12月3日 米田の生活 |
「はっけよい、のこった。のこった」 土俵の中で子供達が力一杯ぶつかりあう。 「それっ! どっちも負けるなぁ!」 行司役であることも忘れて、周りの子供達と一緒になって声援を送る。 やがて小さな力士の片方に土がつき、熱戦は終了。 「太郎山ー」 俺は手の団扇を掲げて、勝った子供の名を呼び上げた。 「やったー」 と、その子は喜び、負けた子供は悔しそうにしている。 だが、すぐに二人とも笑顔になり、次は負けないとかこっちこそとか言い合っている。 「次は俺だー」 見ていた子供の一人が名乗りを上げると、 「よーし」 もう一人も気合いの声と共に土俵(を模して地面に書かれた輪)の中に入ってきた。 「米田さん」 そこへそう声が聞こえた。 「おう?」 返事ともつかない声を上げて、俺はその声に振り向く。 「ご無沙汰しています」 振り向いたそこに、ぱりっとした背広に身を包んだ精悍な顔つきの男と、その横に銀髪の美しい異国の少女が立っていた。 「おう」 さっきと同じ台詞を、今度は違う抑揚で口にする。 「来たか」 俺は自然と笑みをこぼす。 背広の男の横で、異国の少女がぺこりと頭を下げた。 「俺ぁちょっと客が来たんでよ。後はお前達でやってくれや」 長屋の子供達に向き直ると、近くにいた子供に団扇を差し出しながら告げる。 だが、誰も返事をせず、みんな同じ方向を向いて固まっちまってた。 その視線の先に、異国の少女レニの姿があった。 大神は歳暮だと言って、一升瓶を俺の前に置いた。ご丁寧に『御歳暮』と書かれた熨斗紙が付けられている。 そしてその横に、封筒を一枚。 「是非米田さんにも観劇していただきたく思いまして」 封筒の中身はクリスマス公演『奇跡の鐘』の招待券だそうだ。 「おう。ありがたくもらっとくぜ。楽しみにしてるからよ」 俺はそれを受け取ると、大神にではなくレニに笑いかける。 「うん」 それにレニは短く答えた。 「しかし、支配人と主演女優が揃ってとは、大げさなこったな」 俺はおどけた口調で言う。 「そんな。米田さんは俺達にとって一番観てほしい人の一人ですから」 「俺達、か?」 俺は含みのある言い方をした。 「え。あ、いや。花組みんなにとってという意味で、その……」 と、大神は慌てて取り繕う。 「あーはっはっは。そんなこたぁわかってるよ」 それがおかしくて、俺は膝を叩いて大笑いした。 「まあよ、楽しみにしてるぜ」 まだ口の中に笑いを残したまま、そう言葉を続ける。 もっとも、この『楽しみにしてる』は公演のことでもあり、目の前の二人のことでもあった。 俺達のやりとりの意味がわからなかったのか、レニはきょとんとした顔で俺と大神の顔を見比べている。 「めずらしいじゃねぇか、レニ」 そのレニにそう声をかけた。 「え、うん。……隊長がよそ行きの格好でって言うから」 今度は何を言われたのわかったらしく、少しはにかむようなしぐさで答えた。 レニは上下揃いの服を着ていた。茶色を基調にした落ち着いた、それでいて可愛らしい印象だ。 考えてみると、俺は舞台衣装以外でレニのスカート姿を見るのは初めてじゃねぇだろうか。 俺はレニを見つめると、長屋の子供達が見とれてしまうのも無理はねぇと感じた。 「良く似合ってるぜ」 「……ありがとう」 普段着を褒められることに慣れていないのか、照れくさそうにそう返した。 「さてと、せっかくだから頂くとするか。おう、大神。おめぇも飲むだろ?」 俺は大神の持ってきた一升瓶の首根っこを掴む。 「米田さん」 が、大神はそれには答えず、 「ああ?」 俺は返事ともつかない声を上げた。 「一局お相手できませんか?」 そう言った大神の視線の先に、部屋の隅に置かれた将棋盤があった。 それから俺に向き直った大神の顔が、どこか真剣な表情を浮かべていた。 「いいぜ。持ってきな」 その表情に、俺はそう答えた。 大神との対局は一体いつ以来だろう。 ぼんやりとそんなことを考えながら、盤面を見つめる。 今日は酒抜きでと言われたので、茶をすする。 酔った状態ではなく、しらふで相手をしてほしいそうだ。 対局は中盤に差しかかり、盤面の駒は適度にばらけていた。 次は大神の番なんだが、なぜかなかなか指そうとしない。 俺が見たところそれほど難しい局面でもねぇと思うんだが、何を考えているのか。 「ん?」 ふと視線を移すと、大神の横でレニも一緒になって難しい顔をしている。 二人並んで同じような顔をしているのが、その表情とは裏腹にどこか微笑ましく思えた。 と、空になった湯呑みに茶を注ごうとして、急須の軽さにそちらも空だったことを思い出す。 目の前の二人を見つめ、今の内に新しい茶を煎れてこようかと思ったが、 パチン。 やっと大神が動いた。 