助けられた話
森の中の道を走っていた。 細い、それが道なのかも良く見なければ分からないような道だった。 長い間誰もこの道を通っていないのは、荒れた路面、それを覆う木の葉などで容易に想像できた。 その道を取り囲む森の木々は高く、枝に生い茂る葉で空はチラとしか見えなかった。 そのため、まだ昼間だというのにモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)はライトを点灯している。キャリアラックには大きな鞄がくくりつけられていて、後輪の両側には箱が取りつけられていた。 運転手は十代の半ばほど。短い黒髪に大きな目をしていた。黒いジャケットに、腰には太いベルトを締め、右腿にはハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)がホルスターに収まっている。撃つたびにハンマーを上げなければならない単手動作式のリヴォルバーだった。 暗い上に荒れた路面。運転手は慎重にモトラドを走らせていた。 低速を維持し、小刻みにハンドルを動かしてバランスを取る。それでいてアクセルは一定を保った。 「やっぱり迂回すれば良かったんだよ」 モトラドが言った。 「エルメス。迂回していたら次の国に着くまでに夜になってしまうし、この辺りは夜になると獣が出るって道を教えてくれた人も言っていたじゃないか」 運転手はそう言うと、エルメスも聞いていただろう、と最後に付け加えた。 「獣が昼間の間は森に隠れてるんじゃないといいけど。ね、キノ」 エルメスと呼ばれたモトラドが運転手の言葉にそう返す。 「夜襲われるよりは昼間襲われた方がいいさ」 キノと呼ばれた運転手は何でもないようにそう答えた。 「襲われないのが一番いいよ」 突然、何かが目の前に飛び出してきて、キノはそれを避けようと急ハンドルを切った。 エルメスの前輪は急激にその向きを変え、車体もそれに合わせて方向転換しようとするのだが追いつけない。 ズザザー、と土を滑る音が聞こえると土煙と木の葉が舞い上がり、次にガシャンという音がしてエルメスは転倒した。 キノはエルメスから投げ出されると、ダンッ、という音と共に地面に叩きつけられた。わっ、と小さな悲鳴が聞こえた。 「キノ、キノ」 倒れたまま、未だカラカラと車輪を回しているエルメスがキノに呼びかける。 「大丈夫。生きてるよ」 こちらも倒れたまま、キノがそう答えた。 「だけど、ちょっと動けそうにない……」 仰向けに天を仰ぎ、しかめっ面をする。 「どうしたの? どっか痛めたの?」 「足と、……両足だ。それに左腕。折れたみたいだ。それに、体のあちこちが痛い」 わずかに動く首を痛そうに動かし、キノはエルメスの方を見る。 「えー、じゃあどうするのさ? 当分このままってこと?」 「とにかく起き上がれそうにない。誰かが助けに来てくれるのを待つか、回復するまでこのままか」 「ふえ〜」 エルメスが情けない声を上げた。 ガサッ。 音がした。 キノはとっさにかろうじて動く右腕を伸ばすと、右腿のパースエイダー『カノン』を抜きさった。同時に音がした方向へ視線と銃口を向ける。 ガサガサッ。 と、また枯葉を踏む音がして、それはキノ達の前から姿を消した。 「猫みたいだったね」 「あれが前を横切ったのか」 「そうみたいだね。なんか複雑」 「悪かったよ、エルメス」 「待って。何か聞こえない? 9時の方向」 キノの言葉をさえぎって、エルメスが言った。 「え?」 キノは、車体を右側に倒しているエルメスにとっての9時の方向、空を見上げた。 「ホヴィーだ!」 木々の隙間からホヴィー(注・=『ホヴァー・ヴィークル』。浮遊車両のこと)の姿が見え隠れしている。 パンパンパンパンパンッ。 立て続けに5発。キノは空に向けてカノンを撃った。 すると、ホヴィーは空中に停止する。 それからしばらく動かなかったが、やがてまた動き出しどこかへ行ってしまった。 「気づいてくれたかな?」 「分からない。どちらにしろ、この木じゃ降りられないし、助けに来てくれるとしても森の外に停めてこないといけないから、時間がかかるだろうね」 「ふい〜。何か暇を潰すアイデアある?」 エルメスが聞いた。 一夜明けてもキノは身動きできなかった。 「お腹空いたなぁ」 ぼんやりと、他人事のようにつぶやく。 携帯食料がエルメスに積んであるが、動けないキノにはそれを食べることができない。 「キノ、どう? 死にそう?」 そのキノにエルメスが聞く。 「エルメス。その質問は嫌だなぁ。まるでボクに死んで欲しいみたいじゃないか」 キノが苦笑いする。 「まさか。キノが死んだら僕だってここで倒れたまま錆びちゃうのに」 「そうだね。でも、このままだとその可能性は高いかな」 そう言うキノの両足は、折れたところがひどく腫れ上がり、ズキズキと痛んだ。 這って進もうにも左腕も折れているので、どうしようもなかった。 唯一自由な右腕には、カノンが握られていた。 「キノ」 エルメスがそう声を上げるとほぼ同時に、キノはそのカノンを構えた。 腹筋に力を入れ無理矢理上体を起こすと、目標に銃口を向ける。 