12月12日

街角にて



 昨日の化け物騒ぎで崩れた建設中の蒸気ビルヂングは、未だにその足元に瓦礫を積み上げたままだ。
 猫探しの依頼は片付いたが、おかげでずいぶんと恐ろしい目にあった。
 おまけに、猫を拾い上げた時だろう、ポケットの中の物まで落としてしまっていた。
 おそらくそれは、この瓦礫の下に埋まっている。
「やれやれ」
 俺はため息にも似た言葉を漏らす。
 それから、瓦礫を一つ一つめくり、捜し物を始めた。
 しばらくそうして探していたが、ふと俺を見つめる視線があることに気がついた。
「ん?」
 遠巻きにこちらを伺っている人物がいる。
 小柄な、少女のようだった。
 犬を連れているところを見ると、散歩の途中だろう。
 何をしているのかと思い、こちらを見ているのだろうか。
 まあ、誰になんと思われようと俺はかまわない。
 気にせず捜し物を続けようとしたのだが、気にしない訳にはいかなくなった。
 少女と犬がこちらに近づいてくる。
 はっきりと少女の姿が見て取れるようになると、その銀髪が目を引いた。
 知っている女を思い出させたが、雰囲気はずいぶんと違っている。
「何してるの?」
 少女は俺の側まで来ると、まっすぐな瞳でそう問いかけた。
 まるで訛りのない日本語に少し驚く。
「ああ、ちょっと捜し物をな」
 隠す必要もないので、素直にそう答えた。
「そう。……それ、いつなくしたの?」
 今度はそんなことを聞いてきた。
「昨日だ」
 少しいぶかしく思ったので、その質問には短く答えた。
「あの時ここにいたの?」
 また、質問。
「まあそんなところだ」
 あの時というのは、昨日の化け物騒ぎのことを言っているのだろう。
 ここにいたと言うよりは、走って通ったと言うのが正解だが。
 俺の答えを聞くと、少女の顔色が一瞬変わる。
 なぜか、ばつが悪そうな、申し訳なさそうな表情を見せた。
「どうしてそんなことを聞く?」
 その表情が気になって、今度は俺が質問する。
「…………」
 だが、答えはなかった。
「俺には色々聞いておいて、自分はだんまりか?」
 そう言ってやる。
「わんわん!」
 少し責めるような俺の言い方に、少女はやはり何も言わなかったが、代わりに犬が吠えた。
「おいおい。冗談だ。吠えるのはやめてくれ」
 少女のナイトに両手を上げて降参のポーズをすると、俺は笑顔を見せてそう言った。
「くぅん」
 それでナイトは納得してくれたようだ。
「誰にでも秘密はあるものさ。これ以上は聞かないよ」
 それから少女に向き直る。
「……ありがとう」
 遠慮がちに言う礼の言葉に、俺の頭には別の少女の顔が浮かんだ。
「気にするな」
 そう言って、俺はまた捜し物に戻ることにする。
「悪いが忙しいんだ。用が済んだなら行ってくれないか?」
 言いながら、俺はまた瓦礫をめくりはじめた。
「ボクにも手伝わせて」
 ところが少女が予想外の言葉を口にする。
「お前が? どうして?」
 驚いて少女の顔を見る。
「…………」
 それにもまた返事はなかった。
 代わりに、また申し訳なさそうな顔をした。
「……わかった」
 何を考えているのかはわからないが、そんな顔をされたら断れない。
「ありがとう」
 今度は幾分元気に、
「何を探してるの?」
 それからそう聞いた。
「これくらいの」
 手で小さな四角を作る。
「……お前は仏蘭西人か?」
 続きを言おうとして、先にそれを聞いた。
「独逸人」
 なぜそんな質問をするのかという顔をしたが、今度の質問にはちゃんと返事があった。
「じゃあ、仏蘭西語はわからないな?」
「いや、問題ない」
「そうか」
 流暢に日本語を話すだけじゃなく、仏蘭西語まで理解するらしい。
 どうやら俺はそんなすごい少女達と出会う星の元に生まれてきたようだ。
「これくらいの」
 また手で小さな四角を作る。
「小さな本だ。表紙に仏蘭西語でタイトルが書かれている」
「なんていうタイトル?」
「シモンズ詩集」



 少女のナイトは優秀な探偵になれると、俺は笑みを浮かべた。
 その鼻が俺の匂いを瓦礫の下に見つけ、探し当ててくれたのだ。
「助かった。ありがとうよ」
 俺は犬の前にしゃがみこむと、その頭をごしごしと撫でてやる。
「くぅーん」
 気持ち良さそうに喉を鳴らした。
「お前もありがとう。関係ないのに付き合ってもらって悪かったな」
 それから立ち上がると、今度は少女にも礼を言う。
「ううん。そんなこと。見つかって良かった」
 少女は首を横に振ると、嬉しそうな表情を見せた。
「こいつは、俺が仏蘭西で知り合った娘が書いたものでな」
 見つかった嬉しさからか、少し口が軽くなったようだ。
「感想を聞かせてくれと言われていたんだが、仏蘭西にいる間ずっと厄介なことに巻き込まれて、それどころじゃなかった」
 手に持つそれに視線を落とし、俺は話を続ける。
「仏蘭西から帰る日にもう一度会う約束をしてね。だから、その時には感想を聞かせてやるつもりなんだ」
 そこで、少女に視線を戻す。
 少女は無言で、俺を見つめていた。
「ただ、俺にはちょっと難しくてな。こうしていつも持ち歩いて何度も読み返している」
 照れ隠しに笑ってみせる。
「そうなんだ」
 少女は短くそれだけ言った。
 こっちが勝手に始めた話だが、こういう話は何も言わず、ただ聞いてくれるだけの方がありがたい。
 少女の態度が嬉しかった。
「あー、良かったらお礼にケーキでも奢ってやろう」
 その少女に提案する。
「お礼なんていいよ」
 首を振った。
「……いや、実はな、一人でケーキ屋に入るのが恥ずかしいんだ。付き合ってくれないか?」
 少し照れるが、断られたので正直に言う。
「あはは。うん。わかった」
 案の定笑われたが、承諾は得られた。
「そいつの誕生日でね」
 手元の詩集に視線を落とす。
「え。でも、今仏蘭西にいるって」
 俺の言葉に、少女が少し驚いた顔をした。
「おかしいか?」
 少女に笑顔でそうたずねる。
 それに少女は考えるそぶりを見せた。
 だが、すぐに少女はこう言った。
「ううん。どこにいても、その人を想う気持ちは変わらないと思うから」
 優しい笑顔だった。
 俺もその笑顔に、笑顔で答えた。
「わんわん」
 少女のナイトが鳴いて、俺達は声を出して笑った。



補注とか