七月七日。
 その日は、年に一度リーゼが天の川を渡って、レイヴンに会いに行くことが許されている日。
 レイヴンとリーゼは、その日を心待ちにして毎日を過ごしていました。

 一昨年の七月七日は雨でした。
 去年の七月七日も雨でした。
 天の川は、雨が降るとあっという間に決壊し、向こう岸に渡ること叶いませんでした。
 そして、今年の七月七日も雨が降りました。
 レイヴンとリーゼは、もう三年も会えないでいました。

「レイヴン……。会いたいよぅ……」
 リーゼは天の川の岸に立って、かすんで見えないその対岸を見つめていました。
 天の川の水は雨のためにあふれ出て、今にもリーゼの足をさらいそうでした。
「そんなところで何をしている?」
 リーゼの背後から、そう声がかかりました。
 リーゼがその声に振り向くと、そこには赤い髪の男が立っていました。
 赤い髪の男は、リーゼを見つめると言いました。
「そんなところに立っていては危険だ」
「あなたは……」
 リーゼはその男に見覚えがありました。
 その男は天の川で渡し舟の船頭をしている男でした。
 名前をヒルツといいました。
 四年前の七月七日。レイヴンに会うために天の川を渡ったときも、渡し舟の船頭はこのヒルツでした。
「お願い。渡し舟を出して」
 リーゼはヒルツのことを思い出すと、そう頼みました。
「それは出来ない。こんな日に船を出せば、必ず沈没してしまう」
 リ−ゼが何度お願いしても、ヒルツは首を縦には振りませんでした。
 それどころか、こんなことを言いました。
「お前が会いに行こうとしているレイヴンという男は、三年も会えないでいるお前のことなど忘れて、フィーネという女と結婚してしまった」
 これにはリーゼは驚きました。
「嘘だ」
 リーゼは激しく首を横に振り、泣き叫びました。
「私は渡し舟の船頭だ。向こう岸のことなら知らないことはない」
 けれど、ヒルツがそう言うと、ガックリと肩を落とし、リーゼはその場に崩れ落ちました。
「これからは、私がお前のそばにいよう」
 やがて、悲しみと孤独に耐えられなくなったリーゼは、ヒルツと結婚しました。

 それから、一年が経ちました。
 今年も七月七日がやってきましたが、リーゼにとってその日はもう特別な日ではありませんでした。
 レイヴンのことは今でも愛していましたが、思い出してみてもつらいだけでした。
 それでも、時々は思い出して、行き場のない愛情に胸を痛めました。
 ただ、ヒルツと一緒にいるときだけは、つらい想いをまぎらわせることができました。
 この年の七月七日は晴れでしたが、リーゼは川を渡りませんでした。

 また、一年が経ちました。
 今年も七月七日は晴れでした。
 けれど、リーゼがヒルツの渡し舟に乗ることはありませんでした。
 リーゼの特別な日は、もうなくなってしまったからです。
 ですが今日、天の川を渡って、彼はやってきました。
 こちら側に渡ることを禁じられている彼は、手作りのいかだに乗って川を越えてきました。
 彼は、懸命にリーゼをさがしました。
 風は彼の黒い髪を振り乱しました。
 そして、彼はリーゼを見つけました。

「リーゼ」
「レイヴン」
 五年ぶりの再会でした。
「どうして」
「お前に会いたくて、禁を破って川を渡ってきた」
「でも、もう、僕のことなんて忘れてしまったんだろう?」
「忘れてなんかいない。今でもお前を愛している」
「僕のことなんて忘れて、フィーネという女と結婚したんじゃないの?」
「そんな女など知らない。俺はずっとお前を待っていた」
 雨でリーゼが天の川を渡れなかった三年間。ヒルツと結婚し、川を渡らなかった去年と今年。
 レイヴンはひたすら、リーゼが天の川を渡って会いに来るのを待っていたのです。
「何しに来た」
 そこへ、ヒルツが割って入りました。
「リーゼは私と結婚した。お前の出る幕はない」
 ヒルツがレイヴンに言いました。
「お前がリーゼをたぶらかしたのか」
 レイヴンがヒルツに言いました。
「私は私のやり方で彼女を愛しただけだ」
 ヒルツはそう答えました。
 ヒルツは初めてリーゼを目にした時から、リーゼのことを愛していたのです。
 そのため、リーゼを手に入れるのにレイヴンが邪魔でした。
 そこでヒルツは嘘をつき、リーゼを自分のものにしたのでした。
「僕を騙したの?」
 リーゼはヒルツの言葉に驚きました。
「お前を愛している気持ちに偽りはない」
 ヒルツは本当にリーゼを愛していました。
 ですが、リーゼは今でもレイヴンを愛していました。
 レイヴンもリーゼを愛していました。
 リーゼはレイヴンの手を取りました。
 レイヴンはリーゼと手を繋ぐと、そのまま走り出しました。
 ヒルツは二人のあとを追いかけました。
 空からは、いつの間にか雨が降り出していました。

 レイヴンとリーゼは雨の中ひたすらに駆けました。
 雨はいつの間にか大粒にかわっていました。
 二人の走る先に、やがて天の川が見えてきました。
 そして、天の川の岸にはレイヴンが乗ってきたいかだが置いてありました。
 二人はそのいかだに乗り込むと、天の川へ漕ぎ出しました。
「待て。この雨ではそんないかだなど、すぐに沈没してしまう」
 二人を追って来たヒルツが、岸からそう叫びました。
 ですが、二人は耳を貸しませんでした。
 やがて、雨は更にひどくなり、川は荒れ狂いました。
 激しい雨がいかだの上のレイヴンとリーゼを打ち続けました。
 けれど、二人はまるで暖かな春の日差しの中にでもいるように、穏やかな表情で静かに抱き合っていました。
 大きな音がしました。
 激しい川の流れにいかだは耐えきれなかったのです。
 いかだはバラバラになりました。
 レイヴンとリーゼは、川面に投げ出されました。
 それでも二人は、抱き合ったままでした。
 抱き合ったまま沈んでいきました。
 それから、二人は抱き合ったまま、息をしなくなりました。
 二人の時間はそこで止まってしまいました。

 七月七日。
 その日は、年に一度レイヴンとリーゼが会うことを許されている日。
 今年その日は永遠になりました。
 もう二度と二人は離れ離れになることはありませんでした。



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