12月23日

公演前日



 公演前日。
 最後の稽古である。
 舞台上、目の見えないレニは、それでも完璧に近い動きを見せていた。
 演技としてはすでに出来上がっていた。セリフも当然すべて覚えている。
 後は自分が立っている位置を見失わないことと、花組とのかけあいのタイミングだ。
 かけあいで目配せが出来ないというのは、さりげなく辛い。セリフとセリフの間(ま)、呼吸を読むしかなかった。
 アイリスがテレパシーでフォローしてくれたが、人に合図を貰ってからでは若干のずれが生じる。
 レニは神経を集中して、聴覚を始めとした感覚を研ぎ澄まし、視覚を補った。
 加えて、今回の踊りにはバレエの動きが取り入れられた。
 バレエは優雅な動きとは裏腹に、その運動量はかなりのものだ。
 ただでさえ体力を消耗する舞台。
 常に神経を研ぎ澄ませているレニの疲労は計り知れない。
「あぅっ」
 膝の力が抜けて、レニの体がよろける。
 ダンッ、と舞台に膝を着いた。
「レニ!」
 織姫が駆け寄って、その体を支える。
「大丈夫ですか?」
 声をかけた。
 花組や大神も近寄って、心配そうに見つめる。
「やはり、消耗の激しいダンスは省こう」
 レニを心配して、大神が言う。
「そうですね。これでは幕が下りる前にレニが参ってしまいます」
 大神の言葉に、マリアが同意した。
「待って。やらせて。ボク、やりたいんだ」
 しかし、それにレニが声を上げる。
「しかし、本番中に倒れでもしたら」
「お願い。出来ないレベルじゃないんだ」
 神経を研ぎ澄ませて周りに常に集中し、セットの位置や側で踊る花組、それを常に意識して踊らなければならない。
 それを続けるのは並大抵のことではない。
「隊長が演出する舞台。ボクはそれを隊長の思う通りの形にしたい」
 肩で息をするレニ。
 暑いからと包帯をほどいたおかげで、今日はレニの顔が見える。
 その顔には汗が浮かんでいた。
「……わかった」
 レニの熱意に、大神が頷いた。
 レニの顔から汗が落ちた。



 昼。
 食堂で食事を取る。
 レニはアイリスに助けられ、ゆっくりと時間をかけて箸を口に運んだ。
 全部食べ終わった頃、食堂にかえでがやってきた。
「レニ」
 と、レニを見つけると声をかける。
「かえでさん」
 レニが声の方に顔を向けると、
「フントに餌は上げたの?」
 そう言われた。
「え。それは、かえでさんがお願い」
 と、レニは言うが、
「フントの世話はあなたの役目でしょう?」
 かえでは取り合わなかった。
「来なさい。厨房の配置は覚えているでしょう?」
「そんな、厨房には刃物や火の気だってあるんですよ。危険です」
 横で聞いていたさくらが思わず声を上げた。
「そうです。何も今のレニにさせなくても」
 マリアがさくらに同意する。
「かえでお姉ちゃんひどいよ。かえでお姉ちゃんがいやなら、アイリスがちゃんとフントにご飯あげるよ」
 アイリスもかえでを非難した。
 みんな一様にかえでを見つめ、何か言いたげな顔だ。
 大神は黙って、かえでの真意を測ろうとしている。
「黙りなさい」
 ぴしゃりと言った。
「刃物や火の気ですって? レニは目が見えないわ。でも、そんな危険はどこにでも転がっているの」
 毅然とした表情で花組を見つめる。
「中庭の木の枝だって、あちこちにある蒸気機械の蒸気だって、今のレニには凶器になりうるのよ。でもレニはこれからこの目で生きていかなくちゃいけない。甘えていてはダメ。出来ることはやらなくてはいけないの」
 かえでの言うことはわかる。だけど、
「わかった」
 花組が何か言う前に、レニが返事をした。
「レニ……」
 さくらがその名をつぶやく。
「ありがとう、さくら」
 レニはさくらにそう言って、かえでと食堂を後にした。
「あの人はいつもそうでした」
 二人が出て行った後、織姫が口を開く。
「例え周りから何を言われようと、レニのためになるのならどんなことだってするんです」
 その織姫を花組が見つめる。
「……自分が一番辛いくせに」