「むぅ」 その大神の一手に俺は小さく唸る。 俺が考えてもいなかった予想外の手だ。 「んん」 今度は俺が長考させられる番だった。 俺はまた空の湯呑みを持ち上げると、入っていないことを思い出しそれを置く。 さっきの大神の一手が効いて、俺は少々分が悪い。 時折指しこまれる大神の鋭い手に、長考することが増えていた。 俺らしくない将棋にいらついて茶を飲もうとするのだが、いかんせん急須は空のままだ。 「……煎れてくるね」 何度も空の湯呑みに手を伸ばす俺を見かねたのか、すっとレニが立ち上がった。 「ん、ああ。わかるかい?」 とっさに口からそう出たが、内心驚きながらの言葉だった。 「見ればわかると思う」 言うと、盆に急須と湯呑みを載せて、台所へと消えていった。 俺が言ったのはお茶っ葉の場所のことじゃなく、お茶を煎れるという仕事そのもののことだったのだが、その質問は無意味だったらしい。 大神は相変わらず盤面を見つめ特に表情を変えていない。 レニの行動が驚くべきことでもないということだろう。 俺が帝劇を去って半年とちょっと。俺の知らないことがあってもおかしくはない。 「まいった」 俺は盤面を苦々しい思いで見つめながらそう口にした。 結局勝負は大神の勝ち。 一体いつからこんなに強くなってやがったのか、勢いだけでなく、ねばりのある将棋をするようになった。 「やっと支配人に勝てました」 そう言われて見上げた大神の顔は、やけに清々しい表情をしていた。 「何言ってやがる。支配人はお前だろうが」 その呼び方のせいで思わず昔に戻ったのか、久しぶりに叱りつけるような口調になった。 「そうでしたね」 大神が照れくさそうに頭を掻いた。 「今日はやたら意気込んでたじゃねぇか?」 俺はからっと表情を変えて、からかうように聞いた。 「米田さんにはまだ一度も勝たせてもらってませんでしたから」 「そうだったか?」 言うと、俺はまた湯呑みを手に取る。 「それに」 と、大神が続ける。 湯呑みを口元まで運んだ手を止めて、大神に目をやる。 「レニの前では誰にも負けたくありませんから」 そんなことを言いやがった。 「ははー。言ってくれるじゃねぇか」 俺は湯呑みを持つのとは逆の手で、自分の膝をぴしゃっと叩いた。 「え……」 レニは良くわからない表情で、それでも少し頬を染めていた。 そのレニの煎れてくれた茶がやけにうまかった。 大神達が帰ると部屋には俺一人。 妙に部屋が広く感じる。 外では雨が降り出しぽつぽつと音が聞こえていた。 傘を持っていなかったあいつらに帰り際に傘を貸してやると言うと、大神は明日返しに来ると抜かしやがった。 この忙しい時期に支配人がふらふらしててどうすると怒鳴りつけ、返しに来るくらいならくれてやると言った。 『一ヶ月早いが誕生日プレゼントだ』 ぶっきらぼうに、冗談のつもりでそう言ったのだが、 『覚えててくれたんですね! はい! 有難く頂戴します!』 やたら嬉しそうに、馬鹿でかい声でそう言いやがった。 『馬鹿野郎! 声がでけぇんだよおめぇは!』 大神の態度に、なぜだか不意に照れくさくなって、俺まで馬鹿でかい声を出しちまってた。 そんなやりとりをしている俺と大神を、レニが黙って、だが、にこにこと笑いながら見比べて、最後に俺の顔を真っ直ぐに見つめると、満面の笑みを見せた。 「よっと」 そのレニの笑顔を思い出しながら、押入れからそれを引っ張り出す。 大神は傘をプレゼントだと真に受けたようだが、誕生日のプレゼントはちゃんと別に買ってある。 もちろん、レニの分もだ。 ついこの間ふらっと覗いた瀬戸物屋。 見つけた夫婦(めおと)湯呑みに、心惹かれた。 まだ『夫婦』というには早すぎるが、誕生日の近い二人に、まとめてプレゼントするのも悪くないと思った。 一つ気になっていたレニが茶を煎れられるかという心配も、取り越し苦労だった。 これを見たらさくら辺りがやきもちを焼くかもしれねぇが、まあ仕方あるまい。あいつもいい加減大神離れをした方がいい。 「公演の時に持ってってやるか」 綺麗に包装されたそれに言った。 「さて」 それから今度こそ大神の歳暮を頂くことにする。 どんっとちゃぶ台の上に一升瓶を置くと、熨斗紙を外した。 熨斗紙を外すと、見慣れた銘柄のラベルが顔を出す。 なまじ高級品を選ぶよりは飲みなれた酒を贈る。大神らしい心づかいだ。 「んん?」 と、ラベルに何か書かれていることに気がつく。 小さく見覚えのある字が並んでいる。レニの字だった。 「なになに」 眼鏡をずらし気持ち瓶を離してそれを読む。 『飲み過ぎ注意』 簡潔に、それだけ書かれていた。 「ふ、はっはっは」 思わず声を出して笑う。 同時に、またレニの笑顔が浮かんだ。 「ああ。わかったぜぇ」 俺は、それを見ながらそうつぶやいた。 |