ただいま



「おかえりなさい。お風呂、沸いてるわよ」
 帝劇に帰ると、かえでさんは笑顔でそう迎えてくれた。



 チャポン。
 熱いお湯に右足を入れると、その熱さに痺れるような感覚を覚える。
 実際はいつも通りの温度なんだろうけど、冷え切ったボクの体にはいつもより熱く感じられた。
 ゆっくりと左足を入れ、その熱さに徐々に体を慣らしながらやがて肩まで浸かった。
 湯船の中でグッと膝を抱えると、体を包むお湯がじわじわと内部まで暖めていくのが分かった。
 その抱えている膝が軽くズキズキと痛む。視線を落とすと少し擦り剥いていることに気がついた。
 いつの間に擦り剥いたんだろう……。見当もつかない……。
 あんなことになって、かすり傷だけですんだのは隊長やみんなのおかげだ……。
 体を動かすとまた痺れるような熱さを感じるので、しばらくそのままの体勢を維持することにした。

「レニー!」
 浴室のドアが勢い良く開けられると、同時にアイリスが元気良く駆け込んできた。
「一緒に入ろー!」
 そう言うが早いか、アイリスはドボンと湯船に飛び込んだ。
 その影響で水飛沫が上がり、湯船のお湯は波を打った。
 それでボクはまた痺れるような熱さを感じたけど、くーっと我慢をして相変わらず膝を抱えたままにそれをこらえた。
 やがて、湯船のお湯が静かになると、アイリスが顔を見せた。
「えへへ〜」
 アイリスの無邪気な笑顔につられて、ボクも微笑んでいた。
「アイリス。お風呂で走っては危ないでしょう?」
 そう声が聞こえると、今度はマリアが顔を出した。
 その後ろにはカンナや紅蘭、さくらにすみれ、それに、織姫の姿まで見えた。
「まったくこれだからお子様は困りますわね」
 全然困った顔などしていないくせに、すみれが楽しそうに言う。
「もうちょっと広けりゃあたいも飛び込むんだけどな」
「あかんで。カンナはんが飛び込んだらお湯がなくなってまうわ」
 カンナと紅蘭もそう言うと笑い合った。
「たまにはみんなで入るのもいいものですね」
「せっかく広いんですから、みんなで入らないとお湯がもったいないでーす」
 さくらはともかく、織姫までそんなことを言うなんて、どういう風の吹きまわしだろう。
 それでもボクは何も言わず、相変わらず膝を抱えたまま、ぼんやりとみんなのそんな姿を眺めていた。
 みんなめいめいに髪を洗ったり、湯船に浸かって体を癒したりしている。
 アイリスはボクの横で鼻歌を歌っていた。
 その鼻歌に合わせてアイリスが体を揺らすと、アイリスの金色の髪もふわふわと揺れる。
 金色の髪が揺れる度に、いい匂いがした。
 すぐにあの花飾りの花の匂いだと分かった。
 匂いが髪につくほど、時間をかけて作ってくれてたんだ……。
 不意に、右目から一粒だけ涙がこぼれ落ちた。
 少しハッとしたけど、アイリスはボクの左側にいたので見られることはなかった。
 もし見られていたら、また心配をかけてしまう……。

 暖かい……。
 体を包むお湯が冷え切っていた体を生き返らせてくれる。
 生まれ変わる気分っていうのは、こういうことをいうのかもしれない。
 お風呂が気持ちいいと思ったのは、初めてだ……。
 ボクは相変わらず膝を抱えたまま、体をもう少しだけ湯船に沈めた。
 そして口までお湯に浸かる。
 口までお湯に浸かっているのに、なんとなくその言葉をもう一度言いたくて、構わずに口を開けた。
「わわわわ」
 口から泡が出て、お湯がブクブクした。
 隣でアイリスが楽しそうに笑っている。
 もし、ボクの口がお湯に浸かっていなかったら、アイリスには聞こえていただろう。
 ただいま、と。



 その日。ボクは初めてお風呂でのぼせた。
 水狐に操られ嵐の中で立ちつくしていた体は、疲弊しきっていたのだ。
 その上での戦闘。隊長やみんなに支えられていなかったら、足手まといどころかアイゼンクライトを動かすことも出来なかったかもしれない。
 帝劇に帰って来て、もう一度ただいまと言って、気が抜けてしまった。
 お風呂でのぼせると、みんながボクをアイリスの部屋に運んだ。
 ボクの部屋にはベッドがないからだ。
 それから、アイリスのベッドで丸一日眠った。
 アイリスのベッドは、とてもいい匂いがした。



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