 厨房でフントの餌を用意したレニは、かえでと共に中庭に姿を見せる。
 レニの姿を見つけると、フントは嬉しそうにわんわんと鳴いた。
 その鳴き声を頼りにレニはフントに近づくと、フントの前にしゃがむ。
「昨日は来てあげられなくてごめんね」
 フントの前に餌の入った器を置くと、レニが言った。
 レニの言った意味がわかっているのかいないのか、フントはわんと鳴くと元気良く餌を食べ始めた。
 レニはそのフントの頭を撫でようと手を伸ばす。
 けれど、フントの頭がすぐ見つからず、レニの手はふらふらと宙をさまよった。
 そうこうする内に手首がフントの頭に当たり、
「わふ?」
 フントは何事かと顔を上げる。
 やっとレニがフントの頭を見つけると、ごしごしとその頭を撫でてやった。
 それでフントは嬉しそうに、尻尾を左右にふるふると振った。もちろん、レニの目にそれは映らない。
 かえでは黙って、後ろからそれを見つめている。
 不意に涙が溢れそうになったが、ぐっと堪えた。



 その日の午後も稽古は続けられた。
 レニの動きは次第に滑らかになり、いつしかそれは完璧なものに近づいていった。
 体力の消耗はやはり激しかったが、それ以上にレニの舞台にかける想いが強かった。
 そんなレニに、花組もいつも以上の力を発揮した。



 夜。
 大神はレニの様子を見るために、レニの部屋を訪ねた。
 レニは思いのほか落ち着いていて、緊張した様子もなかった。
 昨日の取り乱したレニは、もう微塵も見られない。
 レニはアイリスに手伝ってもらったというパジャマ姿で、その上にカーディガンを羽織っていた。
「明日の公演。無理はしないでくれよ」
 ベッドに並んで座り話す。
「多少の無理なら大丈夫。みんながついていてくれるから」
 大神の言葉にレニがそう返した。
 大神はふと、初めてレニと戦闘に出た時のことを思い出した。
『無理はしない。出来ることをやるだけ』
 そう言ったレニが懐かしい。
「隊長。お願いがあるんだけど」
 と、レニが大神に言う。
「ん? なんだい?」
 それに大神は首をかしげる。
「アドヴェントカレンダー。昨日と今日の分、小窓の場所がわからなくて開けてないんだ。隊長、教えてくれる?」
「ああ」
 大神は机の上に置かれているそれを見た。
 それを取るとレニに渡し、レニの手を取って小窓の場所を教える。
 それでレニが二日分の小窓を開けると、それぞれ中からキャンディーが顔を出した。
 小窓の奥にはツリーと煙突のイラストが描かれていると、大神はレニに教えた。
「隊長。一つあげるよ」
「いいのかい?」
 二つのキャンディーの一つを、レニが大神に渡す。
「うん。教えてくれたお礼」
「ああ。頂くよ」
 それを大神は笑顔で受け取った。
 二人は揃ってキャンディーを口に入れると、コロコロとそれを味わった。
 キャンディーがだいぶ小さくなったところで、レニが言う。
「このアドヴェントカレンダー。みんなからだよね」
「え。気づいていたのかい?」
 レニの言葉に大神が驚きの声を上げた。
「うん。なんとなくだけど」
 カコとキャンディーがレニの歯に当たって、小気味いい音を立てた。
「楽屋でこれを見てた時、誰も興味を示さなかった。日本では珍しいものだし、誰も気にしないのはおかしいと思ったんだ」
「そうか」
「それに、イラストの絵柄や入ってるお菓子の種類なんかで、複数人で作ったものだと判断出来たから」
「なるほど。流石レニだね」
 大神が感心した。
「巴里に行っていた時に知ったんだ。それで面白いなと思ってみんなに話したら、みんなで作ってレニに贈ろうってことになってね。それぞれイラストを描いたり、好きなお菓子を用意したりしたんだ」
 お菓子はキャンディーだけじゃなく、キャラメルやチョコレートの日もあった。
 花組が良く利用する『うさぎ屋』で売っている飴が入っている日もあり、それが花組からの贈り物だと思わせる要因の一つにもなった。
「隊長は何日の小窓に入れてくれたの?」
 それを聞くと、レニが興味津々という風に聞いた。
「俺かい? 俺は、わがままを言って24日に入れさせてもらったんだ」
 それに、大神がそう答えた。



補注とか