スケッチ



   テラスに織姫の姿を見つけた。
 サロンから持ち出してきたのだろう椅子を窓際に置いて、そこに腰掛けて外を眺めている。
「どうしたの、織姫?」
 ボクが織姫に近付いて尋ねると、織姫がこちらを見もせずに、
「外を見てるんでーす」
 そう答えた。
 見ると織姫はスケッチブックを手にしていた。右手には鉛筆が握られている。
「絵、描いてるんだ」
「わたしもパパの子供ですから、少しぐらい絵心があると思ったんですけど、やっぱりなかなか難しいものですね」
 ふうとため息をつくと、織姫はやっとボクの方を向いた。
「そうだ。レニも描いてみるといいでーす」
「ボクも?」
「レニの絵って見たことないでーす」
「ボクはいいよ」
「どうしてですか〜?あー、さては恥ずかしいんですね〜?」
「別に。ただ必要ないだけ」
「ふう、レニは相変わらずですね。でも、必要ないなんてことないと思いますよ」
「どうして?」
「絵を描くっていうのは、その時の心情を描くのと同じことなんで〜す。いいですかぁ〜?レニは昔と違ってこの街が好きになったはずです。きっと素敵な絵が描けると思いま〜す」
「そうなの?」
「わたしが嘘ついてるとでも言うんですか?嘘だと思うなら描いてみれば分かりま〜す」
「…………分かった。ちょっとだけ」
「そうこなくっちゃでーす」
 喜ぶ織姫を見て、ただボクの絵が見たいだけなのだと気付いたがもう遅い。
 ボクは織姫の代わりに窓際に置かれた椅子に腰掛けると、スケッチブックと鉛筆を受け取る。
「でも、絵なんて描くのは初めてだよ」
「見たままを描けばいいんですよ〜」
「見たまま……」
 ボクは織姫の言葉にしたがって目に映るものを一つ一つスケッチブックに描き始めた。
 銀座の街並。路面電車。街行く人々。
 一つ一つをなぞるように鉛筆で記していく。
「レ〜ニ!めちゃくちゃ上手でーす!」
 後ろで織姫が叫んだ。
「うるさい」
 折角集中していたところだったのでボクは思わずそう言う。
「…………」
 ボクがいきなりそう言ったから、テラスのガラスに映る織姫はポカンと口を開けてそのままの形で固まっていた。
 両手を突き上げ口を開けたまま固まっている織姫の姿が妙に滑稽で、ボクは思わず声を出して笑ってしまう。
「レニったらひどいでーす。笑わなくたっていいじゃないですか?」
「ふふふ。ごめん織姫。何だか織姫がおかしかったから」
「あらま。レニも言うようになりましたねぇ」
「そうかな?」
「そうです。昔は笑うどころか必要なこと以外は話しもしなかったで〜す」
「そうかな」
 今度は語尾下がりにそう言った。そう言われるとそうかもしれないと思ったから。
 そこで織姫から再び窓の外に目を移す。
「あ」
 そして、そこに隊長の姿を見つけた。
「どうしたですか?」
 織姫がボクの言葉に反応して、ボクの視線の先に目を向ける。
「あ〜、またたくさん荷物抱えてますね〜。さっきさくらさんとすみれさんとカンナさんとアイリスと紅蘭とマリアさんとわたしが買い出しを頼みましたからね〜」
 織姫は事もなげにそう言うと、窓の向こう抱えきれないほどの荷物と格闘しながら歩いている隊長を見ながらくすりと笑った。
「ボク以外みんなじゃない」
 その織姫の言葉にボクは驚いて声を上げた。
「そうとも言いますけど」
 言うと織姫は悪戯っぽい表情を見せる。
「重そうだね……」
 ボクはふと口をついてそう言ってしまう。
「手伝ってあげたらどうですか〜?」
 そして、それを聞いた織姫がまた悪戯な笑顔を浮かべると、ボクにそう言ってきた。
「え、でも……」
 ボクは思わず戸惑ってしまう。
「でもなんですか〜?早く行かないと少尉さんがわたしの頼んだレコード落として割ってしまいま〜す」
「そんなのボク知らないよ」
「おぉ〜、可哀想な少尉さ〜ん。レニに見捨てられてしまいました〜」
 織姫は大げさに声を上げると、胸で手を組んで天を仰ぐ。
「別に、見捨ててなんか……。ただ、ボクには関係ないだけ……」
「関係ないですか?関係ないんですか?関係なくはないです!少尉さんが困ってるですよ!助けてあげたいと思わないですか?思ってるでしょう?思ってるに決まってまーす!」
 すごい早口で織姫が捲くし立てる。
「う、うん」
 ボクはその織姫の勢いに思わず頷いてしまった。
「じゃあ、早く行くです」
 今度は打って変わって織姫は優しい表情を見せた。
「うん、分かった」
 ボクはその織姫の笑顔を見たら、今度は素直にそう答えることが出来た。
 スケッチブックと鉛筆を織姫に手渡すと、すぐに階段に向かう。そして、その途中でボクは一度織姫に振り返る。
「織姫、ありがとう」
 ボクがそう言うと、織姫は笑顔でそれに答えてくれた。

「少尉さんのことになると、まだちょっち積極的になれないですね」
 わたしは呟きながら窓の外を見る。
 そこに少尉さんとレニの姿が見える。
 息を切らせてレニが今少尉さんに声をかけたところ。
「レニったらあんなに息を切らせて」
 わたしは思わず笑みをこぼす。
 そして、少し驚いた顔と嬉しそうな顔を同時に見せる少尉さん。
「まったく、あんなニヤケた男のどこがいいんだか」
 またわたしは独り言を呟いてみる。
 たくさんの荷物を2人で抱え、並んでこちらに向かって歩いてくる。
 どこか恥ずかしそうに、楽しそうに。
 わたしはその2人の姿を見ていたら、急にそれを描きとめておきたくなる。
「丁度いいでーす」
 わたしは言うと、レニが描いていたここからの風景に2人の姿を描き加えることにした。
 レニほど上手くは描けなかったけど、街の風景に溶け込む2人の姿がスケッチブックに記された。
 わたしは自分が描いたそれに満足すると、微笑んで見つめる。
「なかなか絵になる2人ですね」
 そして、そう呟いてまた笑った。

 後日。
「織姫、この前のスケッチブック貸してくれない?」
「いいですけど、どうするでーすか?」
「色を塗ろうと思って」
「そうですか。はい、どうぞです」
「…………」
「どうしたですか?」
「これ、織姫が描いたの?」
「そうでーす。なかなかのものでしょう?」
「下手」
「……レニも言うようになりましたねぇ。とほほでーす;」



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