12月16日 マリアの理由 |
帝劇の地下には鍛錬室やプール以外にも射撃場がある。 もっとも、ここを利用するのは主に私一人だ。 隊長やかえでさん、それにレニもたまに訓練を行っているようだが、そう頻繁という訳ではない。 だからこの訓練場は、いつも私の貸切と言って良かった。 耳当てをして銃を構える。 撃鉄を起こすと狙いを定め引き金を引いた。 パンッ。 乾いた音が聞こえ、硝煙の匂いが広がる。 私はその匂いに、目を細めた。 紐育時代。自分を陥れるためだけに生きたあの頃。 きっかけは用心棒という仕事のせいだろう。いつも、すれ違う人間の硝煙の匂いを気にしていた。 いつからか、その匂いをとても敏感に感じるようになった。 なんて鼻につく匂いだろう。 銃を撃った証拠。もしかしたら、人を殺した証。 コートに染み付いたその匂いは、もう落ちることはない。 銃を撃った日は手袋をしているというのに、手が粉っぽい。 ベッドに横になっても、匂いが気になって眠れなかった。 身に着けているものをすべて剥ぎ取り、裸でシーツに包まれると、ようやく眠ることができた。 何発目かの銃弾を撃ち終えると、私はふうと息を吐いた。 耳当てを外し、銃を置く。 手元のスイッチを押すと、ガラガラと音を立てて、的紙がゆっくりとこちらに移動してくる。 ガチャ。 と、訓練場のドアが開く音が聞こえてきた。 「マリア」 そのドアの方から聞きなれた声が聞こえる。 私はそれに振り向くと、微笑んでみせた。 「レニ。あなたも訓練?」 知らない人間が見たら奇妙な光景だろう。 射撃場という場所にハイティーンの少女。 「うん」 射撃の訓練かという問いに事もなげに頷いてみせる。 「そう。稽古の後だっていうのにご苦労様」 だが、それこそが私達帝国華撃団なのだ。 「相変わらず正確だね」 私の側に来るとレニが言った。 「え? ああ。ありがとうレニ」 レニの視線が的紙に向けられていることに気づいて、そう返す。 「これが私の誇りですもの」 「そうだね」 そう言うと、私達は互いに微笑んだ。 レニの射撃を少し眺めた後、お風呂に入ってから自室に戻った。 レニの射撃はほとんど狂いがなく、私も負けそうなほどの命中率を誇る。彼女の知識には私も学ぶべきところが多く、稀にだが銃について話すこともあった。 私は一度レニに訪ねたことがある。 『レニは普段銃を使う訳でもないのに、どうして定期的に射撃の訓練をするの?』 だが、レニの答えはいたってシンプルだった。 『いざという時に役に立つかもしれないから』 私にはこの銃の腕とロシア革命時代に覚えた僅かなサバイバルの知識くらいしか武器がない。 こう言うとレニは怒るかもしれないけど、レニの持つ技術や知識を私は少し羨ましいと思う。 どんな状況にも対応できる。それは言いかえれば、それだけたくさんの人を救えるということにも繋がるからだ。 『望んで身につけた知識でも技術でもないけど、それが役に立つならそれはボクにとって武器にも財産にもなる』 レニはそう言っていた。 帝劇に来てからの私には、あれほど鼻についた硝煙の匂いが、不思議と不快ではなくなっていた。 敏感であることに変わりはなかったが、嫌ではなかった。 その理由が、何のために銃を使うかの違いであること気づかせてくれたのは、隊長や花組のみんなだ。 けれど、今度は違う理由でその匂いが気になりだした。 帝劇の役者でもあるのだし、硝煙の匂いを誰かに気取られるのはまずい。 そんな私を知ってか知らずか、あやめさんはその年の私の誕生日に、香水をプレゼントしてくれた。 帝劇のスタアとして硝煙の匂いをごまかすために贈ってくれたのか、それとも女としての身だしなみにと贈ってくれたのか。今となってはそれを確かめる術はない。 戦闘後、開演時間ぎりぎりに滑り込んだ楽屋で硝煙の匂いを消したこともあった。 眠る時には何もつけない体に香りだけを纏うと、より安心して眠れるようになった。 あやめさんがいなくなるのと時をほぼ同じにして、私はそれを使い切った。 それからも、あやめさんがプレゼントしてくれたそれと同じ物を私は愛用している。 硝煙の匂いと同じに、その香水は私の匂いになった。 いつものように香りに包まれてベッドに入る。 「そうだわ」 ベッドの中、ふと思いついた。 「レニへのプレゼント。香水はどうかしら」 レニもときどきではあるけど銃を扱うし、それに彼女も年頃の女の子だ。 私は硝煙の匂いをごまかすのに使ったけど、レニには自分の魅力を引き立てるのに使ってほしい。 「あ」 そう思うと、ふとそのことに気づく。 あやめさんももしかしたら今の私と同じ思いだったのだろうか。 あやめさんも微かに香水の香りをさせていた。 「ふふ」 私は少し笑う。 私はあやめさんのようないい女になれただろうか。 「レニにはそうね。さわやかな香りが似合うかしら」 レニに似合う香りを想像する。 それからあれこれと考えているうちに、私はいつの間にか眠りについていた。 その夜は久しぶりに、あやめさんの夢を見た。 |