12月19日

織姫のピアノ



 ポロロン♪
 弱々しい音を最後に、わたしは鍵盤から手を下ろしました。
「ふう」
 そしてため息。
 レニへの誕生日プレゼント。それにわたしは曲を贈ることにしたです。
 私がレニと出会ってからこれまで。レニの変化というよりは、むしろ私達の記憶を譜面に並べました。
 イメージが沸けばそれを形にすることはそう難しいことじゃない。
 曲は完成しました。
 でも、これは誰にも弾けません。



「織姫君。まだ起きていたのかい?」
 扉が開くと同時にそんな声が聞こえてきた。
「中尉さん」
 中尉さんが部屋に入ってくるのを認めると、次に壁の時計を見る。時計はもう12時を回っていた。
「もうこんな時間だったですか。ちっとも気がつかなかったです。中尉さんこそ何してたですか?」
 近づいてくる中尉さんに問いかける。
「俺は色々さ。演出の仕事でなかなか時間が取れないからね。ちょっと支配人の仕事を片付けてたんだ」
 そう言って、いつもの優しい顔で笑った。
「中尉さんはいつも忙しいですね」
「まあね。でも、忙しくしてた方が俺の性分には合ってる気がするよ」
「あはは。中尉さんらしいでーす」
 そこでわたし達は笑いあう。
「それで、何をしていたんだい?」
 笑いあった後、中尉さんがそう聞いてきた。
「あー、ちょっち曲を作ってたです」
「え、奇跡の鐘の曲はもう全部できてるはずだけど」
 と、中尉さんは少し不思議顔をする。
「違うでーす。これは舞台とは関係のない曲です。今の中尉さんの頭の中には舞台のことしかないんですね」
 わたしはふふっと笑う。
「ははは」
 と、中尉さんも苦笑いをした。
「……この曲はですね。レニへの誕生日プレゼントなんです」
 わたしは言うと、ふと視線をピアノの上の譜面に移した。
「へえ。織姫君のオリジナルの曲か。それはレニも喜ぶだろうね」
 中尉さんは苦笑いを明るい笑いに変える。
「んー、でもわたしちょっち困ってます。わたしこの曲弾けないんです」
 そこでわたしはまた中尉さんの顔を見る。
「え!」
 わたしの言葉がそんなに驚きだったのか、中尉さんが大きな声を出す。
「どういうことなんだい?」
 それからそう質問した。
「指が届かないです」
「え?」
 と、中尉さんは良くわからない様子だ。
「つまり、鍵盤のあっちとこっちを同時に叩かないといけないところがあるんですけど、遠すぎて指が届かないんです」
「あ」
 それで中尉さんは理解したらしい。
「リストのカンパネラなんて問題にならないくらい遠いキーになってしまいました」
 手が小さい人には弾くのが難しいと言われるリストのカンパネラ。
 でも、わたしのこの曲は、それ以上に音に幅を持たせました。
 帝劇に配属されて、大きく変化していくレニ。
 爆発するように広がる世界。その世界の前で戸惑うレニ。レニの変化に感化されるわたし。
 イメージが頭に曲を奏で、ピアノで音を出すよりも先に譜面に楽譜を並べてました。
 弾こうと思ったら弾けなくて、自分でもびっくりです。
「それは、困ったね……」
「困りました」
 わたし達は二人で困った表情になる。
 まるで自分のことのように悩んでくれる中尉さんが嬉しかった。
「……それは、でも、織姫君一人で弾かなくちゃだめなのかい?」
 しばらくの沈黙の後、中尉さんが口を開く。
「え?」
 と、今度はわたしが良くわからない顔になった。
「指が届かないなら、二人で弾いたらだめなのかな?」
 中尉さんはそんなことを言う。
「これはわたしからのプレゼントなんですよー。それなのに他の人に手伝ってもらうなんて嫌でーす」
 わたしはぷくっと頬をふくらました。
「他の人じゃなくて、レニと一緒に弾く曲ってことにしたらどうだい? 織姫君とレニだけが弾いてもいい曲にさ」
「わたしとレニだけが弾くことを許された曲?」
 中尉さんの言葉に、わたしは思わずきょとんとする。
「ああ。それならレニもその曲を聴くだけじゃなくて、弾く楽しみもできるしね」
 言って、中尉さんは笑顔を見せる。
「わたしとレニの曲……」
 わたしは考える。
「もちろん、織姫君のプレゼントだから織姫君の好きなようにすればいいけど、織姫君と並んで弾くこと自体、レニは嬉しいんじゃないかな」
 確かに、この曲はわたしとレニが出会ってから今までのことをイメージして書いたものです。
 それをレニと弾くなら、きっと最高のものになるに違いありません。
 わたしはレニと並んで演奏する姿を想像する。
 いつもはヴァイオリンを弾いているレニが、わたしの隣で音を奏でる。
「あは。それはいい考えでーす」
 わたしは途端に明るい声を上げる。
 やっぱり中尉さんはすごい人です。
 いつも一人で弾いていたわたしには、連弾なんて発想はまったくありませんでした。
 合奏ですらわたしが認めたレニとしかしたことがないのですから。
「レニと弾けるならわたしも嬉しいでーす。わたしとレニだけの曲なんてちょっぴりロマンチックですしね」
 そのレニとの連弾。考えただけでもわくわくします。
 それはきっとレニも同じ。きっとレニも喜んでくれるはずです。
「あはは。そうだね」
 中尉さんも明るい顔で笑った。
「そうと決まれば早速連弾用に書き直すです」
「今からかい? もう遅いし、明日も稽古があるんだぞ?」
 と、演出家は心配顔になる。
「大丈夫でーす。すでにパートは頭に浮かんでるです。ちょちょいのちょいで終わらせてみせまーす」
 それにわたしは元気に言った。
「そうかい。織姫君がそう言うなら」
 わたしの言葉に中尉さんが頷く。
「じゃあ、俺はこれで失礼するよ」
 それからそう言うと、中尉さんは音楽室を後にする。
「中尉さん」
 出て行こうとする中尉さんに、
「ありがとでした」
 わたしはそう言った。
 後に残ったわたしは、一人楽譜を書き直す。
 わたしのパートとレニのパート。
 それが仲良く譜面に並び、あっという間にそれは完成した。
 わたしとレニだけのピアノ曲。
 わたし達のメロディ。



補注とか