雨宿り



 急に降り出した夕立に、大神とレニが通りに面した家の軒先に飛び込んだのは、もう30分も前のことだろうか。
「なかなか止まないなぁ」
 大神が軒先から濡れない程度に顔を出し、空を見上げるとポツリとそう漏らす。
「そうだね」
 レニもそれにそう返した。

 2人で買い出しに出かけたことを喜んでいた大神も、なかなか止まない夕立に軒先に足止めされ、流石に少し退屈してきたようだ。
 その大神がふと隣りのレニを見ると、真っ直ぐに目の前の通りを見つめ微動だにしないが、その一見無表情に見える横顔も、いつもレニのことを見ている大神に言わせれば、退屈な表情に変わっていた。
 最初はすぐに止むだろうと、普段2人で話す時間などなかなかないと喜び、会話に花咲いたが、いつまでも止まない鬱陶しい雨にいつしか2人の心も憂鬱になり、会話が一旦途切れるとそのまま沈黙が続いていた。

「しりとりやろうか?」
 不意に口をついて出たその言葉に、大神は些か子供っぽ過ぎたかと思ったが、意外にもレニの返事は、
「いいよ」だった。
 それを聞いて大神はニッコリと微笑んだ。
「じゃあ、俺からいくよ」
 その笑顔のままにレニを見つめ大神が言う。
「了解」
 レニはそれにいつもの返事を返した。
 大神はそれを聞くと、少し考えたそぶりを見せてから、目の前にある水のカーテンを見つめ口を開く。
「雨」
「メトロ」
 と間髪入れずにレニがそれにそう返した。
「狼虎滅却」
 負けじと大神も思いついた言葉をすぐに声にするが、
「クレモンティーヌ」
 言い終わるが早いか、レニはすぐに次の言葉を探し出し声にした。
「ぬか喜び」「ビスケット」「とんぼ」「ボルシチ」「チルチル」「ルンバ」「薔薇組」「三つ編み」「・・・・・・・」
 それがどれだけの間続いたか。
 どちらかが言葉を発すると、すぐにもう1人がその語尾を頭文字にした言葉を続ける。
 今、この軒先には大神とレニの2人しかいないが、もし他にも雨宿りをしている人間がいたら、2人の高速で回る しりとりに驚いたことだろう。
 士官学校主席の大神と、百科事典を丸ごと一冊記憶しているかのようなレニの知識。それに2人の頭の回転の速さの前には、しりとりという遊びは少々物足りなかったようだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
 不意に2人は見詰め合うと、どちらからともなく苦笑いを見せた。

「何かテーマを決めないかい?」
 しばらく考えた後、大神がそう提案した。
「テーマ?」
 とレニが聞き返す。
「ああ、例えば・・・。そうだな、『好きなもの』なんてどうかな?」
「好きなもの?」
「ああ、レニにもあるだろう?例えば好きな場所とか、好きな食べ物とか。好きな役とかでも良いよ」
「・・・・・」
 と、レニはそこで少し考えこんだ。
 好きなもの。
 自分の好きなものってなんだろう?
 そもそもそんなものがあるんだろうか?
 アイリスは良く『好き』という言葉を使う。
 甘いお菓子だったり、大きなリボンのついた服だったり、親友のぬいぐるみだったり・・・。
 その度にレニは『好き』という言葉について考えていた。
 自分は花組の皆が好きだし、芝居が好き。歌が好きだし、踊りが好き。
 以前はそんなこと思ったこともなかったのに、今はそれが楽しく感じる。
 だが、どこか抽象的な気がしていた。
 アイリスのように固有のものを『好き』だと感じたことはあまりなかった。
「うん、分かった」
 しばらくの沈黙の後、レニは大神の顔を見上げそう言った。
 自分の好きなものを探してみよう。ふとそんな気になったからだ。

