冬の朝



 昨夜は雪が降った。
 中庭は一面真っ白。
 ここ最近冷え込んできていたけど、昨夜から今朝にかけての冷え込みはこの冬一番だろう。

 2階から1階へと階段を下りる途中、ボクはすみれに出会った。
「すみれ、おかえり」
 先に気づいたボクが声をかける。
「あら、レニ。早いですわね」
 すみれはボクを認めるとそう返してきた。
 今は朝の7時。確かにまだ早い時間だ。
「すみれこそ」
 ボクがすみれにそう言うと、すみれはふっと溜息をついてから、口を開いた。
「本当は昨日の夜には戻るつもりでしたのよ。けれどこの雪でしょう? 帝鉄は止まってしまうし、岡村もこの雪の中に車を出すのは危険だと言って、結局昨日は実家に泊まる羽目になってしまいましたの……」
 すみれは昨日実家に帰っていた。神崎財閥の集まりとかで呼ばれたらしい。
 それを聞いたカンナは、「またお見合いさせられるんじゃねぇか?」と言って笑っていた。
 今日は朝から稽古がある。それに間に合わせるために、運転手を説き伏せて無理矢理送らせたのだそうだ。
「おまけに今朝のこの寒さ。コートも何も持たずに出かけましたから、実家に置いてあった、以前着ていたこんな小さなコートを着てきましたのよ」
 見ると、確かに少々サイズの合わないダッフルコートをすみれは着ていた。
 以前と言っても、すみれもまだまだ成長期だ。ほんの2、3年前の物なのだろうが、今のすみれには多少小さめのようだった。
「冬の朝の空気は好きですけど、今朝は少々寒すぎますわ」
 すみれは最後にそうつけ加えると、続いてボクに聞いてきた。
「それよりレニ。どこに出かけるんですの? こんなに早く」
「すみれは知らなかったかもしれないけど、ボクはいつもこの時間には起きて、フントに朝ご飯をやりに行ってるんだ」
「まあ、そうでしたの。フントはレニに1番なついていますものね」
 すみれは言うと、今度はじっとボクを見つめる。
「何?」
 ボクは不思議に思い聞いた。
「レニ。でもその格好では少々薄着過ぎましてよ」
 と、すみれ。
 確かに今日の寒さは屋内にいても、昨日までと違うことは分かったが、ボクは必要以上の衣類を持っていない。
 日本に来る時に日本の気候を調べ、必要と思った量と種類の衣類しか持って来ていない。その時は普段着ているこの服があれば問題ないと判断したのだが、どうやら判断ミスだったらしい。日本の季節ごとの気候の変化をもっと良く学んでおくべきだったと今は思っている。
「防寒具は持ってないんだ」
「あら、そうでしたの。じゃあ、これを着ていきなさいな」
 言うと、すみれは自分が着ているダッフルコートを脱いで、ボクに差し出した。
「え? でも、悪いよ」
 戸惑いながら答える。
「あら、遠慮なんてしなくていいですわよ。外は寒いですし、風邪なんか引いたらどうするんですの? 健康管理も女優の大切な仕事の1つでしてよ。それともわたくしのお古なんて着られませんこと?」
「あ、ありがとう」
 そこまで言われたら受け取らない訳にはいかない。ボクはお礼を言うとそれを受け取った。
「お礼なんてよろしくってよ」
 すみれが言いながらボクを見つめる。着せて見せて、ということだろう。
 それに素直に従って、そのダッフルコートに袖を通した。
「あらレニ、似合うじゃありませんこと。それに丁度いいみたいですわね、なかなか可愛らしくってよ」
 すみれがそのボクの姿を見て微笑した。
「そ、そうかな」
 ボクは少し照れながら、可愛いかどうかは別にして、確かにサイズだけはあつらえたようにピッタリだと思った。
「レニもプロの女優なんですから、私服にももう少し気を配った方がよろしくてよ。私用で外に出る時でも、どこにファンの目があるのか分かりませんものね」
 もっと普段からおしゃれに気を配れ、とすみれが忠告する。
「うん。分かった」
 すみれらしい意見にボクは素直に返事をした。
 以前のボクなら秘密部隊花組がその本分で、舞台での花組はそのための隠れ蓑、という認識しかなかったが、今では演じる楽しさを知り、女優としての喜びも知っている。そういう意味でボクよりもずっと前からそれを両立させていたすみれの意見は、素直に聞いておくべきだと判断した。
(今日の稽古は午前中だけだし、午後から買い物に出かけてみようか。でも、ボクにはどんな服が似合うんだろう? 隊長、選んでくれないかな……)
 ボクはふとそう思った。
ドカーン!
 突然爆発音が響いた。
 すみれもボクも何事かと思ったが、その後すぐに聞こえた「また、やってもうたぁ」という声で、紅蘭がまた発明に失敗したのだと分かり、ボク達は顔を見合わせて笑った。
 この時間だ。たぶん、徹夜で作業していたのだろう。
「うるせぇーぞ! 紅蘭ー!」
 続いてその爆発音で目を覚ましたのだろう、カンナの声が聞こえた。
 それにまたボク達は笑いあう。
「紅蘭にも困ったものですわね。朝からお稽古だというのに、徹夜なんて……」
 すみれが独り言のように、紅蘭の部屋の方に目を向けて呟いた。
「じゃあ、行くよ。ありがとう、すみれ」
 ボクはすみれにもう1度お礼を言って、1階に下り始める。
 すると階段の上、すみれから声がかかった。
「そのコート。気に入ったのなら差し上げましてよ」
 その声にボクは振り返り、笑顔でこたえた。