「あの時の猫じゃない?」 一本の木の陰から、こちらを窺っている。 「猫じゃない。何か、猫科の大型動物の子供だ」 キノがその姿を良く見ると、そう判断する。 「じゃあ、親猫も近くにいるってこと?」 「だから、猫じゃないって。……でも、そういうことになるね」 パンッ。 唐突にキノが発砲した。 「キノ!」 エルメスが何事かと驚いて声を上げる。 「にゃあ」 と、一声鳴いて子猫が走り去った。 後には頭をカノンで弾き飛ばされた、一匹の蛇の死骸が残っていた。 「蛇?」 「うん。あの子を襲おうとしてた。毒蛇かな?」 「もー、いきなり撃つとビックリするじゃないかぁ。あの猫を撃ったのかと思った」 「違うよ」 「でも、何で助けたのさ。もう、残り一発だったんじゃないの?」 ホヴィーに居場所を知らせるために空に五発放ったので、六発入りの弾倉に残された弾丸は今のが最後だった。 「だって、あの子を避けて今こんなことになっているんだよ。あの子が死んだらボク達が今こうしていることがとても虚しくなるじゃないか」 「あの猫がキノに襲われたんだと思って、親猫を連れてこなければいいけどね」 エルメスの言葉が現実になった。 キノの目の前にあの子と、その親らしき猫科の大型動物が一頭、姿を現した。 「豹かな?」 「キノ。そんなこと言っている場合じゃないよ」 「そうだね。どうしよう」 どうしようもない。 カノンの残弾数はゼロ。エルメスに積んである荷物の中に弾丸のストックがあるが、携帯食料と同じで今のキノには手に取ることができなかった。 だが、少し様子が違った。 「何か咥えてるよ?」 エルメスの言う通り、その豹は口に何か咥えている。 キノが何かと思って見つめると、まるでキノに良く見せようとするように、豹がキノに近づいてきた。 豹はキノのすぐ側まで来ると、咥えていたものをキノの横の地面に置いた。 「えーっと、これボクに?」 どこか緊張感のない声で、キノが豹に聞いた。 「グルルル」 と、豹は喉を鳴らしキノを見つめたかと思うと、すぐにまた踵を返す。 そして、子供の豹を連れて森の奥へ消えていった。 「毒入りかもよ?」 「まさか」 エルメスの言葉に微笑んでから、キノは豹が置いていった木の実に噛り付いた。 それからも何度か豹は姿を現し、その度に木の実を置いていった。 とりあえず餓死だけはまぬがれたが、相変わらずキノの両足は動かなかった。 キノが動けなくなって三日目。 いつものように豹の親子が、木の実を咥えて姿を現した。 もうすっかり馴れた子供の豹が、キノに擦り寄ってくる。キノがその頭を撫でてやると、気持ち良さそうに喉を鳴らした。 パンッ。 いきなり発砲音が聞こえた。 親豹の体がグラッと揺れたかと思うと、そのまま地面に倒れ込み、死んだ。 パンッ。 続いて二発目の銃弾が子豹を襲い、即死させた。 そこでしばらく静かになると、やがて森の中から一人の男が姿を現した。ライフルタイプのパースエイダーを手にしていた。 「いやぁ、危ないところだった。大丈夫か?」 ニコニコと笑顔を作り、男はキノに近づいてきた。 「…………」 その男をキノが見つめる。 「どうした? ビビッて声も出ないのか? 無理もないか。もう少しで噛み殺されるとこだったからな」 ニコニコ顔の男。 キノは血まみれの豹の親子と、その横に転がる木の実に目を移した。 「それよりお前さんだろ? 一昨日俺のホヴィーにパースエイダーで合図したのは」 「え、はい」 男の言葉に再び男を見つめると、キノが頷く。 「こんな森の中に誰がいるのかと思ったけど、お前さん、見たところ旅人さんだね?」 「ええ」 「どうしてこんなところにいるんだ?」 「この先にある国に行くのに、この森を通った方が近道だと思ったので。ですが、モトラドで転倒してしまって、両足と、左腕が折れたみたいなんです」 「モトラドで?」 「ここだよ」 エルメスが声を上げた。 「おやおやモトラドさん。そんなところに倒れていたのか」 男がエルメスを見つける。 「おっちゃん、僕達を助けに来てくれたの?」 「ああ。家に帰る途中でこの森の上を通りかかったら合図があったからな。誰かが助けを求めてるのかと思ってよ。森の外にホヴィーを停めてきたから、ずいぶん時間がかかっちまった」 「おっちゃん、いい人だね。いい人ついでに起こしてくれると嬉しいんだけど」 「おっと待ってな。今起こしてやるよ」 言うと男はエルメスに近づいてエルメスを起こすと、キノの側まで引っ張ってきて、サイドスタンドでエルメスを立たせた。 「次は旅人さんだ」 男は動けないキノに肩を貸し立ち上がらせると、エルメスにのシートにキノを座らせた。 「じゃあ、行くとするか。俺の国は医療が発達してるからな。骨折なんて三日もあれば治っちまうさ」 男はキノを乗せたままエルメスを押すと、森の外に向って歩き始める。 「いやあ、それにしても良く三日も生きてたもんだ。この森は猛獣や毒蛇がいて危険なんだよ。旅人さん、運がいいぜ」 「はい。ありがとうございます。助かりました」 キノは礼を言った。 そして、豹の親子の死骸が、遠くなっていった。 |