の中にある赤い実が目当てのレイヴンは、それ目がけてまっしぐらだった。
 レイヴンは自分の唇をリーゼの唇に押しつけると、有無を言わさずその口内に侵入する。
「ん〜」
 口をふさがれ声の出ないリーゼが、じたばたともがきながら、レイヴンの背中をぽくぽくと叩いていた。
 だが、空腹のため自制がきかなくなっているレイヴンは、お構いなしにリーゼの口の中にある赤い実を求めた。
 レイヴンの舌はリーゼの口内に侵入すると、その中にあるはずの赤い実、野イチゴを探して右往左往する。
 リーゼはリーゼで、唐突に侵入してきた乱暴者から逃げ惑い、舌の上にある野イチゴを飲み込むどころではなかった。
 野イチゴを探すレイヴンと、それから逃げるリーゼ。
 時折、二人が出会い、絡んだと思ったら離れる。
 そんなことをしている内に、リーゼは奇妙な感覚に捕らわれた。
 やがて、リーゼの舌の上にある野イチゴをやっと自分の舌の上に捕らえると、レイヴンはさっと唇を離した。
「あっ……」
 どこか名残惜しそうに、リーゼが声を上げる。
 その横で、レイヴンがリーゼから奪った野イチゴをもぐもぐと食べ始めた。
 そして、あっという間にそれを飲み込むと、レイヴンはまたリーゼの顔を見る。
「もう、終わりなのか?」
「それはこっちのセリフだよ……」
 押し倒されたままに横たわっているリーゼが、か細い声でそう呟いた。
「?」
 それにレイヴンが首をかしげていると、シャドーが声を上げる。
「グオーグオー」
 見ると、シャドーの釣竿に何かかかったようだ。
「でかした!」
 それを見ると、レイヴンはリーゼなどそっちのけで、シャドーの手助けに向かう。
「レイヴンのばかぁ……」
 薄ら涙を浮かべたリーゼが、小さくそう呟いていた。



 シャドーが釣り上げた魚を、塩焼きにして平らげると、レイヴンはやっと落ち着いた表情を取り戻した。
「ふー」
 満足げに溜息をつく。
「…………」
 そのレイヴンをリーゼが不機嫌そうに見つめていた。
「どうしたんだ?」
 その視線を受けて、レイヴンが口を開く。
「ぷー。人のこと襲っといて良く言うよ」
 と、リーゼはぶっきらぼうに答えた。
「襲った! 人聞きの悪いことを言うな。お前が俺の分を残しておかなかったのがいけないんだろう」
 レイヴンも思わず、口調を荒くする。
「だって、もうとっくに魚釣れてると思ったんだもん」
 言って、頬をふくらます。
「だからって最後の一個まで食べてしまわなくてもいいだろう!」
「だからって襲わなくたっていいじゃないか!」
 と、そこで二人の脳裏に鮮明にそのことが蘇ってきた。
 空腹のために我を忘れていたレイヴンも、リーゼに飛びかかり強引に唇を奪ったことを改めて自覚する。
「あ」
 自分のした行為に思わず頬が染まった。
「……ばか」
 と、リーゼも頬を染めている。
「…………」
「…………」
 お互い妙な気恥ずかしさがあって、しばし沈黙する。
「どうする?」
 しばらくしてレイヴンが口を開いた。
「え?」
 それにリーゼが首をかしげる。
「海。もう、いいのか?」
「あ」
 と、リーゼが空腹のためにすっかり忘れていたそれを、レイヴンの言葉で思い出した。
 思えば、砂漠の暑さに耐えかねて、水浴びをするために海に向かったはずだった。
 だが、もう、砂漠の暑さなどとっくに忘れている。
「そんなこと言って、僕の水着姿が見たいんだろう〜」
 と、リーゼがからかうように、答えた。
「な、違っ」
 それに否定するも、それを全く思わなかった訳でもないので、どこか弱気になる。
「あやしいな〜」
 すっかりいつもの調子のリーゼ。
「…………お前こそ、また俺に襲ってほしいんじゃないのか?」
 と、レイヴンも反撃に出た。
「な、何言ってるのさ?」
 リーゼがどもる。
「さっき、物足りなさそうだったぞ」
 リーゼから野イチゴを奪った時のことを言っている。
「ば、バカ言うなよ。そんな訳ないじゃないか」
 それに否定するも、全くそう感じなかった訳でもないので、どこか弱気になる。
「あやしいな」
 と、レイヴンがさっきのお返しをした。
「ぷー、レイヴンのバカー」
「バカって言う方がバカなんだ」
 そして、どこか子供じみた言い合いが始まった。
「もう、ご飯作ってあげないんだからー」
「いつも俺が作っているんじゃないか」
 それからしばらく、楽しそう(?)に言い合いは続く。
 そんな二人のやりとりに、シャドーとスペキュラーは、顔を見合わせて肩をすくめた。
 二人と二体が、いつ海に辿り着くのかは、謎である。



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