 中庭に出ると、ピンと張り詰めた空気が妙に心地良かった。
 冬生まれのボクやすみれには、この冬の独特の空気は落ちつくのかもしれない。
 だけど寒い。すみれにコートを借りていなければ、流石にボクも寒さに震えてすぐに部屋に戻っていたかもしれない。
 厨房で用意したフントの朝ご飯を持って、フントの小屋に向かった。
「フント」
 小屋の入り口を覗き込み、そう声をかける。
「わん」
 一声鳴くと待ってましたとばかりに、フントが小屋から飛び出してきた。
 そして、まだ手に持っている朝ご飯が載ったお皿に飛びついた。
「ふふふ。フントは元気だね」
 ボクは笑いながら言って、お皿を地面に置く。
「わん」
 ボクの言葉が分かるのだろうか? そうだよ、とでも言うようにフントはそう鳴くと、朝ご飯を食べ始めた。
「ふふふ」
 もう1度ボクが笑って、フントを優しく撫でてやると、後ろから声がかかった。
「おはよう、レニ」
 毎日聞いているのに、それでいて聞くたびにドキドキしてしまうその声。
「隊長。お、おはよう」
 そう、隊長だった。
「毎朝ご苦労様」
 隊長は早起きだ。ボクが毎朝フントに朝ご飯をやりに来ていることも、当然知っている。
「ううん。それより、隊長こそ何してるの?」
 朝から隊長に出会えたことを喜んでいる自分を悟られないように、用心しながら隊長にそう聞いた。
「今朝は雪が積もったからね。重みで中庭の木の枝が折れたりしていないか、見回りさ」
「そう。ご苦労様」
「それに冬の朝の空気って気持ちがいいだろう?」
 隊長はそうつけ加えると、その空気を胸いっぱいに吸い込んで見せた。
「そのコート、どうしたんだい?」
 それから、ふと、そのことに気づいて隊長が言う。
「すみれが貸してくれたんだ。今朝は寒いからって」
「へえ。うん。良く似合ってるよ」
 隊長は笑顔でそう言った。
「……あ、ありがとう」
 ボクは顔が赤くなるのを感じた。
 さっきすみれにも誉められたけど、どうして隊長に誉められるとそれよりももっと照れてしまうのだろう。
「わんわんわん」
 フントが朝ご飯を食べ終えて、ごちそうさまを言った。
 すると元気に中庭を駆け始めた。
「ははは、あいつはいつも元気だなあ」
 隊長がそれを見て言ったかと思うと、
「くしゅん」
 不意にくしゃみをした。
「隊長! 大丈夫?」
 ボクは慌ててそう聞く。
 そういえば、隊長は夏でも冬でもモギリのユニフォームを着ている。あまり普段着を見たことがない。見たといえば、一緒に初詣に行った時の外出着ぐらいだろう。モギリの格好じゃ寒いのは当たり前だ。
「俺あんまりたくさん服を持っていないんだ。今日みたいな日は着る服がなくて困るよ」
 ははは、と笑いながら隊長が言った。
「た、隊長。ボクも……そうなんだ。良かったら、今日……」
 隊長の言葉を聞いて、とっさにボクがそう言いかけた時だった。
 ドカーン!
 また紅蘭の部屋の方から、爆発音が聞こえてきた。
「うわっ!」
 隊長が驚いて声を上げる。
「わんわんわん!」
 駆け回っていたフントも驚いて足を止めると、そう声を上げた。
「あっ!」
 そのフントの方を見ると、立ち止まったのが丁度雪のたくさん積もった木の枝の下で、その枝がさっきの爆発のショックでゆらゆらと揺れ、今にもフントの上に雪が落ちそうになっていた。
「フント!」
「危ない!」
 それを見てボクがフントに向かって駆け出す。
 そのボクを見て隊長も駆け出した。
 そして、ボクがフントを抱きしめた時、木の枝から雪が落ちてきた。
「レニ!」
 そう声が聞こえたかと思うと、ボクの体に隊長が覆い被さるのが分かった。
 ドサドサッ。
 次の瞬間、木の枝の雪が全部地面に落下した。
 ボクと隊長とフントは、見事に雪に埋もれてしまった。
 だけど、フントはボクの腕の中にいるし、ボクは隊長の腕の中にいるので、その被害にあったのは隊長だけだった。
 隊長はボクをかばって、ボクを抱きしめたままその場に倒れこみ、雪をまともにかぶってしまっていた。
「大丈夫かい、レニ?」
 それでも隊長は自分よりボクのことを気にかけてくれる。
「た、隊長こそ大丈夫?」
 ボクも思わずそう聞いていた。
「ああ、俺は大丈夫だよ」
 と、隊長が微笑む。
 その笑顔にボクははっとした。こんな近くに隊長の顔がある。
「あ、ありがとう。ボクも……大丈夫」
 ボクは顔を真っ赤にして、やっとそれだけ言った。
そのボクの腕の中ではフントが苦しそうに「わんわん」と鳴いている。
 その声にボク達は笑いあった。
「冷たい」
 隊長が本当に冷たそうにそう言う。
「ボクは……あったかい」
 ボクは小声で呟いた。
「え? 何か言ったかい?」
 隊長がそれを聞きとがめ聞いてくる。
「ううん、何でもないんだ」
 思わず口から出たその言葉に、ボクはまた顔を赤くする。
(隊長の腕の中がこんなにあったかいって知っているのは、ボクだけなんだろうな)
 またそんなことを考えるから、更にボクは赤くなってしまう。
「レニ」
 そう声をかけられて、ボクはドキッとする。
「良かったら今日、一緒にコートを買いに行かないかい?」
 隊長が不意に言った。
「…………」
 さっきボクから言おうとしたことを言われてしまった。
 気づかれたのだろうか? それとも……。
「うん、行こう」
 ボクは迷わずそう答えた。
 そういえば、隊長も冬の生まれだと、ボクは思い出した。



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