12月21日

休日



 1日から続いた稽古のおかげで、クリスマス公演『奇跡の鐘』はほぼ完成に近づいた。
 連日稽古に励んだ花組も、やっと丸一日の休みを取ることが許され、それぞれが思い思いに心と体の休息にあてた。
 大神は支配人としての仕事が溜まっており、演出の仕事が休みの今日も、支配人室で書類に追われた。
 溜まった仕事を片付けて大神が開放されたのは、夕方になってからだった。
 そんな大神をじっと待っていたレニと、大神は銀座の街へと出かける。
 久しぶりの二人の時間だ。
 特に目的もなく街を歩く、いわゆる『銀ぶら』をする。
 ショウウィンドウに飾られたアクセサリーや服を眺めたりして、クリスマス色に染まった街を楽しんだ。



「おいしかったね」
 夕食に食べた煉瓦亭のオムライス。その感想を言い合いながら歩く。
 楽しかった時間も終わり、もう、帝劇に帰る時間だ。
 夜の帳が下りた街を、蒸気灯の明かりが照らしている。
「今度はハヤシライスを食べよう。あ、でも、カツレツもいいな」
「あはは。隊長は健啖家だね」
 何気ない会話に花を咲かせていた。
「レニ。レニじゃないですか」
 そこへ、不意にそう声がかかる。
「ウエシタ」
 と、声がした方にレニが顔を向けると、大帝大上下教授の姿がそこにあった。
「やあ、奇遇ですね。こんなところで会うなんて」
 明るい声と顔で上下が言った。
 上下光治は大帝都大学蒸気学部の教授で、帝劇のもう一つの顔を知る数少ない人物だ。
 都市蒸気学の若き権威と称される将来有望な天才科学者でもある。
 レニと知り合ったのは二年前の冬。路上で蒸気配管の調査をしていた上下を、蒸気漏れ爆発からレニが救ったのがきっかけだった。
 それ以来、都市蒸気学に通じる者として、時に帝撃に知恵を貸すこともある。
 レニは上下の運転する蒸気バイクに二人乗りして、共に降魔を撃退したこともあった。
 そんなこともあり、レニにとって上下は信頼できる友人でもある。
「支配人もお久しぶりです」
 明るい表情のまま、上下はレニの隣、大神に挨拶した。
「こちらこそご無沙汰しています」
 大神もそれにそう返す。
「ところでレニ。どうです? クリスマス公演の準備は。いよいよ三日後ですね」
 と、またレニに向き直り、上下がレニに話しかけた。
「うん。準備は順調。きっといい舞台になる」
「そうですか。それは楽しみだ。私も当日は劇場に足を運ばせてもらいますね」
「ありがとう。よろしくお願いするね」
 レニは満面の笑みで答えた。
「そうそう、この前の帝都日報のインタビューなんですけど――」
 と、上下はまた違う話題を見つけ、レニに話しかける。
 それにレニも楽しそうなそぶりで答えていた。
 大神は少し置いてきぼりの感で、二人はしばし談笑する。
 やがて、上下がふとポケットから懐中時計を取り出すと、
「いけない、もうこんな時間だ」
「どこかに行く途中?」
「ええ、これから蒸気学会の付き合いなんです。平たく言えば忘年会なんですが」
「そう。じゃあまた、劇場で」
「ええ、劇場で。では、失礼します」
 それでやっと話は終わり、上下はレニと大神に挨拶してその場から立ち去った。
「ごめんね。話し込んでしまって」
 上下を見送った後、レニが大神を見上げる。
「いや、構わないよ。上下教授にはお世話になっているしね」
 それに、大神はそう答えた。
「ウエシタも観に来るのか」
 レニはもう一度上下が消えていった方を見ると、何気なくそう口にした。
 大神はそれを聞くと、
「レニは、上下教授と仲がいいんだね」
 そんなことを言う。
「え、うん。だって、ウエシタは帝撃の協力者だし、舞台も良く観に来てくれるから」
 その大神のセリフに、レニがきょとんとした顔で答えた。
「そ、そうだね……」
 と、大神は少しぎこちない笑いを浮かべた。
「……隊長? どうかしたの?」
 その笑いにレニは首を捻る。
「いや、なんでもないよ」
 それにも大神は感情のこもらない笑いを見せた。
「?」
 レニは大神を見つめると、言葉とは裏腹な大神の態度を考察する。
 上下と出会う前はいつもの大神だった。
 上下との会話後、上下と別れてから態度が変わった。
 とすると、原因は上下と考えるのが自然だ。
 上下教授と仲がいいんだね、というセリフ。
 その発言の意図は? そこに問題があるのだろうか?
 だが、上下はレニにとって仲間の一人と言っていい存在。仲がいいのも当然のことだ。
 では、レニの対応に問題があったのか。
 釈然としないレニの思考が稲妻のように閃く。
 側から見ていればすぐに気づく大神の態度の理由。
 そこに至るまでに、恋愛に疎いレニは人より少しばかり時間がかかる。
「あ」
 小さく声を上げる。
 レニが一つの可能性を算出した。
「……隊長、もしかして」
「え、なんだい?」
 銀座の街を帝劇に向かって歩く。その途中。
「あ、う、うん……」
 言いかけてやめる。
「?」
 それに大神は首をかしげた。
『もしかして、ヤキモチ焼いてくれてたの?』
 出かかった言葉を飲み込む。
 口にすればいいのに、何故かはばかられる。
 こんな時、何と言えばいいのか。
 それからしばらく考えて、レニはそっと手を伸ばした。
「っ」
 ドキッとして、大神はレニを見つめる。
 レニの手が、大神の手を握った。
 不意にやってきた安心感。
 大神の胸のもやが消える。
 手を繋ぐのは初めてじゃない。でもいつも、それは大神からだった。
 レニは少し頬を赤らめ、うつむき加減に歩く。
 それから恐る恐るゆっくりと大神に目を向ける。
 そこに大神のいつもの優しい笑顔があった。
 ぎゅっと握り返される手。
 レニも大神に微笑み返すと、夜空の星は二人を祝福するように瞬いた。
 今その存在に気づいたように、その星を見上げる。
「今日は星が良く見えるね」
 レニが言った。
「ああ。ほんとだ」
 と、大神。
 ピキッ。
 幸せな街のざわめきにかき消されて、その小さな音はレニの耳に届かない。
 二人が立ち止まった街路。
 夜空を見上げる横に立つ蒸気灯。
 ピキッ。ピキピキッ。
 突然の亀裂。
 プシュー。
 蒸気ガスが噴き出す。
「はぁぅ!」
 レニの悲鳴。
「レニ!」
 大神の叫び声。
 苦痛にその顔を歪め、レニは倒れた。



補注とか