12月5日 在日独劇評論家フランツ・K |
「ところでもうバレエは踊らないのですか?」 「そうだね。……ボクもまた踊りたいと思う。機会があれば、かな」 「帝劇は型にはまらずに色んなジャンルを取り入れて舞台に生かしていますし、バレエを取り入れた舞台があってもいいと思うのですが」 「うん。それも面白いかもしれない。今度支配人に話してみるよ」 「よろしくお願いします。私も一レニファンとしてあなたのバレエをもう一度観たいと思っている一人ですので」 「ありがとう」 そう言って、最後にレニは優しく笑った。 私はその笑顔にとても感慨深いものを感じていた。 私が日本行きを決めたのは、レニ・ミルヒシュトラーセが帝国歌劇団という日本の小さな劇団に参加するというニュースを聞いたからだ。 欧州、いや世界に名を轟かせる天才的バレエダンサーにして舞台女優、そしてバイオリニストでもあるレニが、何ゆえ極東の小さな島国に行くのかと、当時欧州の演劇界音楽界は騒然となった。 レニの帝国歌劇団参加についてはっきりとした理由は語られず、様々な憶測が流れた。 欧州でのレニのマネージメント全般を勤めていた藤枝かえでが、その後帝国歌劇団の副支配人に収まったことで、祖国の劇場で副支配人の地位を得るためにレニを手土産にしたのだという黒い噂まで囁かれた。 その劇場の前の副支配人が藤枝かえでの実姉であることと、ほぼ同時期に同じく天才の名を欲しいままにしたソレッタ・織姫もが帝国歌劇団に参加したことで、その噂に拍車がかかった。 レニ・ミルヒシュトラーセの舞台に心を奪われた一人として、私はその真相がどうしても知りたかった。 それが私が日本行きを決めた理由だ。 私は日本に渡ると、早速帝劇を訪ねレニにインタビューを申し込んだ。 帝劇側はそれを快諾し、私は少し拍子抜けをした。 副支配人藤枝かえでは悪びれることもなく笑顔を見せ、レニは相変わらずの無表情で私のインタビューに淡々と答えた。 帝劇参加を決めた理由にレニは、「……別に。……面白そうだと思っただけ」とだけ答えた。 釈然としないままに4ヶ月が過ぎた。 9月。ようやく彼女の初舞台を観ることになる。 私はその舞台『青い鳥』で、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受ける。 氷のように鋭利かつ繊細な演技で観客を魅了した今までのレニ・ミルヒシュトラーセとは、明らかに違ったからだ。 そこにいるのは確かにレニだったが、今までのレニとは何かが違っていた。 あえて口にするならそう、そこには温かな『愛』が感じられた。 米ワシントンジャアナル誌、英タイム誌、仏ル・モンド誌を始め、各国の新聞は『青い鳥』を取り上げ絶賛した。 かく言う私も劇評論家として、興奮冷めやらぬ中その評を書き上げた。 私の興味はレニの帝劇参加の理由から、レニの演技の変化へと移り変わった。 「そしてレニの最高の笑顔で私はインタビューを終えた、と」 帝都日報に依頼された原稿を書き上げると、私はふうとペンを机の上に置いた。 そして最後のその文に目を落とすと、 「最高の笑顔、か……」 つぶやいた。 欧州時代のレニしか知らない人間にとって、今のレニは別人であると言っても過言ではない。 私も自分の持っているレニのイメージとのギャップに、しばらくの間戸惑いを感じたものだ。 かつて欧州でも私は幾度となくレニに接触し、演劇について意見を求めた。 そしてレニが舞台の上と下とではまったく違う表情を持っていると知った。 関係者の間でそれはしばしば話題に上がった。舞台上で見せる情熱や饒舌は舞台を下りるとどこに行ってしまうのか、と。 それほど普段のレニは無表情であり、無感動だった。 その舞台と普段とのギャップが、本当に演技なのかと思わせる彼女の芝居が確かに演技であると確信させる唯一の材料でもあった。 私が始めてレニの笑顔を見たのは『青い鳥』公演直後。レニにインタビューを申し込んだ時だ。 興奮した私がレニの演技を絶賛すると、レニは「ありがとう」と口にし、少し照れたようにかすかに微笑んだ。 そこにとても可愛らしい少女がいた。 レニの変化は帝国歌劇団花組という素晴らしい仲間を得たことによるものである。 それが私が出した答えだった。 言葉にしてしまえば単純だが、その環境をレニに与えてやれなかったことは欧州演劇界にとって反省すべき点であろう。 藤枝かえでがレニを帝劇に参加させたことは、今では誰もが認める功績となった。 ところで私は銀座の街で偶然レニを見かけたことがある。 レニの隣には現帝劇支配人の大神一郎氏がいた。 並んで歩く二人は仲睦まじく、はたから見ると恋人同士のように見えた。 私はふと、レニの変化の理由にもう一つの可能性を思い浮かべた。 だが、それを詮索するのは野暮というものだろう。 私はこれからも一ファンとして、レニ・ミルヒシュトラーセを見守っていくつもりだ。 |