キュキュキュ
織姫に誘われてパーラーに行くことになった。 「ついでだから中尉さんも誘いましょう」 何のついでなのかは知らないが、レニはそれに頷いた。 織姫が部屋で出かける準備をしている間に、レニが大神を誘っておくことにする。 「レニが誘えばイチコロでーす」 自分が誘ったところで他に予定があれば断られると思いつつも、レニは織姫の言葉に微笑んでいた。 部屋をノックしても返事がなかったので一階に降りる。何となくロビーの方へ歩いていくと、その声が聞こえてきた。 「今からかい?」 大神の声だ。 大神の姿を確認すると、側には花火の姿も見えた。その横にはグリシーヌが立っている。 「ロベリアさんが浅草に素晴らしい建築物があるとおっしゃられていたので、これは一度見ておかなければと思いまして……」 「あやつは言葉は悪いが物の真価を見定める目は間違いないのでな。私も興味が湧いた」 どうやら二人は大神を浅草に誘っているようだった。ロベリアが、レニ達と行った時のことを二人に話したのだろう。 「そうなんだ。うーん……」 と、大神は考える素振りを見せる。 「何を考えることがある。今日は夜公演のみであろう? 間に合うようには戻るゆえ案内してくれぬか?」 「それとも、何かご予定がおありなのですか?」 「いや、予定はないんだけどね……」 二人の催促に大神が歯切れの悪い返事をする。 「ならば良いではないか」 もう一押しとグリシーヌ。 「分かった。じゃあ、今から出かけようか」 それに大神がそう答えた。 レニは、それを聞くと少し目を細めた。 最近、巴里華撃団の五人はしきりに大神を誘っている。 『あぁ、無情』はもうすぐ千秋楽。千秋楽が終れば巴里華撃団は巴里に帰らなくてはならない。それで、それまではなるべく大神と同じ時間を共有したいと考えているのだろう。 人のいい大神も巴里華撃団の気持ちを察してか、出来るだけ付き合ってやっているようだ。 だが、そのせいでレニは大神と二人になれていない。 公演期間中はただでさえ忙しいというのに、大神は空いた時間巴里華撃団に付き合っているので、ここ最近は二人の時間などないと言って良かった。 レニが離れたところにいたので、大神達は気がつかないままに玄関から外に消えていった。 「おまたせでーす」 丁度入れ替わりで、織姫がロビーに姿を現した。 「あら? 中尉さんは?」 レニの側まで来ると、さもいることが当たり前のように織姫が口を開く。 「隊長は、他に予定が出来たみたい」 レニは無表情に答えた。 「ふーん。また巴里の人達ですかー」 「え?」 どうして分かるの? とレニ。 「顔に書いてあるでーす」 一見無表情に見えたその顔も、織姫に言わせれば何かしらの感情が浮かんでいたらしい。 「まったく中尉さんも中尉さんですけど、レニももういいんじゃないですかー?」 そんなことを言い出した。 「何?」 織姫の言う意味が分からずレニが聞く。 「そんな拗ねていないで、巴里の人達とばかりじゃなく自分とも遊んでーって言うがいいでーす」 「ボ、ボクは、拗ねてなんか……」 と、織姫の言葉にレニが動揺する。 「そんな顔しといて良く言うでーす。いいですかー? レニは中尉さんの特別なんですから、中尉さんは自分のものだってもっとアピールするべきでーす」 夜公演が終って楽屋にみんな戻って来た。 昼間にあんなことがあったが、舞台にまでそれを引きずるレニではなく、舞台上のマリユスは今日も素晴らしかった。 シャノワールチームをゲストに迎えたラストを飾るレビュウショウも、日に日にきらめきを増していた。 「おつかれさま」 「おつかれさまでした」 みんなが声をかけあう中、アイリスがレニに話しかける。 「レニ、あのシーンなんだけど……」 「ああ、ボクも気になってたんだ」 レニがそう返した。 今日の舞台、マリユスとコゼットのシーンで気がついたことがあった。 毎日のように同じ演目を繰り返していても、けして同じ舞台が生まれることはない。 こうして役者達がよりいいものにしようと、いつも気を配っていることもその理由の一つだ。 アイリスが自分の鏡の前に座ると、レニがその横に立った。気になったシーンを台本を見ながら確認するためだ。 「あれ?」 と、鏡の前に置いてある台本を見てアイリスが声を上げた。 「二冊ある?」 本番前に、台本を鏡の前に置いて楽屋を出たのだが、戻って来たらそれが二冊に増えていたのだ。 「誰のだろう?」 一冊はアイリスの物として、もう一冊は誰かがそこへ重ねたのだろうか。 本番前は慌しく楽屋を後にすることもある。