「じゃあ、さっきの続きから行くよ」
「了解」
 また、さっきと同じような会話をすると、大神は独り言のように言う。
「『ゆ』からだったよね・・・・・」
 それにレニが無言で頷く。
 と、大神はパッとひらめいたというような顔をして、口を開いた。
「ゆず湯」
 言うと微笑んでレニを見つめる。
「ゆず湯?好きだったの?」
 とレニが大神の言葉にそう聞いた。
「あれ?レニは帝劇のゆず湯、入ったことなかったっけ?」
「うん。まだない」
 帝劇の地下大浴場では、冬至の日には決まってゆず湯を沸かした。
 ゆず湯とは柚の実を切って、湯船に浮かべたもので、冬至の日に行なう風習が日本には古くからあった。
 大神は、この柚の香りに包まれて熱いお湯につかるのが大好きだった。
「一度入ってごらんよ。きっと好きになるよ」
 ゆず湯に入っている時を思い出し、思わず顔をほころばせると、大神はレニにそう言った。
「うん」
 大神のその顔を見て、思わずレニもつられて笑顔を見せた。
「あ、また『ゆ』だね」
 と自分に回ってきたその文字に気づき、レニはそう呟いた。
 さっきまでのノンジャンル、テーマなしのしりとりならば、即座に『ゆ』のつく言葉を見つけ出し、会話する暇さえなく答えていたのだろうが『好きなもの』というテーマのため、レニは思考を余儀なくされる。
 今度はレニがさっきの大神のように思いを巡らせる番だ。
 しばらく考えた後、レニは恐る恐る、という感じでその言葉を口にした。
「・・・浴衣」
 言ってレニは“いいかな?”とでも聞くかのように、大神の顔を上目使いに見つめる。
 それに大神が笑顔を見せると、レニはホッとしたような表情を見せた。
「また、一緒にお祭りに行きたいね」
 不意にレニを見つめたまま、大神が口を開く。
 突然の大神の言葉にレニは少々驚いたが、やや間を空けてから、
「・・・う、うん」
 と恥ずかしそうに答えた。
 レニは自分が浴衣を好きと感じているのかどうか、いまいちよく分かっていなかった。
 レニにとって浴衣は大神と出かけた、お祭りの印象が強い。
 大神と回った出店や、たくさんすくった金魚達。帰り道で繋いだ手の感触は今でも思い出せるほどだった。
 その楽しかったお祭りに着ていった浴衣。
 それはレニにとって、大神と出かけた楽しかったお祭りの思い出とともに、大切なものの1つとして心に残っていた。
 だから、好きなものと言っても良いのかな?と思った。多分、これは『好き』という感覚なんだろう。
「『た』か・・・」
 レニがそんなことを考えていると、そう大神の声が聞こえた。
 それにレニは大神がなんと答えるのか興味が沸き、次の言葉を待つ。
「太平洋」
 と、大神はそう答えた。
「ふふ」
 レニはそれを聞くと、ふと笑みをこぼす。
「ん?どうしたんだい?」
 それに大神が不思議そうに聞くと、
「隊長らしいね」
 レニがそう返した。
「栃木には海がないからね。子供の頃から海に憧れていたんだ」
「それで海軍に?」
「ああ」
「そこで加山さんと知り合ったんだね」
「ん?なんだいいきなり?」
 と大神がレニの言葉を不思議に思うと、レニは次の言葉を言った。
「ウクレレ」
「え?」
 と大神。
「しりとりだよ」
 今度はレニもニッコリと微笑んで答えた。
「隊長と加山さんの歌、また聞かせてよ」
 そして、そう大神に言う。
「う」
 それに大神が恥ずかしそうにするから、レニはまた顔をほころばせた。
 以前、帝劇の皆でかくし芸大会をやった時に、レニはウクレレを弾いてみせた。
 その時に大神は加山と一緒に歌を歌い、初めて聞く大神の歌の意外なうまさに驚いたものだ。
 結局優勝はレニだったが、レニには大神の歌がとても印象的だった。
「レニ」
 不意に大神がレニの名を呼んだ。
「何?」
 とレニが大神を見つめ聞き返すが、大神はニッコリと微笑むだけ。
「隊長?」
 と、レニがその大神にそう聞くと、
「しりとりだよ」
 さっきレニが言ったセリフを今度は大神が口にする。
「え?」
 その意味がレニは一瞬分からなかった。
「ウクレレ→レニ」
 とまた笑顔で大神。
「・・・・・(ピンピロリロリロリロリ〜ン)」
 やっとその意味を理解して、レニは頬を紅潮させる。
「やだ、隊長・・・」
 不意の大神の告白にレニが戸惑っていると、
「レニ」
 とまた大神がレニの名を呼ぶ。
「た、隊長。・・・何度も言わなくて良いよ」
 レニが照れた顔を見せるのが恥ずかしくて、うつむき加減でそう言う。
「違うよ。雨、止んだよ」
「え?」
 大神の言葉にレニは顔を上げると、軒先から空を見上げる。
「ホントだ」
 しりとりに夢中になって気がつかなかったが、いつのまにか夕立は止んで、空には晴れ間が見え始めていた。
「行こうか」
 大神が言うと、
「うん」
 レニがそう答える。
「あっ」
 2人が軒先から出て、歩き出そうとした時大神が声を上げた。
「綺麗」
 レニもそれを見つけ思わずそう口にする。
 夕立の上がった空に、七色の綺麗な虹が空を飾っていた。
 2人、通りに立ち尽くすと、思わずその美しさに見とれてしまう。
「隊長、しりとりの続き」
 と、急にレニが思い出したように、大神にそう声をかけた。
「ん?ああ」
 それに大神が頷くと、レニがさっきの続きを言う。
「虹」
 言ってレニは大神に微笑む。
「虹?」
 それに大神が、『好きなもの』というテーマを思い出し、好きだったの?という意味でそう聞く。
「うん。今好きになった」
 それにレニがそう答えると、
「ああ」
 大神は優しい笑顔でレニにそう言った。
 レニは『あぁ、そうか』と思った。
 今、虹を見た時の感覚。それが好きになるということなのだろう。
 やはり、口ではうまく言えないが、どこか心の中がくすぐったくなるような感覚。虜にさせられるような感覚。
 色んな感情が混ざり合ったり、それでいて純粋だったり。
 同時に大神といる時にその感覚にとらわれることが多いということにも気がついた。
 そして、今大神の優しい笑顔にも、レニはその感覚を覚えた・・・。
「隊長。ありがとう」
 レニは大神に礼を言う。『好き』ということを教えてくれた礼だ。
「?」
 大神はなぜお礼を言われたのか分からなかった。だか上機嫌のレニに満足し、何も聞かなかった。
「行こう」
 そう言うと大神はレニの手を取った。
「うん」
 それをレニは自然に受け入れ、2人はそのまま手を繋いで歩き出す。
 隊長といれば、これからも『好きなもの』が増えるかな。
 レニはそんなことを思うと、ギュッと大神の手を握り締めた。
 そして、もう1度空の虹に目をやると、それを見て微笑んだ。



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