寸前まで確認していた台本をポイとそこへ置いた者がいたのだろう。 「うーん」 アイリスはその二冊の台本を見比べる。ページは捲らず裏表をチラと見た。 「こっちがアイリスのだ」 それから、あはっと笑ってそう言うと、レニに自分のだという台本を見せた。 「自分の名前を書いてるんだ」 見せられた台本にレニが目をやると、型にはまらないアイリスらしい奔放な字が書かれていた。 「うん。だって、名前を書いておかないと誰のか分からなくなっちゃうよ」 当たり前のようにアイリスが言う。 「そうか。そうだね」 それにレニが笑顔で頷いた。 アイリスの台本を開くと、とりあえずもう一冊の台本が誰の物かは後回しにして、先に話を始めた。 「あれ? 誰か、あたいの台本知らないか?」 話が終る頃にカンナのそんな声が聞こえてきた。 「じゃあね、レニ。おやすみー」 「うん。おやすみ、アイリス」 部屋の入り口で手を振って別れると、アイリスは笑顔で自分の部屋に戻って行った。 レニも自室のドアを開けると部屋の中に入る。 部屋に入ると机の天板を下ろし、そこへ手に持っていた台本を置いた。今日アイリスと話し合ったところを台本に書き込むためだ。 鉛筆を取ろうとペン立てに手を伸ばして、ふと思い立ってサインペンを手に取った。アイリスに習って自分も台本に名前を書いておこうと思ったのだ。 コンコン。 と、ノックの音が聞こえてきた。 「レニ、いるかい?」 大神の声だ。 「隊長ぉ。ちょっと待って、今開けるから」 突然の大神の来訪にレニは嬉しそうな声を上げる。 持っていたサインペンを置くのも忘れて、部屋のドアを開けた。 「やあ」 ドアを開けると笑顔で大神が立っている。 「隊長。何か用?」 レニらしい出迎えの言葉。言葉とは裏腹に顔は微笑んでいた。 「ああ、ちょっといいかな?」 「うん。入って」 レニが部屋に入るようにうながすが、 「いや、すぐに見回りに行くから」 と、大神は右手に持っているランタンを見せて苦笑した。 「そう……」 ゆっくり話せないことに少しガッカリする。 「それで、何?」 だが、すぐに気を取り直して自分の部屋に来た理由を聞いた。 「今度、一緒に浅草に行かないかい?」 大神がそう切り出した。 「……浅草?」 レニは、その言葉にピクリと反応する。 「ああ。美味しいおしるこを出す店を見つけたんだ」 嬉しそうに笑う。 「そう」 短く答えた。 「ほら、この前行った時にかんざしを見ただろう? あの店の近くさ」 そう説明する。 「……今日も、かんざしを見たの?」 「え?」 「花火達と食べたんだ? おしるこ」 レニの顔から笑顔は消え、いつの間にか無表情に変わっていた。 「いいっ!」 その表情とその一言に大神が大きなリアクションで驚いた。 「レニ、知ってたのかい? あれは、その、二人に誘われて……」 レニの無表情から、織姫と同じに大神もある感情を見つけていた。 「そうだね。仕方ないね」 拗ねている。 「あ、いや、その、ごめん。最近、あんまり時間が取れなくてレニと……」 拗ねたレニを見て大神が慌てる。 「…………」 大神が会いに来てくれたこと、誘ってくれたことは嬉しかったのに、レニには花火達と出かけたという事実の方が大きかった。 塵も積もれば山となる。ずっと溜め込んでいたものが一気に吹き出して来た。 「え?」 唐突にレニが大神の左腕を掴んだ。 「あの、レニ?」 大神はレニの行動にあっけに取られている。 レニは無言で大神の七分袖を捲くると、大神の左腕を露わにさせた。 右手にはランタンを持っているし、強く振り払うことも出来ないしで、大神はレニの成すがままだ。 レニは、右手に持っていたサインペンのキャップを外すと、おもむろに大神の左腕にそれをキュキュキュと走らせる。 「え、あ、レニ!?」 レニのレニらしくない行動に、大神はもう驚きっぱなし。 そして、レニはそれを書き終わると、すぐに大神の体をドアの外に押し出してしまう。 「ちょ、レニ。待っ―――」 「知らないっ」 バタンッ。 レニの捨てゼリフと共に、大神は追い出されてしまった。 「えと、レニ…………?」 大神はあっけに取られ、閉められたドアの前で呆然とする。 その大神の左腕には、くっきりと『レニ・ミルヒシュトラーセ』の文字が浮かんでいた。 大神はその意味に気づかず、しばし間抜け顔を披露していた。 翌朝。 やっとその文字の意味に気がついた大神が、拗ねるレニをなだめて改めてデートに誘う姿が見られたとか見られなかったとか……。 |
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